メディアグランプリ

蟹と狂気と家族愛


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:水峰愛(ライティング・ゼミ木曜コース)
 
「地球最後の日に食べたいものは何?」
1999年に地球が滅亡すると信じていた世代なら、こんな質問をしたりされたりしたことは、一度や二度ではないだろう。
当然私もある。それには以前から明確な答えが用意されている。
正直、可愛げの無い答えだ。特に、コンパで答えることはオススメしない。それを知っている人からは、「通ぶった嫌味で贅沢な女」というイメージを持たれるかもしれず、よく知らない人からは、特に深く質問もされず、話が広がらないまま終わる可能性がある。
 
その回答は、「あったかいご飯とお味噌汁」の対極に位置する。
ライトな飲み会なら良いかもしれないが、慎重に結婚相手を探しに行く場で、妙齢の独身女性が出す回答としては、完全な墓穴と言っていい。
しかし私は堂々の既婚者なので、退役軍人のような気持ちであえて言おう。もう男ウケもクソもあるか。
 
私は、地球最後の日に、「松葉ガニ」を食べたい。
 
 
松葉ガニとは、冬の味覚・ズワイガニのうち、山陰地方で水揚げされた雄を限定して指す呼称だ。呼称というか、もはやブランド化している。上等なものだと、ブランドタグよろしく、水揚げした船の屋号を記したタグが親指にはめられている。
私の実家は、山陰地方で水産加工業を営んでいて、そのルートで、相場よりも安く仕入れたものを、毎年一度だけ、東京へ送ってもらっているのだ。
価格は、時期や重さによって異なるけれど、1杯(というのは、1匹という意味)1万円〜を見ておいた方がいい。
 
蟹1匹に1万円である。
どう考えても高い。
でも、私は、1万円払ってでも松葉ガニを食べたほうがいい理由を言える。
あれは悪魔だ。いや、ただの悪魔ではない。
例えるなら、男を狂わせるファム・ファタールのような、甘美で破滅的な悪魔だ。
松葉ガニには、それだけの「色気」がある。
 
まず、松葉ガニには水揚げの時期が決まっていて、冬しか食べられない。もしかすると冷凍のものが出回っているかもしれないけれど、一番美味しく味わうなら、もちろん生だろう。
年末に向けて価格が高騰し、1枚3万円の値がつくこともあるので、解禁直後の11月を狙うと良い。販売期間と価格の兼ね合いを見ても、我々のような一般人が食べるなら、だいたい年に一度になってしまう。
レア感というのは、人の感情を煽り、執着を生む。これが通年水揚げされるものなら、恐らく価格はもっとずっと安いだろう。
 
そして待ちに待った逢瀬の日。
これは松葉ガニに限ったことではないが、蟹はとにかく食べるのに手間がかかる。気をつけなければ、固い殻で指を負傷したりする。
最初の「美味しい」を言い合う段階が終われば、家族はひたすら個々の作業に没入してゆく。食卓は解体し、茶の間にはテレビの音声だけが流れる時間が続く。
 
殻の中には、甘く芳醇な身が、ぎっしりと詰まっている。それがわかっているのに、食らいつくことができない。そのもどかしさに、皆が酔っているような気がするのだ。
「もどかしさ」
それは、人を狂わせる鍵のようだ。思うままに扱えるものに、人は真剣に向き合うことをしない。
白く、艶やかな身を、少しずつ掻き出して食べる。
あまりの美味しさに、ため息が漏れる。
ため息だけが漏れる。
あんなグロテスクな外観に、あんな上品な味わいの身を詰めた神は残酷だと思う。そして、あんなグロテスクな外観の生き物に美味しさを発見し、価値を与えた人間の貪欲さに感嘆する。
身を食べ進めて行くと、次は蟹味噌である。
松葉ガニは、身が美味なのは言うまでもないが、その真髄は蟹味噌にある。
蟹味噌というのはなんだろうと考えてみたことがあるが、あれは脳みそではなくて、中腸腺という栄養の消化吸収を担う器官らしい。そのほかにも、肝臓や膵臓の役割も果たしている臓器とのこと。概要も見た目も、著しく不味そうである。不味そうというか、食べ物に思えない。綺麗に言って、泥である。
ところが。これがとびきり美味なのだ。よく、瓶詰めされた蟹味噌が売ってあるけれど、あれはもう別物だと思った方がいい。
まず、しっかり火を通した蟹味噌の入った甲羅に、ほぐした身を入れる。それだけで食べても美味しいが、そこに白米を入れ、醤油を少量垂らすと、この世のものとは思えない食べ物が出来上がる。
白米の代わりに、日本酒を注ぐという上級者向けの食し方もある。
いずれにしても、蟹味噌は松葉ガニにおけるメインディッシュだ。
一年間待ち、財源や、固く厄介な殻、98度くらいまで熱された甲羅など、幾多の困難を乗り越えて、ようやく我がモノとなる蟹味噌だが、実質量はとても少ない。
だから、家族で分け合うとなると、ものの数秒で終わる。
口に入れた瞬間、濃厚で複雑な甘さに、脳がほどけるような快感が走る。そして、それは切ない余韻となって、やがて消えてゆく。一瞬のできごとだ。
 
夢から醒めたあとには、あと片付けという現実が待っている。
蟹を食べたあとは、とても汚い。
テーブルにも服にも、殻や蟹身の細かな破片が付着していて、10本指の全てが、忌々しいくらい蟹くさい。
だからまず、着ていた洋服をすべて洗濯カゴにぶちこみ、手を洗う。(無論、服はスエットだ。アンゴラのセーターなどは、間違っても着てはならない)
そして、累々と積み上げられた蟹の殻、もとい1万円の蟹の残骸を片してゆく。
しかし、ここで、一旦解体していた食卓はまた一つの家族になり、後片付けという作業を通して、機能を再開する。
「うまかった」
「まじでうまかった」
「明日死んでもいいわ」
「それは嫌だわ」
会話の9割はこんなものであるが、これ以上の言葉を必要としないことには、たしかに暖かさのようなものが宿る。
 
私が好きなのは、案外この「祭りのあとの一体感」なのかもしれないなと思う。
松葉ガニという魔性の食べ物を通し、個々の作業に没入することで、それが終わった時に見慣れた家族と再会するような、ささやかな新鮮さを味わうことができる。
似たような感想に共感しあい、後片付けの共同作業を通して、家族の時間がまた動き出すのだ。すこしだけリフレッシュされて。
 
だから、やっぱり松葉ガニには、1万円の価値がある。
それは、美味しいからという単純な理由だけではない。
衝撃的なまでに美味しいという体験が、家族を個人に戻し、そのことが結果的に家族の絆を再確認させてくれるからだ。
そう考えれば、旅行よりは安く、コスパがいいのではないか。
そんな言い訳を考えながら、やはりどこまでも享楽的な蟹食を夢想する私である。
 

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2018-11-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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