鞄とは“気持ち”を詰めて背負うもの
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:蘆田真琴(ライティング・ゼミ日曜コース)
あの日、私は朝から憂鬱だった。
特段何かがあったわけではなかったけれど、初めての海外旅行で得ていた高揚感のようなものが切れかけていたからかもしれない。とにかく、何となく気が晴れないまま仕事をしていた。
取引先との電話を済ませ、じゃあ次は書類を片付けようと思った時、それは起こった。
ただ立ち上がっただけなのに、足元がふらついたのだ。
恐らくは下を向いていたところを急に立ち上がったので、脳貧血でも起こしたのだろうか……そう考えていた。
しかしそのふらつきは、なかなか治らなかった。まるで遊園地のバイキング船のアトラクションに、立ったままセーフティーバー無しで乗っているような感覚だった。
「あれ、おかしいな……なんだかクラクラするよ?」
私の背後の席の上司もふらつきを訴えだした。
ふらつく頭を持ち上げ、窓の外を見ると電線が波打っているのが見えた。
「地震だ!」
誰かが叫んだ。為す術もなく私たちは、奇妙な揺れが治まるのを待つしかなかった。揺れが治まると上司がラジオをつけ、携帯のワンセグを起動させた。
この日は2011年3月11日。
東日本大震災の発生した日だった。
離れている場所とはいえ、大変な事が起こっている。そして、今いる場所は太平洋沿岸地域。地震が比較的少ない地域出身の自分が、この場所に就職する時に散々脅かされていた“津波”の事で頭がいっぱいだった。
そんな思考に取り憑かれて以降、どうやって仕事をきちんと終わらせたのか、当時の事は今でも思い出せない。案の定、帰りの電車は津波警戒か安全確認という事で止まってしまっているという情報だけどうにか入手し、電車通勤の私は途方に暮れるしかなかった。
しかしこの日、ありがたいことに途中の乗り継ぎ駅までなら……と、同僚に乗せてもらえた私は、普段の倍以上の時間をかけて帰宅ルートの3分の2ほどを戻る事ができた。私一人ではここまで帰ってくることはできなかったろう。改めて同僚に感謝し、お互いのこれからの無事を祈り「また来週」と言って別れた。
駅のビジョンで繰り返される津波警報を横目に見て「このまま家に帰るのは危険だろうか」と思ったが、どうしようもなく家に帰りたい気持ちに押されていた。
そんな中で「乗り換え路線は津波想定範囲外の駅までは動いているらしい」という情報を得た私は、少しでも家のある近くまで行けるなら、と手荷物をひとまとめにしたショルダーバッグを掛け直し、電車を乗り換えた。
それからの記憶もとにかく曖昧で、思い出せたのは歩きながら見上げた、夜明け前の空の昏い色だけだった。
被災地が甚大な被害を受けたことを知り、ただ呆然として、それでも静かに日々は過ぎていった。
そんなある日、アルバイトスタッフの女性から「皆さんのお誕生日プレゼントに今年はこれを差し上げてるんです」とホイッスルのついた鮮やかなピンク色の小型LEDライトをプレゼントされた。
「普段使う鞄の中に入れても、このサイズなら邪魔にはならないと思って」
震災以降、御多分に漏れずいろいろと災害用品を買い足したが、小型のライトとホイッスルとは……ここまで気が回っていなかった。
私は彼女からの贈り物をありがたく頂戴した。
それから、弟からも帰宅用災害用品セットが送られてきたこともあり、いい具合に災害用品やリラックスグッズの方から私のところへ集まってくれた形になった。
そして、それらの集合体が今、私の鞄の中のスペースの一隅を占めるようになった。
LEDミニライトにホイッスル、除菌ウエットティッシュ、保温アルミシート、マスクに絆創膏。1日分の常備薬、ロールオンのアロマスティック。
これらは透明なジッパーポーチにひとまとめにする事ができた。
それプラス、災害用品ではないが、別のポーチに予備バッテリーにワンセグアンテナ。
トータルでも意外に重たいものではないし、嵩張る物でもない。
これらは日々、日常生活で役に立つものではない。
それでも私にとっては、自分や周りの人の思いが詰まった大切なお守りだ。
昨今は“小さいバッグ”でおしゃれに決めるのが宜しいらしい。
しかし、私の鞄はそんな流れに逆らい、実用性を重視した結果、リュックとしても使える仕様のものを採用した。ショルダーバッグでは走ると体が振れてしまい、バッグそのものが邪魔になることを体感したからだ。しかも入れたいものの都合上、今以上には小さくはできないかもしれない。
なぜなら、私が持つ鞄には通常の持ち物の他に、他の人からもらった思いも一緒に詰め込んでいるからだ。
この荷は自分の力と責任で、覚悟を決めて背負う。
少しばかり大げさだとは承知している。でも私は毎日、大きめのお守りの入った、少し重くて大きめの鞄を背負ってあちこちへと出かけていくのが楽しいのだ。
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