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介護は山姥との戦い……父と私の「三枚のお札」


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:風香(ライティング・ゼミ火曜コース)
 
 
「お父さんが人を殺したから、警察呼んでちょうだい!」
深夜三時、80歳の母からの鬼気迫った電話だった。
「え? 今から行くから待っていて!」
「いや、危ないから、私がそっちに行くわ」
怖くて胸がザワザワした。
何かの間違い? と思いながら待った。
電話を切って10分後。 大雨の中、ずぶ濡れになりながら母が歩いてやってきた。
背後から疲れた表情の父。
 
母は「レビー小体型認知症」であった。
実際には存在しない「幻覚」が見えるのだ。
父は今まで心配をかけまいと隠していたらしいが、以前からこうした母の幻覚に悩まされていたらしい。
私はこの時始めて知らされた。
 
朝になり病院に連れて行くと、その日のうちに、出入口に鍵がかかる閉鎖病棟に入院させられて、母は車椅子に固定された。
 
たった3日前まで、両親と私で近所のスーパーまで歩いて買物に行っていた。
食材を買って、一緒に料理をして食べた。
普通の会話も出来ていて、私は何の違和感も持っていなかった。
この入院も、何日かしたら良くなって、また前の様な穏やかな母に戻ると思って疑わなかった。
しかし、毎日見舞いに行くと、「人殺しがあった」とか、「背中に赤ちゃん背負って何しに来たの?」とか、「父が浮気をしている」とか、別人の様に厳しい形相で言う。
 
母は、入院するまでは父と二人暮らしで家事の全てを担っていた。 私の幼い頃からずっと良妻賢母の鏡みたいに慎ましやかで、家族第一優先で生きていた人だった。
父は、家族の中では絶対君主的な存在だった。 若い頃から社交的で男女共に友達が多く、定年退職した後も、仲間達とカラオケに行ったり、登山に行ったり、悠々自適な老後を送っていた。
母はどちらかというと内向的で、そういう父の人付き合いを嫌悪していた。
そんな永年の蓄積からか、母はこの病気に罹ってからは、いつも父に嫉妬している。
そして、娘の私ではなく、常に夫である父ばかりを求める。
 
母は、入院生活で、みるみるうちに体力面も知的機能も大きく低下していった。
あんなに大好きだった庭の花の名前や、みかんの皮の剥き方も忘れてしまっていた。
母は生きているのに、目の前にいるのに、しっかり者で優しくて家族想いだった「あの母」が恋しかった。
「母の手料理をもう一度食べたい」そう言いながら、父と二人で何度も泣いた。
 
父と私にとって、母の「レビー小体型認知症」や「妄想」や「老化」……そういうものが、民話の「三枚のお札」に出てくる「山姥」の様に感じた。
その妄想や症状は、日によって違う。
穏やかと思い油断すると、いきなり突然襲いかかってくる……現実から逃げようとしてもずっと追いかけてくるのだ。 とても恐ろしい。
 
3ヵ月入院した後、医師から退院を告げられた。
父と私は入院中にどんどん悪い方へ変化してゆく母に戸惑いと不安を感じていたので、退院後どうなるのか、これからどうしていけばいいのか途方にくれた。
絶対君主だった父が脆くなり、全く頼りにならなくなった。
しかし、「老いては子に従えというけれど、まだ従いたくない」と言って困らせる。
退院したら、家で母を見たいと思う私と「もう無理、何処かに預けよう」という父。
何度も言い争った。
藁にもすがる様な気持ちで、ケアマネジャー、地域包括支援センター、色々な所に行って相談をした。
そこで、介護に困った時に利用する施設などの情報を得た。
それが我が家にとっては、山姥から身を守る為の「三枚のお札」となった。
 
一枚目お札は「デイサービス」を利用しながらの居宅介護であった。
 
私は家で母の介護が出来るのがベストの選択だと思っていた。
しかし、デイサービスは週に4日しか利用出来なかったので、私の仕事が休みの二日間は全般的に私がみるので、後の一日を父に二人で過ごして欲しいと提案したが、父は「できん」の一点張り。
社交的だった父が家から一歩も出なくなり鬱状態になった。
父は母の居宅介護生活から逃げたい一心で老人ホームに入りたいと言いだした。
山姥から逃げる為に、次のお札を使う事にした。
 
二枚目お札は「介護付き老人ホーム」への入所だった。
 
両親一緒に入れる施設を探して入居した。
これで少しは両親も穏やかに過ごせるのではないかと一安心した。
しかし、夫婦で同室に入居させたのが間違いだった。
介護付きなので、母の面倒は全て見てもらえると思っていたのだが、同室に居るとどうしても父が母の介護をする形になってしまった。
母が要介護4で奇行を繰り返すので、要支援1の父はすっかり参ってしまった。
父は「死にたい」、「ここに居たらおかしくなる」と訴えるようになった。
又しても山姥に追いつかれ……新たなお札を投入する。
 
三枚目お札は、母は「特別養護老人ホーム」、父は「住宅型有料老人ホーム」と別々の施設への入所だった。
 
父は以前より随分元気になり、毎日母の見舞いに通いながら、友達と遊びに行ったり、飲みに行ったりしながら、自由に暮らしている。
 
母は「何故私を置いていくのか?」と、毎日父に駄々をこねている。
見舞いを一日でも休むと、「主人が私を捨てようとしている、会いに行かないと……」と言って、転倒を心配する職員の制止も振り払って、施設内を一日中徘徊する。
 
「三枚のお札」は全て使い果たした。
この「レビー小体型認知症」の母の介護はこれからも続く。
そして、一緒に「お札」を使ってきた父もまた、目に見える様に老いてきているから、先が恐ろしい。
 
両親を私のマンションに連れてきて、一緒に食事をしたりしながらのんびり過ごす時は両親共、穏やかで良く笑う。 やはり、私が引き取って一緒に暮らしたほうが、両親は幸せなのでは?
私が仕事を辞めて両親の介護が出来たら……。そう思うが、皆から止められる。
そうすると直ぐに私が「山姥」に喰われてしまうという事を、父も私自身も周りの人達皆が気付いているのだ。
 
出来る事なら、「お札」に頼りながら逃げ惑う「小僧」ではなく、
小僧を追って現れた山姥にも動じず、山姥を豆にして焼餅に包んで食べてしまう……そんな「和尚」みたいな人間になって、親の老いを受けとめたいものだ。
 
 
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2019-03-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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