メディアグランプリ

何かが終わる時、何かが始まる。


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記事:伏見英敏(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
パタン!
 
田舎からやってきた母親を連れて、アパートの玄関を出ようとした時……。
結納の品を包んだ風呂敷包みから何かが落ちた。なんだか少しだけ嫌な気持ちがかすめたが、何事もなかったように拾い上げてポケットにしまい込んだ。記念の写真を撮るために用意した小さなデジカメだった。
 
大阪に転勤して4年も過ぎたころだったか、僕は結婚を約束した彼女ができた。
 
その約2年前、自分の人生の中ではこれ以上ないという思いで付き合っていた女性が実は既婚者だったという大どんでん返しの大失恋をしていた。
 
「お好み焼き、食べにいかへん」
傷心の僕を誘ってくれたのは、会社の総務部に務める彼女だった。彼女は大阪で生まれ育ち、僕の会社の大阪支社で働いていたのだった。
「ね、美味しいでしょ?」
彼女は大きな目で僕を見つめながら、大きな口でお好み焼きをほおばった。若さに任せてたくさん食べて、たくさん飲んで、たくさんおしゃべりをしているうちに、失恋の渇きもだんだん癒されていくようだった。
 
二人でデートを重ねるたびに、仲の良い友達から恋人に変化するのが分かった。
「明日ね、朝一番の新幹線で東京に出張するから、今夜、新大阪のホテルに遊びに来て」
社内便で回ってきた封筒を開けると、大胆にもそんな内容の手紙が入っていた。待ち合わせたホテルで、開口一番、危ない手紙を冗談交じりになじると、ケロッとした顔で言った。
「大丈夫、好きな人のことが好きって、周りの人にばれても全然平気」
 
「私ね、今の会社に入る前に好きな人がいててん。親に紹介したんだけど、定職についていない男だったから反対されて駆け落ちしたの。」
前の会社をしばらく無断欠勤して、いられなくなってやめてしまったらしい。
「恋って、自分の力だけじゃどうにもならないことってあるよね。あの時、私を彼から引き離して、無理やり連れ戻した母親のことを恨んでいたけど……」
こんなことをこれから付き合い始めようとする相手に打ち明けてよい話なんだろうかと、僕は居心地の悪い気分で水割りのグラスを眺めた。
 
「でもね、母親に連れ戻されてあの恋が終わってしまったけど、今は感謝しているの、こうやってあなたに会えたもんね」
 
僕はグラスから目をあげて、恥ずかしそうに打ち明ける彼女の横顔を見つめた。僕の方こそ、人妻と知らずに半年も不倫を重ねてしまった悪夢から救い出してくれた彼女に感謝したい気分で一杯になっていた。
「ああ、こうやってひとつの恋が終わって、また新しい恋が始まるんだな」
その時は、本当にそう思っていた。幸せの絶頂期に上り詰めたかのように、何も見えてはいなかったのかもしれない。
 
 
彼女は一人娘だった。ずうっと大阪で暮らしたいと言った。うちの会社は出世を望まなければ、ずっと大阪で勤務できるとも主張した。一時は憎んだ両親だったが、結婚しても両親の家に近いところに住みたいと言った。
 
僕は長男で、姉たちは嫁いでおり、父親は何年も前に亡くなっていた。母もまだ若く一人で暮らすことに何の不自由もなかったが、いつか東京に戻ってきてくれることを望んでいた。
 
 
「あら、形式的なことなんかしないでって言ったのにねぇ。結納式と言うより家族の顔合わせだけで良かったのに。娘がどこかに行ってしまうようでさみしいわ」
会場に着くなり彼女のお母さんの言葉に僕は冷や汗をかいた。確かにそういう意向は聞いていたのだが、自分の昔気質の母の手前、ほんの略式の結納の品だけはそろえて、ホテルの和室にこじんまりと飾った。彼女にも伝えておいたはずだ。会場のしつらえのせいか、普段は僕にも饒舌に語り掛けてくる向こうの両親は、この日は音なしだった。
 
「私も年を取ったら一人暮らしと言うわけにもいかないでしょうから、子供たちのところを回って暮らしたいと思ってますの。男の子はこの子だけですので、ここが本拠地になるんでしょうけどね。よろしくお願いしますね」
母の言葉は、普通の席であればなんら不自然では無いものだった。ただ何となく脇の下に汗をかいているのが分かった。結局、持って行ったデジカメは使わずじまいだった。
 
翌日の日曜日の夜、電話が鳴った。
 
「今回の話は無かったことにしてほしいの」
「えっ、どうしたの」
「あなたのお母さんは家の親の気持ちを全然考えてないわ。私、大阪でしか暮らせないし」
 
何が始まったのか、しばらくの間理解できなかった。形式的なことを避けたがる向こうの両親に気を遣って仲人は立てなかった。そのために本当の理由も確かめることもできないままに幕は下りてしまった。
 
今思うと、あれもこれもと無理なことが思い浮かぶ。東京と大阪、一人息子と一人娘、人妻に恋して失恋したあまちゃんとやくざな男と駆け落ちして連れ戻された女。愛があれば何でも乗り越えられるさと若者は思いたがる。大人は一時の血の迷いと片づけたがる。それはどちらが正しいのかわからないけれど、僕も彼女もひとつ前の恋愛にきちんとお別れができていなかったのかもしれない。
 
「何かが終わる時、何かが始まる」
と語ったのは、著名な心理学者ウィリアム・ブリッジズだが、今の平穏な暮らしにたどり着くまでに何かは何度終わって、何度始まったのかもう忘れてしまった。
 
《終わり》
***

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2018-09-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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