メディアグランプリ

初恋VS洗剤


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:水峰愛(ライティング・ゼミ木曜コース)
 
「愛ちゃんのプリクラ見て、紹介してほしいって人がいるんだけど」
友達に告げられた一週間後。
その男は、爆音を轟かせながら、黒塗りのBMWを実家の正面に横付けした。 
短大に入って2回目の春休みのことだった。
「そのシフォンのワンピースは春らしくていいね」
数分前にそう言ってくれた母の顔が曇るのを見ないふりをして、私は家を出た。
静かな田舎の夜の住宅街に、馬鹿みたいなエンジン音が響いている。早くここから立ち去りたくて、私は素早く助手席に乗り込んだ。車高が低くて、乗りにくい車だった。
 
男の名前を、ヨウスケ(仮名)と言った。
ヨウスケは、奥手な私が生まれて初めてちゃんとデートをした相手だった。
私好みの、線が細くてナイーブな男性とはいささかイメージが違ったけれど、初めて触れる親兄弟でも幼馴染でもない「異性」という存在に、その異性からまた「女の子」として扱われる体験の新鮮さに、当時の私はすっかり舞い上がっていた。ハンドルを握る彼の腕には、「美佐子」という下手な彫り物があった。
 
私たちは近所の中華料理屋で食事をとり、そのまま海岸沿いをドライブした。
ヨウスケは、私より2つか3つ年上だった。営業マンで、「いつもはちゃんとスーツを着て働いてるよ」
そう言って笑った。
「ただモノを売るだけじゃなくて、一人一人の幸せが世界に広がっていくような仕事をしたい」中華料理屋で確かに彼は、そんなようなことを言った。
 
見た目に反して誠実なその生き方に、ウブな私が好意を抱かないはずがなかった。
スーツで働くヨウスケ。その姿で私を迎えにきてくれるヨウスケ。「お待たせ、今日はどこ行きたい?」なんて、いつか言ってくれるのだろうか。
私は彼に、関西の短大に通っていること、そこで日本文学の勉強をしていること、読書が好きなことなどを話した。予想通り、彼は文学には明るくなかったが、「本を読む女の子ってなんかいいな」そう言って、私を喜ばせた。
 
私の生まれ育った町は、日本で一番人口が少ない県の港町だ。
娯楽といえば、ジャスコかパチンコかテレビか恋愛しかない。だから町を出ない若者は、みんな異様な早さで結婚して家庭を築いてゆく。
中途半端な上昇志向を持って町に馴染めない私と、上昇したところでたかが知れているこの田舎町で壮大な野望を抱く彼とは、孤独の抜き差しならなさで似ているような気が、私にはした。
 
「どこかで少し話そうか」
そう言ったのは、ヨウスケだった。私たちは、おそらく学習塾よりはるかに多いパチンコ店の、その中で一番の大店の広い駐車場へ移動した。
周囲に車はまばらで、エンジンを切ると静寂が耳を刺すようだった。
星が落ちそうな夜だった。
 
「どうする?これから」
シートを軽く倒してそう言ったヨウスケの緊張が、空気を通して伝わった。
カーフレグランスの人工的な香りが鼻をくすぐる。男の人の香り。
「どうする?これから」
まだ子供だった私は、同じように緊張し、そして同じ言葉を返した。
「煙草、吸っていいかな?」
彼はそう言うと、窓を少しあけて、ゆったりした仕草で煙草に火をつけた。
 
「愛ちゃんの家に、台所用洗剤ってあるだろ?」
「うん」
彼が何を言おうとしているのかわからず、全神経を次の言葉に集中させる。
「あれ1本で何匹のネズミが殺せると思う?」
「……」
キラーパスを完全に受け損ねた私は、思わず黙った。
「5000匹。5000匹のネズミを殺せるんだよ。そんなものを人間は平気で川に垂れ流している」
「……」
「この現状を俺は変えたい。無論、わかってくれる奴だけでいい。大事なのは金じゃない。俺は、わかってくれる奴と一緒に夢を追いたいんだ」
 
ヨウスケの話を要約するとこうだ。
彼は、ある組織に属していて、そこで洗剤のセールスマンをやっている。
その組織は、佐々木さん(仮名)という偉い人が束ねていて、佐々木さんもまたさらに上の組織に属している。曰く、一番偉い人は、「雲の上のような人」
毎週ヨウスケは、佐々木さんのありがたい話を聞くために県外へ出向き、そこで結束を強めた仲間と共に、地球を世界平和へと導く素晴らしい洗剤の推進運動に精を出している。
 
「先週は岡山、今週は青森へ行くんだ。愛ちゃんは俺たちのことをわかってくれる気がする。今度、俺と一緒に佐々木さんと会ってみないか?」
彼が目を輝かせてそう言った時、私は全てを悟った。
 
「スーツを着て働く営業マン」とは、「一人一人の幸せが世界に広がっていく仕事」
とは、こういうことだったのか。
彼の志の高さは、ほとんど洗脳に近い形で大人に植えつけられたものだったのか。
彼が見せた優しさは、すべてこれが目的だったのか。
 
私は、マルチ商法のカモだったのか。
 
「ごめん、私帰るね。楽しかったけど、もう連絡しないで」
そう言って私は車を降り、勢いよくドアを閉めると、だだっ広い駐車場を全速力で走った。爆音のBMWは追いかけてこなかった。
慣れないヒールが死ぬほど痛くて、心は今にも灰になりそうだった。
 
 
あれから10年とちょっと経つ。
私はもう、男の人と一緒にいるだけで舞い上がってしまうようなお嬢さんではなく、そして、そうなってゆく過程でもっとたくさんのろくでもない経験をした。
今思えば純朴なだけだった彼が、変なことに巻き込まれずに普通に幸せに暮らしていればいいなと思うし、いまだに不相応な野望を抱いていたとしても、向上心をこじらせて東京へ来てしまった私と、やはりどこかで似ているような気がしてならない。
***

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2018-10-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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