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メディアグランプリ

心の傷に、埼玉市北区がじんわり効いた話


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:西田博明(ライティング・ゼミ平日コース)

温泉もない。パワースポットでもない。「埼玉の母」がいるわけでもない。
だけれども、心の傷にじんわり効く場所が、埼玉市北区にある。
大宮から一駅だ。

みんな、いろいろ大変な思いをしてるんだと思う。
そう思いつつも、僕もそれなりに、傷の多いやつだなぁと思う。

僕は、なんだか、クラスにフィットしないやつだったらしい。

クラスの討論で、自分の意見をいうと、笑われる。
終礼で、「先生、西田クンが・・・」って言われる。
サッカーやドッヂボールで、「西田はあっちのチーム」ってたらい回し。

クラスメートの、「また西田やぁ~~」っていう声は、
いまも、耳の奥にはりついている。

一言でいえば、コミュニケーションがめちゃくちゃ下手。
ついでに、ひょろひょろで、運動神経も悪かった。

みんなが、あたりまえに従っている「空気」みたいなもの。
「こういう時はこうするよね」っていう、予定調和。

先生が、口では「自由にしていいんだよ」といいながら、
心の奥で期待していること。

そういうことが、全くわからなかった。
僕には空気が、透明にしかみえなかった。

みんなのことが、どうしてもわからないから、
自分の気持ちや考えを、どう伝えていいのかもわからない。

誰もわかってくれない……

僕は、どんどんひねくれていった。
クラスの仲間を、心の中でバカにするようになった。
「こいつらは頭が悪いから、話が通じないんだ」って。

みんなのことが気になる。
だからこそ、もっとトゲトゲしてしまう

自分の居場所を作ろうとすればするほど、
みんなから、離れていってしまった。

大学1年生、突然、姉が死んだ。
「ありがとう」も、「ごめんなさい」もいえなかった。

ショックだった。

そして家族は、姉の死でいっぱいいっぱいだった。
「もう僕はの家では甘えられないんだな」って思った。

ひとりぼっちだって思った。
寂しくて、仕方なかった。

ひとりぼっちで生きていくことが、
そしてそのまま、人生が終わるかもしれないことが、
怖くて仕方なかった。

もっと強くならなきゃ、と思った。
自分を変えなきゃ、とおもった。

自分の過去を、乗り越えようとした。
もっと、明るくて、人とつながれる人になろうとした。

だから、いっぱい勉強した。
てあたりしだいに、本を読んだ。
何かを教えてくれそうな人に会いにいった。
お金を払って、セラピーを受けたり、コミュニケーションを学んだり。

それでも僕は、ひねくれたままだった。

誰かを信じるのが、こわい。
誰かに否定されるのが、こわい。
何かあったら、過剰に相手を責めてしまう。

コミュニケーションスキルを上げたって、
いつまでも、傷跡が残る。

そんな自分が嫌だった。

そんな時、海外からのお客さんを迎える機会があった。

そのコースの一つに、「大宮盆栽村」があった。
ぼんさい。鉢植えの、小さな木。

そんな盆栽の聖地が、
埼玉県北区にあった。
JR土呂駅から、歩いて10分ほどのところ。

盆栽(ぼんさい)。
最近は海外でも「BONSAI」として人気らしいけど、
日本では、平安時代ごろから受け継がれてきた芸術らしい。

数十年モノの作品なんて、普通。
300年モノの作品なんてのも、あるらしい。

盆栽村は、江戸で盆栽を作っていた職人たちが、
100年近く前、関東大震災をきっかけに、移住して、
盆栽大好きなひとのための、地区を作ったらしい。
盆栽の美術館もある。

道ばたを歩いてると、盆栽を作っている盆栽園があって、
職人さんが盆栽を手入れしている。

盆栽美術館にも、いろんな盆栽が展示されている。

その中に、幹の折れた盆栽があった。
樹皮もはがれて、真っ白になった中身が見えている。

ちょっと、白骨化したみたいな……
でも、美しかった。

盆栽の世界でも、
ジン(神)とか、シャリ(舎利)と呼んでいて、
ぼんさいの魅力の一つらしい。

障害物のせいで、斜めに育った盆栽もあった。
幹が、まっすぐじゃなく、斜めに伸びている。
それでもぐいっと枝を張って、小さな花を咲かせている。

風にさらされて、枝も幹も、片方だけに伸びてる盆栽もあった。
ぐにゃりとねじれながら、
それでも、葉っぱをつけて、頑張ってる。

美しかった。

小さくて、太い。
生きてる、って感じがした。

きれいにまっすぐ伸びている木よりも、美しい。

曲がってるからこそ、おもしろい。
ねじているところに、味がある。
折れてるところも、美しい。

もしかしたら……

僕たちも、そうなのかもしれない。

全く傷もなく、こじれたところもなく、
つるっと、むきたてのゆで卵みたいな人。

つやつや、キレイかもしれないけれど、
3分見たら、見飽きてしまうかもしれない。

いろんな傷を抱えながら、
それでも、生きている人。
そこに立つ姿や表情だけで、絵になるかもしれない。

人生の大変さに直面しながら、
ねじれたり、こじれたりしながらも、
それでも、生きようとしている人。
どれだけ話を聞いても、飽きないかもしれない。

曲がってるからこそ、おもしろい。
ねじているところに、味がある。
折れてるところも、美しい。

だから、もう、つるっとキレイな、無傷な人。
ゆでタマゴみたいな人間を目指すのは、やめよう。

傷があったら、なおさない。
大切にしよう。
それは、自分の味になるかもしれない。

ねじれているなら、なおさない。
それでも、そのまま伸びつづけたとき、
それが、自分のおもしろさになるかもしれない。

折れてたって、いい。
それでも根を張って生きている姿が、
誰かの胸を打つかもしれない。

とげがあっていい。
枯れたところがあってもいい。
ふしくれだってて、いい。

傷が開いて、日常生活に支障があるなら、
ちょっと養生すればいい。
栄養を取ったり、太陽の光を浴びたり、
誰かに優しくしてもらったり。

でも、完治しなくてもいい。
かさぶたのままだっていい。
ときどき、痛んだっていい。

そのまま、それでも立つ姿が、美しい。
そう思ってくれる人が、いるんだから。

これからも、僕は不器用だったりするだろう。
昔の傷が、痛むこともあるだろう。
これから、また何かあって、こじれたりするかもしれない。

だけど、それでいい。
そんな時は、あの盆栽を思いだそう。

でも、ゆで卵は目指さない。
きれいなバラも目指さない。

じっくり時間をかけながら、味のある盆栽として、
自分を育てていこうと、思ってる。

***

この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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2018-10-31 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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