メディアグランプリ

「“なまえのないかいぶつ”を飼いならす方法」


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:蘆田真琴(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「あなたは人の感情に鈍感」
だと、以前他人に言われたことがある。なぜそんな話になったか詳しい経緯は覚えていない。他者との交流の中、ちょいと込んだ話をすることもある。そんな中で言われたことだった。
 
「そうなのかな? なかなか失礼なことを言ってくれるなぁ」
 
と思ったことは鮮明に覚えている。
 
思い当たる節がない訳ではない。私が返す言葉に、理屈や客観的な情報を優先しがちなきらいがあるからだろう。私個人としては、一応、客観的情報を踏まえて心配した上での発言だったりはするのだが。
 
もう一つ言われて「そうなのかな?」と思った言葉がある。
 
「あなたも本気で人を好きになればわかる」
 
である。そして言った後の、発言者の勝ち誇ったようなドヤ顔……思い出したくもないが、セットで思い出してしまう。
 
「でも、言われた方の気持ちは分かってないよね?」
 
と言い返したくなったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。
 
そうして言われたことが頭の中でぐるぐると回り、あれこれと考えが巡るのだが、結論なんてそう簡単に出せるものではない。
 
感情は明確に「それだ」と分かるものもある。しかし、どうにも短い言葉に直して表現しにくい場合もある。
 
そんなとき、私は文章を書く。
 
私は子どもの頃から本を読むことが好きで、その流れで“書くこと”にもさほど抵抗なく入り込んでいった。
 
拙いものではあったが、詩や劇脚本、童話調のものを書いたりしていた。それは誰に褒められる訳でもなく、むしろ書く行為自体をけなされつつ、だった。ただ、その時々の感情を元にして黙々と書いていた。
 
こうありたい。
 
こうであってほしい。
 
こうだと面白いことにならないかな?
 
そういう思いや気持ちを文章にして形にするのが、昔から好きだった。
 
なので、品行方正であり、教師に受ける内容を書かねばならない読書感想文や、書き直しを命じられることを面倒に思って、心にもないことを書かざるを得ない卒業文集などは、どうにも気乗りしなかった。
 
面白いことにそういった類のものは遅々として筆は進まなかったし、いつまでたっても苦手意識が拭えなかった。
 
そんな過程を経たもののごく普通の社会人になると、書く目的が明確な、ビジネス文書ばかりを書くような生活になってしまったわけである。
 
書くことは好きだけど、そうじゃない。テンプレートに収まる「書きやすい文書」ではないものが書きたいと思い、今に至るわけだが、自分の思いや好みで書く文章は、ただ漠然と人型自動書記マシーン化して書くことができるわけではない。
 
書くための元になるものだって、すぐに引き出しから引っ張り出してこれるわけではない。
 
自分の身の内に取り込まれた、それらの感情やテーマになるものは、形どころか定義づけもままならぬものであり、あたかも「なまえのないかいぶつ」を相手にしているようなものである。
 
“書くこと”はそんな“かいぶつ”を形にすることで飼いならす行為なのだと思う。
 
「名前をつける」ということは、その“モノ”に形を与えて、可視化することで自分の理解の及ぶものにする行為だ。そうすれば、腑に落ちて自分の感情に慣らすことができる。
 
その方法も、一つではない。
 
いろんな方法を試しても日々、一歩ずつの前進かもしれない。だが、何より自分の中で腑に落ちる感覚や達成感はなかなか楽しい。
 
例えば、家に引きこもっているだけではなく、カフェに行ったり図書館に行ったりして環境を変える。
 
書いている時の体感ストレスを減らすために、服装や室温に気を遣う。
 
脳を刺激するため、調べものをしたり、別ジャンルの作品に触れたり、料理や掃除、運動といった別の作業をする。
 
書くために費やした時間を“努力を図るものさし”にするかしないかの選択をする。
 
「もうダメだ!」と思ったときに、あとちょっとだけ粘ってみる。
 
「自分へのご褒美」は何が最適解かを検討して、目先に軽く置いておけるようなモノより、旅行やライブといったコトを設定した方が自分は、より頑張れたりするといった発見もある。
 
そうすることで、“かいぶつ” が姿を現し可視化されていくのが喜びになる。
 
そうして日々を快適に、楽しむために過ごす工夫をすることが、実は丁寧に生活することにもつながってくるのではないかと、最近ようやく思えるようになってきた。
 
見えないものを工夫して、形にして表現する作業は「ああ、生きているんだ」という実感があっていい。
 
もしかしたら“なまえのないかいぶつ”に形を与えて飼いならす方法というのは、人によってはそこまで必要ないものかもしれない。
 
しかし私や、何かしら“もの”を作ったり表現したりすることが好きな系統の人間には、大なり小なり、そういう方法を持つことが必要なのだ。そういったものの効用がある世界を知る私たちは、きっと幸せだ。
 
 
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2019-02-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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