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メディアグランプリ

高速道路での事故が気づかせてくれた生き方の転換


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:近本由美子(ライティング・ゼミ木曜コース)
 
「大丈夫ですか!」
茫然と高速道路の路肩に立ちすくむ私に 見ず知らずの二人の男性が車を横付けして
駆け寄ってきた。
私に投げかけられた言葉に返す言葉も出ないでいた。
目の前には、ボンネットが大きくゆがんでもはやそのカタチをなしていないチャコールグレーの普通車。その車からは白い煙が上がっている。その車はさっきまで私が運転していた車に違いなかった。
前方には、衝突によって観音開きのドアが壊れた白いバンの車が止まっていた。
ハッと我に返った私は、その男性達に「大丈夫です」というのがやっとだった。
そして前方の車の持ち主にかけよって「すいません! 大丈夫ですか!」と声をかけた。
私は高速道路で衝突事故を起こしてしまったのだ。
 

連日続いていた睡眠不足の影響と事故の衝突で頭は朦朧としている。
そんな頭で「今日の会社の営業会議には参加できない。上司に報告しなくては。何と言われるだろう……」 車が大破する事故を起こしたというのに頭は仕事のことでいっぱいだった。
 

それは平成が始まって世の中がバブル景気から失われた20年へと進んでいく頃の出来事だった。
価値観の切り替えは急には進まず、頑張ることや根性がヨシとされ、「24時間戦えますか!」がキャッチコピーになる栄養ドリンク剤がまだ売れていた時代だった。
当時は、働けば働くほど収入も上がり豊かになるというバブル時代の価値観の残像が色濃く残っていた。
 

その頃勤めていた会社では営業の仕事で毎月が数字との戦いだった。
直属の上司に毎日の数字の報告をし、成果が上がっていないと厳しく叱責された。
平成どころか昭和な感じの会社だった。
会社の掲げる理念と理想に未来を感じ転職したのだったが、1年も過ぎると責め立てられる時の叱責と成果が出たときの称賛のアンバランスさに自分を見失いそうになっていた。
私は時間のすべてを仕事に費やし、プライベートの時間もほとんどなくなっていた。
それはそうしたくてそうしているのではなく恐怖に掻き立てられそんな毎日になっていた。
 

移動が多い営業の仕事で当時私はすでに携帯電話を持っていた。その電話で上司に事故の連絡をすると「バカヤロー! 何ぼさっとやってんだ! 日頃から雰囲気が暗いからそんな目に合うんだ!」という言葉が耳に飛び込んできた。
そのあとの上司の言葉は全く覚えていない。
ただ上司は高速道路での事故の報告と会議には参加できないと伝えた私に怒鳴り声の返答しかなかったことだった。ケガの問いかけは皆無だった。
もっともだった。会社に対する責任が果たせなかったわけなのだから。
 

そんな罵声の電話を切った私のところに高速警察隊がやってきて事故の現場検証が行われた。
私の車は見る影もなく誰が見ても廃車だった。
「あなた居眠りしていたんでしょう?」そう聞かれた。
でもそうではなかった。目の前の車の低速運転に気づくのが遅れ、ブレーキを踏みだしたのだが間に合わなかった。
意識がはっきりしていたからなのか、私は無傷でどこも異常がなかった。
 

事故の処理が終わると猛烈な後悔に襲われてきた。
車が使えなくなった私はJRの鈍行列車に揺られながら実家に向かった。
 

どうしてぼっーとしてたんだろう?
事故の相手の人は大丈夫だろうか?
父や母になんて言われるだろう? 特に父は何と言うだろう?
明日からの仕事はどうやっていけばいい?
初めて起こした事故が高速道路であったこと。
車が廃車になるくらいの事故だったこと。
そして会社の営業数字に追われる毎日のこと。
そんなことがフラシュバックするばかりで一向に思考は定まらない。
睡眠時間を削って働いている自分の毎日が揺られる列車の中でなんとも哀れに感じた。
車をなくした私は、一人暮らしの自分の部屋には戻らず実家に戻ることを選択した。
初めて起こした事故の報告を親にしないわけにはいかない。
父は何というだろうか?
父は繊細で厳しい人だった。戦前生まれの父は何かと厳格なところがあって私は一度も反抗したことはなかった。
だから自分の本当にやりたいことは相談をしないで自分で決めてしまうところがあった。
進学の時。就職の時。転職する時。決めた後の事後報告だ。
それは父が怖いからでもあったし、苦手でもあったからだ。
 

「ただいま」としばらくぶりに実家に帰ったところに父がいた。
「おう! お帰り。めずらしい。どうした?」と父。
「……」
「それがね。今日、高速道路で交通事故おこして前方車に衝突したの。それで相手の人はむち打ちになったみたいで、私の車は廃車になった……」
 

その父の第一声は……。
「けがはなかったか! 事故の相手の連絡先は聞いているのか?」
父は娘の体の無事がわかると、すぐに事故の相手の連絡先に謝罪の電話を入れ、後日自宅に私を改めて謝罪に行かせることを伝えた。
そうして、「一歩間違っていたらもっととんでもないことになっていたよ。不幸中の幸いと思ったほうがいい。今日はもう疲れただろうから、二階に布団を敷いてすぐに休みなさい」と言った。
「うん」それだけしか言えず私は布団を敷いてその中にもぐりこんだ。
 

もぐりこんだ布団の中で、事故を起こした自分の不甲斐なさを思いながら涙があふれてきた。
その涙は事故の緊張が解けた涙でもあった。もしかしたら死んでいたかもしれないのだ。
そして、命が危ない時に真っ先に自分の身を心配して対応してくれた父の愛情を感じた涙でもあった。
「自分はいったい何のために働いているのだろう?」 そう問いかけずにはいられなかった。
働くことは、自分の人生の在り方を決めることだということなのだ。
「私は誰のために働きたいのだろう?」
「そもそも私は誰と時間を過ごすことを喜びとしたいのだろう?」
 

高速道路での事故は、私にもう一度「何のために働きますか? あなたは誰を大切にしたいのですか?」を問いかけてきた。
 

それから25年の時が過ぎ、平成の時代は終わりを迎えようとしている。それとともに働き方も暮らし方も趣味も多様化し細分化された時代になった。それは人の違いを認めることが当たり前である時代にシフトした。
現在の私は個人事業主という働き方に変化を遂げた。
もうすぐ訪れる新元号はどんな時代とその後語られるのだろう。新しい創造の時代がやってくる。

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2019-01-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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