着物とはラッピング 心と体を大切に包む衣服
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事 : 野村和永 (ライティング・ゼミ特講)
「心さみしい時には、着物を着るの。自分で自分を抱きしめるように、着物は両胸を包んでくれる」
あるエッセイの一文が、頭に浮かびました。
当時の私は、突然、職を失い、心身ともに疲れ果ててしまっていたのです。人は粗末にあつかわれると、心が病んだり、身体を壊したりしてしまいます。
もうあの仕事場に行かなくてもよいのだと思ったとたん、今までの疲れがでて、動けなくなってしまいました。そして、これからどうしようかと思った時に、その言葉通りに、してみたのです。
幸い、自分で着物を着ることが出来たので、着物に袖を通しました。やさしく両胸が包まれて、ほっとして、帯を結ぶと、背筋がしゃんとして、前を向くことが出来たのです。
着物を日々に着ていたい! 着物を着てできる仕事は?
着物を扱う仕事についたのが、着物暮らしをはじめるきっかけとなりました。
手持ちの着物をそれほど持っている訳ではなく、夏物、単衣、羽織りものと、季節に合わせての帯や襦袢、小物、履物、出来る範囲で揃えつつ、和裁も習い始めました。年数を重ねるうちに、着物の知識も増え、また、着物を着ていると、もう着なくなったからと着物や帯を頂くこともあり、着物暮らしが充実してゆきました。
はじめから着付けが上手くできていたわけではありませんが、毎日着ることで、着物が体にしっくりと馴染むようになるものだと思えてきたのは、干支が一巡りした頃でした。
そして、着慣れている、と言われる着物姿に進化していました。
「着物を着ると癒される、心が落ち着く」と、着物姿のお客様からの言葉を聞き、私だけではなく、着物に包まれる安心感を感じていらっしゃるのだと、嬉しい気持ちになったことがありました。
ずっと着物を着て、日々を過ごすつもりでした。
二年前に仕事先を変えたことで、用意された制服を着ることになったのです。そのために、靴を買いました。当たり前に着物を着る暮らしから、一番嫌いな化繊の制服を着ることになり、改めて気づかされたことがあります。
「身を包む」という言葉があるように、着物は平面の布を立体の身体に巻き付け、折り畳み、紐で結びます。慣れていない人から見れば、何とめんどうな衣服だろうと思われます。自分で着ることが出来る人でも、日によって、上手くいく日と何だか冴えない日とあるものです。それは、着物を着る度に、自分に合わせてデザインしていくものだからです。
それに対して、制服は、身体を入れていけば、何も考えずに、短時間で身支度が整えられます。朝寝坊をして慌てたとしても、多少乱暴でも、何とかなるのが制服。自分の身体を、ポンと袋に投げ入れる感じです。洋服は、デザインされた形に身体を入れていくものだからです。
デパートで買い物をした時に、丁寧に扱いたいものは包装をお願いしますが、簡単でいいと思うものは、簡易包装に協力することにしています。これを自分に当てはめてみると、仕事の制服姿は、簡易包装の袋で、休みの日の着物姿は、丁寧な包装だと思ったのです。
普段に着物を着る人を見かけなくなって久しい昨今、このようなことを言うと、ひんしゅくを買うかもしれませんが、自分の身体をどのように扱いたいのか、ということに至ります。
海外で仕事をしていらした男性から、家で着物に着替えると、芯からくつろげると伺ったことがあります。ある男性は、夏になると、浴衣姿は楽だと毎年思うと話してくださったことも。
私の場合は、健康を取り戻したことです。日々着物暮らしの時は、1cm身長が伸びました。仕事で制服を着るようになったら、元に戻りましたが……。何よりも、着物を通じて広がったつながりは、有り難く、人生を心楽しいものにしてくれています。着物はしあわせであることのひとつです。
このように、心と体を整えてくれる着物の働きに気が付くと、着物が着たくなります。
生活様式が変わり、日本人でも着物を着たことがない方も増えた一方で、外国の方が、自由に着物を着こなすという時代になってきました。
自分をどのように見せたいか、ということからも、着物は優れた衣服だと言えます。年齢を重ねた女優さんを拝見するとわかります。容姿の変化を包み込み、年齢相応の美しさと品格をみせてくれるのです。
また、相手に敬意を表することも、礼装の着物を着ることで伝えることができます。ノーベル賞の授賞式の紋付き袴姿の本庶氏が、記憶に新しいです。
お宮参りから始まり、七五三、十三参り、成人式、結婚式、お葬式、人生の節目に着物を着ることは、日本人として誇らしさと、礼儀を尽くす意味もあります。
今の時代では、着物を準備するところから、煩わしいと思うことも多いことでしょう。でも、その煩わしささえも愛おしく思えるところが、着物の魅力なのかもしれません。
多くの人が着物を着ていた百年前は、洋服は作業着で、家でくつろぐ時もお出かけする時も、着物の種類は違えども、着物姿でした。そして、今より、物も人も大切に丁寧に暮らしていたのです。「小豆三粒包める布は、捨ててはいけない」と言われてきた時代の人が、今の断捨離と称して、服をどんどん捨てるのを見たら、どれだけ驚くのでしょう。化繊の袋と、シルクの布の違いだとも言えますが、布への敬意の違いでしょうか。
着物は、解けば一枚の布に戻ります。その布をきれいにして、仕立て直すことができるのです。生地が傷んだら、形を変えて、端切れまでも大切に使われました。それは、養蚕して糸を繰るところから、または、植物の繊維から、棉から、糸にして、染めて、機織りをして、布にする、その手間暇を、人々が知っていたからだと思います。
その布を縫い、着物の形にするまでに至った人々の想いも含め、着物に身を包むことで、守られている心持ちにしてくれるのです。
衣食住の一番にくる「衣」。
晴れの日の礼装も、普段着の着物も、野良着も、それぞれの役目とともに、日本の風土にあった衣服です。着物を着ていると、洋服の時より、季節に敏感になってい
きます。それは、男女の違いは多少ありますが、着物は年中同じ形であるからです。裏地をつけて着る袷、裏地ない単衣、透ける生地の夏物、生地の素材も絹、綿、麻、ポリエステルと季節で使い分けます。同じ素材でも、織り方を変え、季節に合わせ使い分けるものもあります。それが難しいといわれるところでもあり、着物の楽しみでもあります。
そして、人も自然の一部と考えるとき、季節に相応しい色合わせを身に纏います。十二単の重ねの色目は、日本人の美意識が際立ったものだといえるでしょう。今の時代ならば、着物と帯の取り合わせ、それに合わせる小物の色をどう選ぶか、といったところです。さしずめ、大切な贈り物にラッピングするかの如くです。
着物で身を包む心地よさを、感じてみませんか。
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