40年ぶりの「就活」に向けて ~10数年前の「降格」の思い出~
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:やまもととおる(ライティング・ゼミ平日コース)
「4月以降は、もう会社に出社しなくて結構です。お疲れ様でした」
今年1月に突然呼ばれて、会社から引退を申し渡された。年齢も年齢なので、いずれこういう時が来ると覚悟はしていたが、仕事は順調で、年々成果をあげてお役に立てているという自信もあったし、上司にもそう言われてきたので、今年とは正直思っていなかった。
加齢での降格はあっても、まさか「来ないで欲しい」と言われるとは考えていなかった。
実は、40年の会社生活の中で、「降格」は2度目の経験である。
1度目はもう十数年も前のこと。40歳後半で、気力・体力ともに充実していた。大きな事業で営業の一翼を任されて、課題は色々あったが売上も伸びて、市場に大ヒット商品も上市できていた。数字だけでなく、人材育成やシステム整備等の地道な基盤整備にも着手していた。ボーナスの査定も、当時の上司からの評価フィードバックも、悪くなかった。
ある日、就業時間が過ぎてから、その上司に呼ばれた。
「こんな話はしたくないんだが、役目だから伝えたい」
いい話でないことは一瞬で分かったので、「はい。伺います」と冷静に受け答えした。
「実は小さいグループ会社で、成績が良くないところがある。建て直しは難しい仕事なので誰がいいか経営陣で相談になって、社長のご指名で君にお願いすることになった」
全く経験のない事業で、グループの主要な商品とは思えない、ベンチャー的なある会社の名前が出た。自分自身の私生活でも殆ど触れたことがない商品だ。大半のグループ企業が食品を扱っている中で、全く食べ物に関わりのない商品を売る事業会社は、探す方が難しい。売上も、当時私が責任を負っていた規模からすると、10分の1にも満たない。
しかも門外漢の私の耳にも、成績が急降下していることは聞こえてきていた。
「おめでとう」と、上司は言った。
「社長直々のご指名で、小さいとはいえ会社のトップになれる。ただし、小さい会社だから君は降格になる。年収も2~3百万円は下がるだろう。よろしく頼む。頑張ってくれ」
その内示は素直に受けた。でも、内心は凄く悔しかった。昔仕えた重鎮に、その人事が決まった経緯を聞きにいった。それを漏れ聞いた、「ご指名」した張本人の社長も、時間を作って私を呼んでくれて、「再建への期待」や「降格せざるを得ない今の人事制度の仕組」を説明してくれた。私が椅子を蹴って会社を辞める、と思ったのだろうか。
私は悔しい思いを押し殺して、「今、社員一人ひとりに直接話を聴いています。再建に3年はかかる、かなりの重症だと思います。根本的に作り変えないと会社は良くなりません。成果を早くと望まれると思いますが、給料は下がって構いませんので、業績が良くなるまで私にやらせて下さい」と言った。見栄と意地の塊のような、綺麗ごとの発言だった。
「分かった」と社長はいい、私が次に異動するまで、結局再建は5年の歳月がかかった。
社員たちの努力で立派に業績を回復して、私が去った後も増収増益を続けているその小さな会社に、行って本当に良かった、と今では素直に思っている。実は、降格となって何人かの人に話を伺う中で、私に対する悪い評判がかなりあることが聴こえてきた。
自分では全くそんな認識は無かったが、いわく「人の話をきちんと聴かない」「上から目線で話す」「仕事を人に任せない」「現場にはよく来るが、役に立っているとは思えない」
何よりも、本人がそう感じていないことが、一番の大きな問題だ、と気が付いた。
新しい会社では、まず全事業所を回って、社員全員に時間をとってもらって、一人ひとりの話を聴いた。その後も、ミーティングでひざ詰めの議論をしたり、アイデアを戦わせたり、お酒を飲んでバカ話をしたりして、本音で話してくれるようになるまで何回も何回もそういう時間を作った。特にその会社の、生え抜きプロパーの、若い人たちと、数多く。
「親会社から来た人は数年で帰っていく。けれど管理職は全員が親会社の人だ」「僕らより高い給料を貰っているくせに、過去の食品の成功体験を押し付けるだけで、この事業を勉強してどっぷりと浸かろうとはしない」「小さなお得意先や生産現場に足を運ぶことを嫌がる。宴会だけして帰ってくる」「技術上、数年かかるこの事業の商品開発の特性を理解しようとしない」「売上が予算に届かないと、営業マンに会社へ帰ってくるなと大声で言う」
そうした本音を、面と向かって言ってくれるようになるまで半年以上の時間がかかった。
私がいた5年の間に、彼らが企画した新しい事業や商品にトライして、失敗も多くあったが、今の会社を支える事業・商品群をかなり成功させた。文句言いだけどアグレッシブな若い生え抜き社員を、マネジャーに数名抜擢して大きな仕事を任せた。熱心でセンスある社員を、何人かメイン部署のリーダーにした。成果に見合う給料やボーナスが払えるよう制度も変えた。親会社に帰りたくて今の仕事に不熱心な一部の人は、希望通り帰って貰った。そのため常に手が足りなかったが、展示会の後片付けなども役員や部長が率先して汗を流して機材運びをする風土を作り、忙しい毎日を乗り切っていった。
彼らの努力が徐々に実り、創業時のヒット商品だけに頼る一本足打法だった会社は、複数の事業が支える健全なポートフォリオになった。ダウントレンドの売上はいつしか反転、利益も安定的に出るように変わった。それに伴い、業界水準よりも少しだけいい給料を出せる会社になった。当時のメンバー達と今飲みに行くと、「働く楽しみや誇りを持てる良い会社になった」と明るく語ってくれる。「自分たちの会社になった」と言ってくれる。
誰よりも、この私自身が、この会社で一番勉強をさせて貰った張本人なのだ。
2回目の「ショックな人事異動内示」、今回はもう、今の会社では見返すチャンスもない内容である
しかし私には、前回の「降格」時にも、自分の良い面と悪い面を知り、多くの成功と失敗の中で沢山のことを学び、今もコンサートや飲み会でしょっちゅう一緒に遊ぶ若い男女の友達を多く得ることができたという、得がたい体験をさせて貰った。
40年ぶりの「就活」は、この年齢だから簡単に成就できる話ではないだろう。しかし、今までは「職業」ではなく一つの「会社」に縛られていた、いわば「就社」で暮らしてきた私が、そこから脱皮して新しい「就職」の世界に踏み込む絶好のチャンスでもある。
今私は、そのチャンスを最大限に活かしたいと思い、刺激的な毎日を過ごしている。
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