「友だち100人できるかな」という呪いを解くために
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:小原正裕(ライティング・ゼミ日曜コース)
あまり、人と関わるのがうまい子ではなかった。
いくら自分のこととは言え、もう20年以上前のこと。
全部はっきり覚えているわけではないが、よく拗ねたり、泣き出す子だったと思う。
いくら幼稚園児とは言え、もう少しどうにかならないのか、と思い出すたびにちょっと苦々しくなる。
そんな僕にも、仲のいい友だちがいた。
その子と知り合ったのは、保育園のころだったか。
途中から入ってきたその子の第一印象は「よく分からない子」。
言葉少なで感情を表に出さない「彼」は、よく笑いよく泣くのが普通の保育園児たちの中でひときわ目立っていた。
そんな調子で若干浮きがちだった「彼」と、仲良くなったきっかけは家が近所だったこと。
歩いて3分の距離にあった「彼」とは家の行き来もしたし、外でもよく遊んだ。
道端に咲く、ツツジの蜜を吸ったこと。
公園の茂みに分け入って探検したこと。
「彼」と一緒に遊んだそんな時間の積み重ねで、僕は少しづつ社交的になっていった。
幼稚園を卒業する年、当然のように同じ小学校に通うようになった。
そして当然のように、僕と「彼」の関係は続いた。
小学校に上がった「彼」は、ある特技で注目を集めることになる。
そう、絵が上手かったのだ。
図画工作の授業で絵を描いたときのことだった。
「彼」の隣の席に座っていた子が、突然感嘆の声をあげた。
何事かとクラスの皆が振り返り、その子のもとに歩いていく。
そうして「彼」の描く絵を見て、その子と同じように声を上げる。
「彼」は一躍、ヒーローになった。
休み時間になると、「彼」の周りには人だかりができるようになった。
周囲の子からひっきりなしに飛んでくるリクエストに、言葉少なに、でも丁寧に応える。
「彼」の周りには人が増えたが、それでも放課後は、変わらず僕と二人で遊んでいた。
そんな友人のことも、変わらない自分たちの関係のことも、誇らしかった。
でも、そんな「彼」の人気は、長くは続かなかった。
というか、周りから距離を置かれるようになっていった。
もともと言葉が少ない子だったし、時々発する言葉も、その独特な感性を色濃く映したものが多かった。
言ってしまえば、「ズレて」いた。
最初は「絵が上手い」という特技に惹かれて集まってきた子たちも、「何か自分たちとは違う」と感じると、スッと距離を取る。
変なやつと一緒にいると、自分まで変なやつと思われて、友だちがいなくなる。
子供とは言え、いや、感情を隠さない子供だからこそなのか。
「自分と違うものから距離を取る」という同調圧力は、大人顔負けのものがあるように感じた。
最初は僕も、そんな周りの様子など気にせずに、一緒に遊んでいた。
その頃の僕は「彼」以外にも友だちがいたから、他の友だちと遊ぶこともあった。
だから、「彼」と一緒に孤立することはなかったし、周りの友だちとも、「彼」とも、上手くやっていけると思っていたのだ。
でも小学生でも、周りの目はだんだん気になってくるし、周囲の人間関係にも目が向いてくる。
「彼」と仲良くしていて良いのか。迷いが芽生えた時に、音楽の授業で扱った曲が「一年生になったら」。
「友だち100人できるかな」という歌詞を何度も口ずさむうちに、迷いは恐れに変わっていった。
「彼」と一緒にいたら、自分まで孤立してしまう。
友だち100人どころか、「彼」1人になってしまう。
少しづつ、本当に少しづつだった。それまで変わらなかった僕たちの関係は少しづつ、変わっていった。
小学校を卒業した後、「彼」は転校していった。
地元を離れた「彼」が、今どうしているのかは知らない。
地元の友だちだって、SNSで繋がっている人も多い。結婚報告を目にしてあったかい気持ちになることも、ふと会いたくなって連絡を取ることもある。
久しぶりに誰かと会えば、自分自身は繋がっていない誰かの消息を聞くこともある。
でもそんな中でも、「彼」の消息を知ることはできなかった。
今でも、時々ふっと「彼」のことを思い出すことがある。
なぜだか、無性に会いたくなることもある。
それでも、もう連絡を取れない。
あの頃は、とにかく周りの目を気にしていた。
友だちは、たくさんいなければいけない、と思い込んでいたのだ。
何度も聞かされ、自分でも何度となく歌った、「友だち100人できるかな」は、捉えようによっては呪いの言葉だ。
みんなでいるのが、友だちを作るのが、苦手な子だっている。
そんな子たちにも、誰かと仲良くすることを押し付け、縛る呪いの言葉。
友だちが少ない方がいい、なんて決して思わない。
わいわいする方が、僕も好きだったりもする。
でも、そこに囚われたり合わせたりするだけでは、結局自分がしんどくなってしまうとも思うのだ。
無理に周囲に合わせたり、いたくもない人と一緒にいても、楽しいとは限らない。
むしろ、孤独を感じてしまうかもしれない。
そんなことに気づけたんだから、今からでもきっと遅くはないはず。
これからは、「誰か」と仲良くすることに縛られずにきちんと見つめていきたい。
自分にとって、大事な人は誰なのか。大事にしたいものは何なのか。
自分の最大の理解者である自分自身を、見失わないためにも。
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