娘を「どろぼう」扱いする父親へのラブレター
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:杉本織恵(ライティング・ゼミ平日コース)
私の父は、顔が怖い。
イメージとしては、ふてぶてしい政治家のような感じ。高校の友人達からも「見た目怖い」と言われていたし、サングラスかけて運転していると周りの車が道を譲ってくれるくらい、顔が怖い人だった。
そして、私は父に顔が似ている。
子供ながらに、それがとても嫌だった。幼稚園の頃「お父さん似だね」と言われ、ギャン泣きしたらしいし、かなり大きくなるまで「お母さんに似たかった」「どうして私はお父さん似なんだろう」と心から思っていた。
小学校になると、父は「何でもいいから、学校で一番になれ」と、よく言った。
勉強も運動も音楽も図工も、真ん中あたりをウロついていた私にとって、それは過酷な要求だった。地方の公立小学校のレベルで、勉強は「まあまあできる」くらい。運動は、特にボール競技が苦手だったし、運動会の徒競走も6人中3位か4位、マラソンなんて嫌いすぎてサボる方法ばかり考えていた。ピアノは練習が嫌いで辞め、図工は一生懸命描いた絵を先生にみせたら「真面目にやれ」と言われる始末。授業についていけない程の劣等生ではなかったけれど、決して表彰されるような優等生でもなければ、これだけは誰にも負けないと誇れるものを持っている子供でもなかった。よくいる、ごくごく普通の小学生だったのだ。
「くやしくないのか!?」と、よく父に聞かれた。
おそらく、私を炊きつけてやる気を引き出したかったのだと思うが、私はその度に沈黙していた。正直、困っていた。くやしくも何ともなかったから。でも、そこで「別にくやしくない」と言ったら、父の期待を更に裏切って傷つける気がして、沈黙を通すことで「くやしいフリ」をしていた。父がどうしてそんなに「一番」と言うのか、私には理解できなかった。
ありがたいことに、私には姉妹弟がいて、この3人が学校でも目立つタイプの優等生だったので、彼らが「学校で一番」を取ってくれていたのをいいことに、私はその陰に隠れることにした。自分だけ一番を取れない劣等感は、いつもついて回ったが、その痛みはずっと、見ないフリをしてきた。
父にはよく叱られたし、叩かれた。理不尽に怒鳴られたこともあるし、怒られた理由が全く理解できなかったことも、多かった。
この程度の親子の行き違いというのは、おそらくどこの家庭にもあるだろうと思う。タイプは様々かもしれないが、うちの父が特別酷いとは思っていないし、私が特別できの悪い子供だったとも思っていない。
父は父なりのやり方で、私を愛してくれたと感じている。顔が似ているのは嫌だったし、理解できないことも、理不尽なことも多かったけれど、顔が怖くて、生真面目で、不器用で、外面はいい、そんな父のことを、子供の頃から好きだった。
ただ、どうしても、上手い距離の取り方がわからなかった。好きだけど嫌いだったし、一緒にいると心がヒリヒリすることも多かった。どうにか私のヒリヒリに触られないように会話をしようと苦心していた。父のことを人として理解するには幼かったし、父は父で私を理解するのが難しかった部分もあると思う。
そんな父と私との関係が変わったのは、わたしが大人になってだいぶ経ってからだ。
家を出て、仕事に就き、それなりに苦労もし、様々な角度から自分を見つめ直す時期を過ごした。その結果、父親に対して「親」というフィルターを大幅に薄くし、ひとりの人間として見れるようになったのだ。
フィルターが薄くなったというのは、父に対して「私が求める父親像としてふるまってほしい」という期待が薄れたと言い換えてもいいかもしれない。無意識に持っている親への期待、長年蓄積してきた感情といった、赤ん坊の頃から何十年もかけて培ってきた関係のもつれの、大部分するすると解けていった感覚だ。
他人になら許せることも、身内になると許せない、など、親や家族に対して感情はとても揺らぎやすい。けれど、フィルターが薄くなればなるほど、感情が乱されることは少なくなっていった。また、フィルターが薄くなったからといって、愛情が減ることも無かった。好きだけど理解できないし、理不尽だし、何かイライラするし、面倒臭い、という関係から、親として愛してはいるが、感情はかなりフラットな状態を保てる関係に変化したのだ。
この私の変化は、不思議と父に影響を与えた。自分が変われば相手も変わるというが、まさにその通りのことが起こったのだ。私が父に対して穏やかになったように、父も私に対して以前に比べて格段に穏やかに接してくれるようになった。
この頃から、父は「娘はどろぼうだ」とよく言うようになった。
既に家を出た娘たちが実家に帰ると、いただきものの野菜やら、母の作った惣菜やら、父が買いためていたハンドクリームやら、欲しいと思ったものをもらって帰ってしまうからだ。居住者公認のどろぼうのようなものである。
だが、「娘はどろぼうだ」と言う父の顔は、とても嬉しそうだ。どろぼうの為に、わざわざ乾物が買い足してあったり、野菜をもらってきてあったりする。ウキウキしながら、お酒を買いに行こうと誘う。成人しても、娘がいい年になっても、父親というのは娘に甘いらしい。だいぶ遅くなったが、父と感情的に引っ掛かりの無い、フラットな関係を築くことができて、本当に良かったと思う。
これからも「どろぼう」として甘えながら、一緒にいられる時間を大切にしていきたい。
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