ライティングゼミ、それは人生のハズキルーペ
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【10月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:田中 眞理(ライティング・ゼミ朝コース)
「3年もったら、あとは惰性で何とかなるで」
パン工場の電気配管工事をしながら、高山電機さんは言った。
「夫婦で始めたんやけどな、二人とも3か月ほど寝てないわ」
工事の様子を見に来た自動車整備工場の河原林さんは言った。
いろんな人が、自宅でパン屋を始めようとする私のところにやってきた。
自営業のふたりのこのセリフは、初期の私を励ましてくれた。
37歳のときにパン屋を始めた。
中古厨房機器の渡辺さんのことばも、忘れない。
「やめとけやめとけ。今流行ってるやつや。パンが好きなんです。パン屋になるんです。君くらいの女の人がな。で、3か月ほどでいいよるんや。パン屋はしんどいからな。やっぱり私違いました。私の進む道じゃありませんでしたって。女がひとりでできる仕事やない。悪いこと言わんから、やめとけ」
小さいころから3度の飯より小麦粉が好きだった。
パンやお菓子を作ることがすべてだった。
高校生になると、京都市内でパン屋めぐりを始めた。
大学生になると、おいしいパンを求めて日本各地に出かけるようになった。早朝からパン屋でアルバイトをした。
社会人になり、パンの学校に通い始めた。海外で小麦粉を買う。パンを食べる。
パンオタクとして順風満帆な人生を歩んでいた。
自分の中の「おいしい基準」を満たすまで何度でもパンを焼いた。
結婚をして、子どもができても、それはやむことはなかった。産休育休を利用して、さらにパン作りを学んだ。誰にも、自分にも止めることができなかった。
病気かもしれないと思ったが、地方公務員を続けることは、もっと病気かもしれないと思った。
人生の途中で視力を失った義父が言った。
「やりたいことやっときなさい。人間いつ、目が見えなくなるかもしれないのだから」
この言葉に後押しされて、退職を決意した。
パン屋人生が始まった。
3日間で2時間の睡眠だった。河原林さんを思い出した。
でも、3年はがんばろう。高山さんのことも、思い出した。
「大丈夫です。私絶対に頑張ります」
渡辺さんの厳しいことばは、愛情だった。開業に向けて本当に力を貸してくれた。
食パン、菓子パン、フランスパン。それぞれのパンは、試作を重ね、「誰も買ってもくれなくても、全部自分で食べたい」と思えるパンを焼けるようになっていた。
しかし、それだけではパン屋になれない。
食パンを練り、何分後に菓子パンの生地を仕込みはじめたら、同じ時間に商品として出せるのか。そんな段取りが、わかっていなかった。
時間差で違う種類の生地を練り始めることにより、工程が分散する。その作業の組み合わせで、無駄なく時間を使って、パンを焼き上げていく。
今となっては当たり前すぎることだけれど、作業の時間割を作ることから、手探りだった。
4つくらい別の作業が同じ時間にかちあって、でもいっときにはひとつの作業しかできなくて、生きているパン生地はどんどん大きくなって、収拾がつかなくなり、絶叫したこともしばしば。
無知ゆえに起こる数々の失敗は、力づくで乗り越えたような気がする。
人口5千人足らずの中山間地域。
店舗は持たず、卸と配達で、パンを販売している。
過疎と高齢化の町で、自宅や会社までパンをお届けするシステムは、効率は悪いけれども、喜ばれた。それだけではやっていけないので、道の駅や、スーパーにも卸す。
ありがたいのです。
毎日注文FAXやメールが届くこと。イベントに呼んでいただけること。
すべてが感謝だし、その気持ちがもっとおいしいパンを焼きたいという原動力。
始めたころはそれでよかった。有頂天になって、2時間の睡眠をものともしなかった。
しかし10年たって、その影は少しずつ、私のなかで大きくなった。
「人としてどうよ」
自分の人生のほとんどが、「作業」に明け暮れることでよいのだろうか、という不安の影だ。
2時間の睡眠では、自分自身を管理することで精いっぱいだとわかった。
いやそれさえもできていなかった。
入れ替わり立ち代わりしていったパートの女性たち。技術的なことは、教えることができる。
でも、「お役に立ちたい、という気持ちで働いていこう」「一緒に目指そう」
そういった精神的な部分を共有し、育てていく余裕を持てず、ひたすら疲労を重ねていくだけの日々は、誰だって楽しくない。やりがいなんて持てない。数人の女性たちが去っていき、今は初期からの理解者であるパートナーとふたりで、やっている。
今まさに、分岐点。
「人としてどうよ」
「普段使いの日常パン」として、毎日お求めいただくとすると、今の規模では、馬力が足りない。細々と焼くパンでは、日常使いにならない。
「誰かの役に立ちたい」「良心のある人間になりたい」
そんな生き方を追求するのならば、パン屋である必要はないのかもしれない。
でも、「おいしいパンを提供する」ということで、「誰かの役に立っている」なら、それを否定してしまう必要もない。
目指す頂上の景色が、ぼやけている。
日々ライティングで自分と向き合うことは、このぼんやりとした輪郭を、クリアにしていく大切な手がかり。パソコンに向かう時間をひねり出し、問いかける。
どうしたいんだ、私。
そしてまた、明日のパンを練り始める。しっとりやわらかい生地は、文句なしに私をパンの世界に浸らせる。
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