メディアグランプリ

部屋に池ができたら「生きている」実感が湧いた


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:いづやん(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
「うわ、池みたいになってる」
 
思わず口から言葉が出た。ひっぺがした畳の下は一面池みたいな水たまりができていた。
 
自分の身にこんなことが起こるなんて、昨日までは考えもしなかった。人生、何が起こるかわからないというのは本当らしい。
 
東日本大震災のあった3月11日の翌日、地震後に会社から4時間かけて歩いて帰った部屋は、一見なんの変哲もないように見えた。よかった、心配していた本棚もちょっと本が落ちているだけで済んでる。部屋の外は大変なことになってるけど。
 
住んでいるマンション内のどこかで水道管が破裂したのか、一階のエントランスや一部の廊下が水浸しになっていた。しかもエントランスは電気が消えて真っ暗。
 
だが、部屋は水道が止まっていたこと以外はいたって普通に見えた。
 
テレビでは震災の被害が続々映されて、不安な夜が過ぎていった。
 
「まず、水をなんとかしないと」
 
翌朝、寝る前に見たテレビの惨状と時折鳴る警報でよく眠れないまま目を覚ました僕は、まず必要最低限の水を確保しようとした。
 
近所のコンビニに行ってお茶を数本買って戻り、余震があったときのために旅行用のザックにキャンプ道具一式を詰めた。
 
ほどなくして、マンションの管理人と知人らしき人数名が、「部屋の畳をはがさせてほしい」とやってきた。
 
「え? うちの部屋?」まさかと思った。うちには何も被害はないと思っていたのに。
 
聞けば、うちから水が漏れているかもしれないという。
 
半信半疑のまま、部屋の畳を一枚ひっくり返すと果たしてそこには池が出来上がっていた。
 
「昨日の地震でどうやら給湯器の配管がずれて、水が出てる部屋がいくつかあるんですよ。その水が下の階に落ちてきて大変なことになっています」
 
なるほど、昨日のエントランスやら廊下を流れていた水は給湯器が壊れて溢れたものだったのか。
 
そこからは、部屋の荷物やら棚をできるだけ端に移動し、畳をどうにか全部上げて、床にたまったベランダに掃き出す作業をした。給湯器からの水は相変わらず少しずつ流れ出し、キッチンの下の床を通り、部屋側の床に濡らしている。
 
「これはしばらく土間生活だな……」
 
給湯機の配管を直すまでは水道を止めるしかなく、畳を上げた部屋で生活ができないので、狭いキッチンで寝泊まり。水も出ないという被災生活にいきなり突っ込むことになった。
 
「うちに土間あるんだけど見ていかなーい? じゃデートの誘い文句にもならないな」自嘲気味に乾いた笑いが出た。
 
不幸中の幸いだったのは、マンション全体では見れば普通に水道が使えること、外のゴミ捨て場にある水道は自由に使っていいとのことだった。
 
「まずは、水くみからだな!」
 
近所のホームセンターに行き、バケツを2個買ってきた。トイレを流す水のために、浴槽に水を貯めるからだ。外のゴミ捨て場の水道でバケツに水を入れ、2階の部屋の浴槽に流し込む。
 
それを10数回。結構な重労働だ。
 
時折、部屋の隅から染み出してくる水を、買ってきた吸水スポンジで吸い取る。
 
水は出ない。部屋もほとんど使い物にならない。お風呂は近所の銭湯に通うことにした。普通に考えて不自由な生活だ。
 
だが、心は不思議と「生きている」という実感で満たされていた。
 
毎日決まった時間に起きて、会社に行き、仕事をして、帰って寝る。その当たり前の繰り返しが震災によって「今日、どうやって一日を凌ごう」という緊張感が与えられた。
 
本当の被災地に方には到底比べるべくもない小さな不自由かもしれないが、この被災生活は僕にとっては「生きている」ということを少し見直すきっかけになった。
 
この当たり前の日常は、ちっとも当たり前ではなかったということ。それに気が付かされた。
 
水道は、二週間後に出るようになった。蛇口をひねれば当たり前に水が出ることがこんなにありがたいことなのかと、涙が出そうになった。
 
流れ出る水を手に受け止めて、しばらく見つめてしまったほどだ。
 
キッチンでの寝泊まりも板についてきた。人は、慣れる生き物だというのは本当だ。たった3畳ほどのスペースでも工夫で快適に生活できるのが、人間という生き物なのだ。震災から半月経つ頃にはそんなことを考えるようになっていた。
 
一ヶ月後、水が染み出していた床も完全に乾き、畳を入れ替えることになった。真新しい藺草の香りに包まれた部屋は、さながら新築のようだった。
 
「体を伸ばして何回転もできるう!」
 
寝そべって部屋の隅から隅まで転がっては、新しい畳の感触と部屋の広さを実感した。
 
昔好きだった漫画に、勤めている会社がトラブルで自分の部屋に移転してきて、プラベートスペースが著しく減った主人公を描いたお話があったが、まさか20年以上も経って彼の気持ちがわかることになるは思わなかった。
 
そんな実感さえも面白くて、大変だった震災時の出来事を今でもたまに思い出す。
 
気がつけばこの部屋も、住んで14年ほどになろうとしている。愛着がないかと言えば嘘になる。震災が起きて被災生活を送ることになっても離れなかったこの部屋を、僕はある意味その時以上に大変になるであろう「結婚生活」というイベントのために、離れようとしている。
 
これまでと同じ日常は戻ってこないかもしれない。だが、「人は、慣れる生き物」だ。
 
次は、三畳一間とはならないよう、何かあったときのためにもう少し慎重に部屋を選んでもいいと思った。そして、予測できない新しい日常は、最近また忘れがちになっている「生きている」という実感をまた思い出させてくれることだろう。

 
 
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2018-11-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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