ストーリーでわかる、現象学とは何か?
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:小雪(ライティング・ゼミ 日曜コース)
「現象学……?」
「ああ、そうさ。現象学。知ってる?」
現象学。私はその名前すら聞いたことがなかった。
もちろん私でも「○○学」が、なにか体系だった学問に対して使われていることは知ってる。だけど、現象に関する学問……?
「その顔は、『現象なんかで学問なんかできるの?』って顔だね」
「え、なんで分かったの!」
「そりゃ、分かるさ。だってそれが現象となって現出していたから」
現象が現出していた? なにそれ、意味わかんない!
これ以上茶化されるのも嫌だったので、恥を忍んでお願いしてみることにしよう。
「……。現象学って何?」
「うん。その前に、『現象』って言葉の意味は知ってる?」
「なんとなくは! なんか目の前で起こっていること、みたいな意味だよね?」
「大体そうだね。正確には、僕たちが目や耳などの五感で感じられるようなものやことを『現象』というんだ」
「やったあ! で、その『現象』を学問するのが現象学なの?」
「うーん、そうとも言えるし、違うとも言える。聞いといてなんなんだけれど、実は『現象学とは何か』ってまだわかっていないことの方が多いんだ」
はぁ? と私はついつい言ってしまった。分かっていないことの方が多いものを聞くなよ!
全く、これだから哲学オタクは……。
「分かってることだけを喋ってよ」
「……え? なんで分かってることしか喋っちゃいけないの?」
目の前の哲学オタクは、さも信じられないと言った顔でポカーンとしていた。
「え? 当たり前でしょ? というかそもそも、人間って知ってることしか喋れないんじゃないの?」
「はぁ。じゃあ、逆に聞くけど……。恋愛って何?」
「え、恋愛って、うーん、誰かを好きになったり好きになられたりすること?」
「え、『好き』ってどういった意味なの?」
「好きってそりゃ、異性、場合によっては同性の相手に、こう、相手の体がほしいって思っちゃったりすること?」
「なんだか君の『好き』ってずいぶん限定的だねぇ……」
哲学オタクに露骨に引かれた。え、なんか恥ずかしい……。
「ううん! もっといろんな『好き』があるもん! ええと、ええと……え、『好き』ってなんだろ……」
「はは。さっきまであんなに自信満々だったのに。やっぱ君も『恋愛』がなんなのか、あんまりわかってないじゃん」
「はい……」
私はショボーンとする。哲学オタクもそれは本意ではなかったようで、少し焦って話をし始めた。
「いや違うんだ。人間って何かをあんまり分かっていなくても喋れるってことがいいたかったんだ。そもそも、『現象学』は『なんだか分かんないけれど、とりあえず喋れること』に焦点を当てながら真理を解明する学問なんだ」
「ほほう、どういうこと?」
「今のように、『恋愛』ってなんとなく知っているだろ? 現に君は恋愛をしたことすらあるのかもしれない。でも、説明を求められると途端にわからなくなる。哲学的に言えばこれは、『存在』があるかどうかは分からないけれど、『現象』はしているだろうと言い換えられる」
「あー、そうか! つまり、現象学は、『存在のある/なし』には首は突っ込まないけど、現象そのものを見ていく学問なんだね」
「あ、それ! それだよ! 8割は当たっている! 凄いよ!」
これでも8割なんかい! って思ったけれど、どうやら哲学オタクの方は喜んでいるようだし、よかった。
そんな風にテンションの上がっている彼を見るとちょっとうれしくなるんだよね。あ、この感情が『恋愛』における『現象』なのだろうか?
「現象学という言葉が初めて使われるのはドイツ哲学者のカントにおいてなんだ。『現象』という言葉自体は、プラトンという2500年くらい前の哲学者から使われているんだけれど、『私の意識に現れてくるもの』という意味で明確に使い始めたのがカントなの」
「カント! 授業でなんか聞いたことがある! なんだっけ、私たちでは見たり触ったりできない世界があるっていう……」
「おお、よく知ってるね! そう、認識の外の『存在』のことを『物自体』という概念を使って説明しようとしたのもカントなんだ。それ以前の哲学では、『物の存在はある』という前提で話が進んじゃっていたんだ」
「え? それじゃあなんでだめなの?」
「今体感したじゃないか。『恋愛』って本当に絶対にあるのかい? あるんだったら説明できるよね?」
「あ、そうか。今も『恋愛は分かってて当たり前!』としか言えなかったんだった。厳密に物事を理解しようとする哲学じゃそれはダメってことなんだね」
「そうそう! 『あるったらある』っていう人間なら持つ当たり前の態度を、『自然的態度』っていうんだけれど、哲学……特に現象学はこれを絶対に認めようとしなかったんだ」
なんだかちょっと難しくなってきた。まとめると、とりあえず「見たり触ったりできるものは、あるに決まってんじゃん!」が嫌だったのかな。
「へぇー。じゃあ、現象学はカントが始めたの?」
「ううん。カントはカントで、『物自体は見たり触ったりできないけど存在はする』って感じで言いきっちゃっていたんだ。だから、これは厳密には現象学じゃなくて『観念論』って言い方をする。それをバッサリ切って現象学を初めて体系立てて始めようとしたのが、ドイツの哲学者であるフッサールというんだ。『自然的態度』という言葉もフッサールが使ったんだよ」
なるほど、現象学という言葉はカントが初めて使ったんだけど、それは現象学とは呼べる代物じゃなかった。
現象学をはじめて学問にしたのがフッサールという人だったわけだね。
「実際に、どうやってその自然的態度を回避しようと思ったの?」
「これは、現象学者によっても全然方法が違うんだ……。フッサールは、『あるともないとも言えない問題は、とりあえず判断をやめておこう』って態度で論を進めようとした。これを『超越論的現象学』っていうんだけど、この話はまた今度だな」
「ほぇ~、奥が深いんだねぇ」
「でも、共通して言えるのは、現象学者は『経験』を大事にしているってことなんだ。例えば好きな人ができたとき、その人が誰なのかってことも大切だけど、それよりも、『誰かを好きなこと』の方がより恋愛経験にとって重要だと思わないか?」
「うーん、それは今すぐには賛同しかねるけど、確かにそうだね」
「現象学は、その対象を『直接調べる』ってことをやめて『経験』に立ち返ろうって姿勢で考えたってところに意義があるんだ。『5分でわかる!』みたいな記事が溢れている中で、『分かるとは本当はどういうことか』ってことを徹底的にフッサールは考えたんだ」
「はぁ~、そう言われると、現象学ってなんだかかっこいい!」
「だろ? ふふん、そう言ってもらえると嬉しいね」
哲学オタクの、時々出てくるぎこちない笑顔に、私はいつもきゅんとしちゃう。現象学かぁ。確かに今こうやって話し合っている経験に立ち返って考えるって重要よね。
私も、「好き」ってなんだろう、ってもうちょっと真面目に考えられたらいいのかも、なんてね。
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