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メディアグランプリ

キムチへの愛を大声で叫びたいところ、こらえて静かに語ってみた


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:永森ゆり子(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
小学生の頃、父の車に乗せられて時々行く店があった。上からガラスケースをのぞくと、何やら朱色にそまったものが銀色の四角いケースにどっさり詰め込まれ並んでいた。白濁した液につかりながら顔を出している大根や白菜らしきもの、白菜の塩漬けのようなものや醤油のような色の液に漬かった大根もあったのだが、その大半が朱色だった。
 
漬物屋さん?
 
でも、何でこんなところまで来るのだろう。奥がどこか別の世界に繋がっているのではないかと思うような雰囲気の店なのに。私はいつも父の後ろに隠れて店の中をうかがっていた。
 
その店のおばさんは無愛想だった。そしてなんだか面白い話し方をするなあと思っていた。父も無愛想に、でもどこか楽しそうにガラスケースを眺める。結局いつも、父は朱色でない白菜漬けと、朱色に染まったゴロゴロの大根を買った。
 
あるとき私は父に、これは何かと尋ねた。
 
「チョウセンヅケだよ」
それは、韓国のキムチだった。
 
父はキムチをそう呼び、戦時中に朝鮮半島で過ごしたことのある祖父母はアリラン漬けと呼んだ。あのおばさんのは、あまり辛くないし味が深くて美味しいんだよ、と父は笑った。そして、祖父母や母は辛いものが苦手だったので、唐辛子を使わないキムチを買うのだと言う。この頃から身近にあったキムチだが、私がそれをキムチだと知るのはもっとずっとずっと後のことだ。まさか自分がその国の人と結婚して、キムチを漬けようと奮闘することになろうとは、その時は想像すらしなかった。
 
20年後、インターネットで検索したレシピを参考に、私は初めてキムチを漬けた。しかし漬けた白菜はあまりに塩辛く、唐辛子の種類と量を間違えたために真っ赤なドロドロに包まれたものになってしまった。それでもその時すでに私は、時間と空間を縦横無尽に行き来することになる旅、キムチという広い宇宙への一歩を踏み出していたのだと思う。いや、もしかしたら、父とあのおばさんの店に行ったときから私の旅は始まっていたのかもしれない。
 
そして旅は今も続き、私はキムチへの愛を育んでいる。
その旅のほんの入り口を、今からご紹介したい。
 
キムチ作りは野菜を塩漬けにするところから始まる。そうすると野菜に付着していた乳酸菌が動き出すのだ。そこへ乳酸菌の大好物、糖分を与えてやる。唐辛子や果物、砂糖、魚醤などのはいった漬けダレだ。野菜の糖分も含めて、唐辛子を入れたキムチだろうが入れないキムチだろうが、糖分がないと乳酸菌は元気にならない。乳酸菌が元気になれば、またその先の発酵が始まっていく。
 
それがキムチの育つ過程であり、美味しさの生まれる過程だ。
 
発酵が進めば塩漬け当初の塩辛さは和らぎ、発酵食品独特の酸味が出てくる。もちろん野菜の甘みが引き立って、味はまろやかになり調和がとれた味が生まれるのだ。白菜のシャキシャキ感も増していく。
 
そしてその美味しさは、塩の性質や白菜の水分量、甘み具合を考えた良質な塩漬けが実現されてこそ生み出される。その上、塩漬けをする室温や手の温度、果ては手の平や空気中を漂う微生物までもが味に影響するのだ。その多様な要素を考えれば、キムチの安定した美味しさを生み出すのは非常に難しいことだとご理解いただけるだろう。
 
漬けたてのキムチには、まだ味の一体感は生まれない。しかし、独立した塩味に白菜の甘みと若々しい白菜の香り、鮮烈な唐辛子の風味と甘みが、この瞬間にしか味わうことのできない美味しさを作る。漬けているその場にいる人にしか味わえない浅漬けの美味しさ。ここに蒸した豚のばら肉が出てくるのが通例なのだが、これがまた浅漬けキムチととんでもなく合う。鮮烈な味の浅漬けを、豚の油の甘みが包み込んだときの美味しさったらないのだ。
 
そして時は経つ。キムチの中の乳酸菌はいよいよ勢いを増し、空気が動かず一定の温度が保たれた空間で、3週間増え続ける。美味しく漬かったこの時期のキムチの酸味と甘みのバランスは芸術だ。もう一度言う。芸術だ。砂糖や果糖だけでもなく、野菜だけでもない優しい甘味。嫌な鋭さは一切ないやわらかな酸味。舌触りが滑らかになった唐辛子の辛味と材料の風味。体が欲するいい具合の塩味。そして旨味。
 
これが発酵だと、乳酸菌がドヤ顔で突きつけてくるとしか言いようがない美味しさだ。
 
その後、これは唐辛子を使ったキムチに限られるのだが、1年、上手くいけば3年、5年と熟成は続き、酸味が強くなる。そしてこの熟成を極めたキムチたちと油の相性は、浅漬けのそれとは違った芸術的な美味しさを生む。加熱したキムチが最もその真価を発揮するのもこの時期だ。鍋にするもよし、肉と炒めるもよし、炒めたキムチを豆腐と共に食するもよし。応用範囲が最も広いキムチの成熟期とでも言おうか。キムチの中の乳酸菌はその役目を終え、ほとんどいなくなっている。乳酸菌が残した大きな遺産ともいえる美味しさだけが残るのがこの時期だ。
 
キムチの美味しさは多くの要素で生まれるのだが、時もその一端を担っているのだと実感する味。
 
キムチが生まれる過程とその美味しさを紐解けば、大昔の人々の叡智にたどり着く。人は塩と出会い、様々な発酵食品を生み出してきた。その人びとは現代に生きる私たちよりも、心身に必要なものをダイレクトに感じることができたのかもしれない。
 
キムチに使う塩や唐辛子、魚醤、地域ごとに使う多様な食材と土地の歴史……。それをまた紐解いていくならば、その先にあるのは微生物たちと手を組んだ人々の叡智だ。旅する世界はもっと広く深く美味しく、無限に広がっていくのだ。
 
いかがだっただろうか。
 
キムチの宇宙、その入り口は。
 
*** この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。 http://tenro-in.com/zemi/66768

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2019-01-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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