メディアグランプリ

人生を変える一言は、素晴らしいものとは限らない


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
http://tenro-in.com/zemi/62637
記事:今泉まゆ美(ライティング・ゼミ木曜コース)
 
 
「お前のコミュニケーション能力はゼロだ!」
彼は突然怒鳴った。
 
私は一瞬固まった。
 
怒りを感じたり、ショックを受けたりしたからではない。
何を言ったらいいのかわからなかったのだ。
 
彼は私の上司だった。
会議室に二人きり。私の評価面談という名目ではあるものの、実態は彼の愚痴大会という
場で起きたことだった。確か顧客の悪口を言っていた時だったと思う。
 
彼の言葉の意味が全く分からない。なぜいきなり怒鳴ったのかも謎だ。
一体、どんなリアクションをするのが正解だったのだろう?
 
「そんなことありません!」と怒って否定し、いかに自分にコミュニケーション力があるのかをプレゼンし、論破するのが正解?
はたまた、「私はコミュニケーション能力が無い人間なんだ」と落ち込むべきだったのか?
 
唯一、分からないからといって、「それはどういう意味ですか?」と質問するのは火に油を注ぐだろうという事だけは察しがついた。
 
 
少し考えた結果、私は「そうですか」とだけ答え、面談時間を大幅に過ぎてしまったので
顧客との打ち合わせに急いでいく必要があると言って、とりあえずその場を後にした。
だが、私は「コミュニケーション能力がゼロ」だというのはどういう意味なのか、興味が
湧いたので考えてみることにした。
 
そして、私は数十万を支払い、コミュニケーションを学ぶビジネススクールへ
行ったのだった。
 
スクールでは雑談力や質問力、交渉力、相槌の打ち方などコミュニケーションについて
あらゆる事を学ぶ事ができ、沢山の収穫があった。
 
しかし、そこでは上司の言葉への答えを見つける事はできなかった。
 
面談から数か月後、私は念願かなって職場を異動する事になった。
最後に上司へ挨拶をしに行った時、彼の言葉がきっかけでコミュニケーションスクールへ行ったと話したら、「そこまでしなくても……」と、なぜかバツの悪そうな顔をしていた。
私は上司の言う事を真摯に受け止めて、「コミュニケーション」というものについて学ぶ
いい機会をもらったと感謝しただけなのに、なぜそんな顔をするのだろうと、更に謎は
深まった。
 
 
そして謎が解決しないまま、数年が経ったある日のことだった。
 
「俺は今まで何をしてたんだろう……」
夫が落ち込んだ顔で仕事から帰るなり、こう呟いた。
 
理由を尋ねてみると、部下の女性社員との面談をしていたところ、
「あなたは全然私の事わかってくれてない!」と怒られたというのだ。
「俺は彼女のこと、一つもわかってあげられてなかったんだなぁ……上司失格だ」
 
これを聞いた瞬間、私は吹き出した。
「いやいや、女性の『全然』は『ゼロ』って意味じゃないから。ただ強調したかっただけよ」
 
彼女が伝えたかったのは、私の気持ちに共感しているという態度や言葉がけをして
くれなかったために寂しいとか悲しいという気持ちになったという事なのだ、と夫に
解説すると、なんだそうなのか、と納得して笑顔になった。
 
その時、私は「あっ!」と叫んだ。
 
上司の言っていた「お前のコミュニケーション能力がゼロ!」は、
女子の言う「あなた全然私の事わかってくれてない!」だったのだと気付いたのだ。
 
まさか、上司が女子のような事を言うなんて夢にも思わなかった。
 
しかし思い返してみれば、彼が上司だった部署は「面子を潰された」とか
「あいつは気に入らない」とか、とにかく仕事に感情を持ち込む人が多かったのだ。
 
そして私は新人の頃から、仕事に感情を持ち込むな、論理的に説明せよという男性ばかりの
職場にいたので、いつの間にかそういった論理的思考になっていたのだ。
 
感情的になりやすい女性と論理的な男性。これが一般的なイメージだ。
 
しかし、上司と私はそうではなかった。
要するに、女性と男性の思考が入れ替わっていたということだ。
それは私にとって完全に盲点であった。
 
彼は「気持ちをわかってもらえなくて悲しかった」のだ。
大変ですね、頑張ってますねという労わりが欲しかっただけだった。
それなのに、論理的に対応策を出されたものだから、悲しい気持ちが爆発して怒ったのだ。
 
まさに、男女のケンカでよくある話しではないか。
 
するとあの時正しかった対応は、そのケンカで男性が言った方がいいセリフ、
「気持ちをわかってあげられなくてごめんね」だ。
まぁ、相手は上司なので適切な言い換えは必要だが、要はそういう意図を伝えれば
良かったのだ。
 
 
謎は全て解けた。
上司のバツが悪そうな顔の意味も、ようやく納得できた。
自分が感情のままに口走った事で、相手が何十万も支払っていたら確かに気まずい思いを
するだろうし、まさかそんな事を10歳も下の部下に言ったなんて一刻も早く忘れたいし、
忘れて欲しかったことだろう。
 
しかし、10年近く経っても私は忘れる事ができなかったし、今後も一生忘れない。
なぜならそのおかげで苦手だったプレゼンや自己紹介を克服できたり、世代の違う仲間もできたりと得たものが沢山あったからだ。コミュニケーションスクールに行っていなければ、おそらく会社を辞めて独り立ちしようとも思わなかっただろう。
 
彼の感情的な一言のおかげで、私の人生が大きく好転したのだ。
どれだけ感謝してもしきれないほどである。忘れるなんて、失礼なことはできない。
 
 
いつか上司に再会したら、当時の察しの悪さを詫び、感謝を伝えた後で、
ぜひ「今のコミュニケーション能力は何点ですか?」と冗談まじりに聞いてみたいものだ。
***

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2018-10-25 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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