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まるちゃんの幸せ ~50代パート主婦という生き方~


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:金澤千恵子(ライティングゼミ・木曜コース)
 
「私ね、いますごく幸せ」
古都鎌倉のカフェで、久々に再会した友人、まるちゃんはしみじみと言った。
もうする50歳になるまるちゃんは、スーパーでパートをしている。
「もうすぐ1年になるかな。始めたときは、こんなに続くと思わなかった」
 
まるちゃん、というあだ名の由来は苗字が丸山だから、という単純な理由なのだが、丸顔で目もクリクリしたまるちゃんには、その呼び名がよく似合う。
少し栗色がかったショートカットの髪、色白の肌。
白いパンツにブーツ。レース編みの薄いストールを羽織ったまるちゃんはとてもおしゃれだ。
けれどまるちゃんはいつもは、家の近所のスーパーで、「パートのおばちゃん」をやっている。
 
彼女の持ち場は、惣菜売り場だ
「出勤は7時なんだけどね。7時に入ったんじゃとても間に合わないから、6時46分にタイムカードを押すの」
まるちゃんは喜々として言う。
「それから9時の開店までが勝負」。
そのスーパーでは、惣菜はすべて店内の厨房で作っていて、朝は戦場のような忙しさだという。
9時の開店前までに、お昼ごはん用に総菜やお弁当を買いに来る人のため、全種類の総菜を調理、パック詰めまですべて終えて、売り場に整然と並べておかなければならないのだ。
なのに、その売り場は慢性的に人手不足だ。
それというのも、仕事自体が忙しくて大変だというばかりでなく、ベテランのパートさんのなかに一人とても人当たりのキツイ人がいて、何人新人を入れても、そのベテランさんのせいですぐに辞めてしまうのだという。
まるちゃんも入った当初はキツイ言葉をぶつけられて、かなり参ったらしい。
 
食品を扱うので、衛生面などから規則が厳しく、失敗も許されない。たとえば揚げ物のバック詰めのときでも、直接商品に触れないためにビニール手袋をして詰めるのだが、パックを閉じるときに手袋をしたままでは、パックの外側に油がついてしまい、商品を手に取ったお客様の手が汚れてしまう。
だから、1秒を争うような開店前の緊迫した状況のなか、ひとつ詰めるごとに手ぶくろをはずし、パックを閉じたらまたはめるという、面倒な過程を繰り返さなければならない。それを忘れようものなら容赦ない叱責がとぶ。
ただでさえ、慣れない仕事を覚えるので精いっぱいなのに、人間関係の厳しさも重なり、毎日疲労困憊だったそうだ。
 
そんな日々のなかでも、まるちゃんはなぜかやめたいとは思わなかった。
なぜなら、まるちゃんはそのとき初めて、今までの人生で感じたことのなかった「はたらくよろこび」を感じ始めていたからだ。
 
まるちゃんは、若いころOLだったときには,大企業の国際事業部で仕事をしていた。
専業主婦になって40代になってからは、精神世界を探求し、ヒーリングの能力も身に着けた。
だけど、当時中学生だったお嬢さんが心の病になったことをきっかけに、どん底まで苦悩し、とことんまで打ちのめされた。親子で地面をはうようなつらさを味わった。
そしてやっとお嬢さんの病に光が見え始めたとき、経済的な理由で仕事を探すことになった。
 
そのパートで、まるちゃんは思いがけない自分の一面を発見した。
早朝から、慣れない作業の連続。
息つく間もなく次から次へと仕事を指示され、少し慣れてくると、今度は一連の作業を一人で任される。
ひたすら考え、準備をし、動く。余計なことを考える時間は一瞬もない。
けれど、その繰り返しのなかに、強烈に「生きている実感」があった。まるちゃんはそこに、静かな喜びを見出した。
 
新しいことを覚える。最初はうまくできない。でも失敗を繰り返しながら、できるようになっていく。そしてどんどん、うまくなっていく。
それによって、同僚の助けになり、喜ばれる。
自分の詰めて、並べた商品を手に取って、選んで、買ってくれる人を、自分の目で見ることができる。
こんな幸せなことはないと、まるちゃんは感じた。
 
体はきつくても、つらく当たられても、まるちゃんはただただ黙々と、誠実に仕事をこなしていた。そしたら、少しずつ信頼され、新しい作業を任されるようになった。きつかったベテランさんが、いつしかまるちゃんに優しくなった。そして総菜部全体の雰囲気が次第によくなり、働きやすくなった。
 
まるちゃんの仕事は徐々にステップアップし、ある日「フライヤー」を任されるようになった。フライヤーは、揚げ物の係だ。メンチカツやコロッケやフライドチキンを、一人で大量に揚げる。最初に少しだけ教えてもらえるが、すぐに「一人でやってごらん」と手を放された。
また戦場のような日々が始まった。
コロッケを油に沈めたら、パッと向きを変え、カツを油に入れる準備をする。タイマーが鳴ったら素早く振り向いてコロッケを油から上げる。そして今度はカツを油に沈め、タイマーをかける。一瞬も手を止める暇はない。体は休みなく動くけれど、心は余分なものがどんどんそぎ落とされ、静かで、そして喜びに満ちていた。
 
「ちょっと前まで、スーパーで働くなんて、夢にも思っていなかったの」とまるちゃんは言う。「自分にそんな能力があるなんてとても思えなかった」
自分を見くびっていたと、油がはねて小さなやけどの痕だらけの手をながめながら、まるちゃんは言う。
自分はもっと、体も心も弱い人間だと思っていた、と。
でも毎日早朝に起きて、精いっぱい体を使って働いているうちに、まるちゃんはどんどん丈夫になり、元気になっていった。
 
そうしてついに、まるちゃんは「天ぷら」を任されるようになった。
天ぷらは、惣菜部の最高峰。最も難しい仕事で、本当にベテランの人しか任せてもらえない。
でもまるちゃんはその実力が認められ、とうとうその係に抜擢されたのだ。
 
まるちゃんは今、午前中だけで海老天を80本、イカ天を30本、そのほかにもサツマイモやナスやかき揚げや、山のように天ぷらを揚げている。両腕に負担がかかり、整体に通うので、パートの給料では見合わないような気がするの、と笑いながら、まるちゃんは嬉しそうだった。
 
心の病の回復には時間がかかる。
まるちゃんのお嬢さんはまだ、回復の途上にある。
「娘に頼まれた飲み物を買っていくから」と、凛とした笑顔を残し、鎌倉の街角に消えていったまるちゃんを、私は心から、かっこいいと思った。
 
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2018-11-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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