路上の親子には、47通り+αのドラマがある
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記事:小岩環(ライティング・ゼミ特講)
彼らを初めて見たのはいつだっただろう。
栄の大通りだったろうか。
栄というのは名古屋の誇る繁華街である。今でこそ名駅(と言っても東海圏以外ではさっぱり通じないらしいが、こちらは名古屋駅周辺 の“地名”た)にトップを明け渡したものの、広い道路と公園と、さまざまなビルや路地の店舗など、歩くのには中々良いエリアだと思っている。
とはいえ、道路以上に地下街が広く、地上を歩いている人は案外に少ない。
ある意味、それも歩きやすさの一因かもしれない。
その日も周囲に人気はまばらだった。
見るともなしに視界に入ったのは、1組の親子である。
連れ立って歩く二人の姿は、それまでも一度ならず目にしていたはずだ。
ありふれた風景の一部のように、気にもとめていなかったのに。
いざ気になり始めたら、もうとまらない。
その後もことあるごとに、周囲に怪しまれないよう気を遣いつつ、観察を繰り返してみた。
そもそも、彼らは本当親子なんだろうか。
大人と子どもが連れ立っているので、多分そうなのだろう、と言えそうなのだけど。
親子と断定するには、二人の間の空気は、なんというか……ちょっと重くはないか。
左側に立つ父親らしき背の高い人は、肩をいからせて、そのせいか右横に立つ子の方は一層小さく見える。
二人ともまっすぐ前を向いていて、それはまあ歩くときは当たり前といえば当たり前だけど。赤の他人の私の方がよっぽど見てるくらいだ。もう少しお互いのことを見てやってもいいんじゃないか。
一番奇妙なのは、「手」だ。
父は右手を、少年(ということにしておこう)は左手を。
お互いに手を伸ばしているのに、繋がっていない。
指先が触れるか触れないか……届きそうで、あと数ミリ、届かない。
息子くんの方は本当におずおずという感じで、控えめに出すしかなかった手は、結局宙ぶらりんなのだ。思春期なのか。そうに違いない。
お父さん! そんなにぎっちり肘を曲げなくても、もうちょっと左下に手を伸ばして! そしたら届くんじゃないかな!!
いっそ、すっぱり離れていればいいのに。こんなに気を揉ませることはなかっただろう。
針先ほどの隙間が、次に見るときは縮まっているのではないか。
と毎回期待をこめて見ているのだけれど、数年越しの願いはまだ叶えられそうにない。
ところが、ある時自分の認識は大いに転換を迫られた。
旅行で栃木を訪れたとき。
思わず「路上の親子」を探してしまった。
愛知の親子のおかげで、他県の「親子事情」までも気になってしょうがないのだ。
果たして、駅前で見つけた親子は。
手を……繋いでる!!
こちらの子どもは小学生くらいなのだろうか。丸みを帯びて、あどけない雰囲気が伝わってくる。
片足をあげて、まるでスキップしているようではないか。
そうそう、こういうのが見たかったのだよ。こんな仲良し親子も、年頃になれば愛知のあの親子のように、薄氷のごとき脆い関係になってしまうのだろうか。せめて今の関係が長く続くことを祈るばかりである。
土地が変われば親子の姿がこんなにも違うなんて! 考えてもみなかった。
47の都道府県数だけ、いや、もしかしたらもっと様々な親子が、路上にはいて、一人ひとりに違ったドラマがあるのだろうか。
……と書いてきましたが、実はこれ、人間の親子の話ではありません。
『歩行者用』の標識の正式名称はわかりませんが、広い道路などで、歩道の歩行者エリアと自転車エリアを区別するためについていることが多いようです。
地元愛知のそれが、もうツッコミどころ満載で! なにそれ、その手はなんなの!! 繋いでるの繋いでないよね!!! いやどう好意的に見えも指先ちょん、とくっつけてる状態って、E.T.か!!!!
ピクトグラムは基本的に角が丸になってるデザインが多いのに、この親子には限っては肩も手足もやたらカクカクしている。
歩道のはずなのに、左右の脚は垂直に均一の長さだし。これもう歩いてないわ、直立不動だわ。
県内のほかの市町でも同じデザインばかりだったので、てっきり全国共通のものかと思っていたところの栃木!
何だよ、ふつうに仲良し親子もいるんじゃないか。
なんで愛知はあんなに危うい関係になってしまったんだ?
あれか、デザイナさんが息子との関係に悩んでいて、知らず識らず滲み出てしまったのか……。いやそんな……。
などと妄想の……もとい想像がさらにひろがっていく。
何の意味があるのかって思われるかもしれない。
そのとおり。別に意味なんてないのです。
でも、だからこそ、楽しい。
物言わぬ標識たちは「見過ごされる」ことこそが仕事なのでしょうが、よくよく見ると、それぞれの個性がある。
なんでこんな形なのかな、と立ち止まって考えてみるけれど、デザイナの裏話を知りたい、などと言うわけではない。
目に見える形が手に入る情報がすべてだからこそ、余白が生まれるのです。
もしかしたらこうなのかな? と想像が掻き立てられる。
いつか47の都道府県の「路上の人々」に逢えたらな、と思うけど、がつがつ向かっていくよりは、旅や仕事で訪れた先でのオマケとして、ささやかに楽しんでいけたらなぁと思うのです。
あなたの周りにも、そんな「路上の親子」のような、小さなドラマはないでしょうか?
ぜひちょっとだけ、足を止めて観察しても面白いかもしれません。
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