メディアグランプリ

君の左目になりたい


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:渡部 園(ライティング・ゼミ平日コース)
 
「あなた、新人?」
こちらを、ちらり、と見た彼女がそう言ったような気がした。
私は、重たいバケツを持って、人工の砂浜を歩くのがやっとだった。
波打ち際を歩く彼女の姿は、まるで大物女優か女社長のような風格があった。
濡れた体に太陽の光が反射していた。光をまとっているようで、綺麗だった。
その「凛」とした姿に、私は完全に心を奪われてしまった。
それは、彼女が他のオットセイとは違う、変わった姿をしていたからではなかった。
 
「どう? 気に入った子はいた?」
研修初日でまだ緊張が解けていない私に、飼育員の方が優しく声をかけてくださった。
カタコトに近い英語と、身振り手振りで、私は彼女について尋ねた。
「あの子はね、小さいころに保護されたオットセイなのよ。保護されたときには、頭の左側に酷い傷があってね。たぶん、船のスクリュープロペラで怪我をさせられたの……」
多くの船には、推進力を得るためのスクリューがついている。
イルカやクジラが、回転しているスクリューに当たって怪我や死亡する事故があると聞いたことがあった。
オットセイも同じ海で生活しているから、同じ事故に遭うことはおかしいことではなかった。
傷はもう既に塞がっていたが、彼女の顏の左側は深くえぐれていた。左目はなかった。
彼女の他にも、釣り具で怪我をして翼を失った海鳥や、目が不自由な動物もいた。
私は彼女の凛とした姿が好きだと言った。
その飼育員の方は「私もよ」と仰って、とても嬉しそうにしていた。
自分の娘を誇らしく思う、母のような微笑みだった。
 
その期間中はいくつかの部署で研修を受けることができた。
一つずつ部署をまわって、残った日数は好きな部署を選んでよかった。
私は、彼女のいる部署がいいです! と精一杯伝えた。
すると、驚かれてしまった。
研修生は毎年やってくる。けれども、その部署を選ぶ研修生は、ほぼいなかった。
人前で華やかなイベントやショーを行っている部署もあるのに?
せっかく日本から海外に来ているのに?
そんな声もあった。私は、拙い英語で話した。辞書を引きながら、手紙を書いた。
 
他の部署での研修中に、彼女のことを話した。
「あの怖い顔のオットセイが好きなの? あなたって、おかしいよ」
と言われたことがあった。
彼女が暮らすプールの前で、「気持ち悪い」とか「かわいそう」という声を聴いたこともある。
私自身、小さな時に左手の親指の先を切断して、同じようなことを言われたことがある。
別に、そういう言い方が悪いと言いたい訳ではない。
私は飼育員の方々に、こう話した。
「彼女や、人間に傷つけられた野生動物に寄り添える方法を、彼女のもとで学びたい」
ということだった。
彼女は好きでそんな姿になった訳ではないはずだ。顏の左側を失ったのは、私たち人間のせいだ。
私たちは、彼女たちを傷つけることはできるのに、失われた左目や翼を元通りにすることはできない。
どうにかして、彼女たちの力になりたかった。
「だから、彼女の左目になりたい」
と私は言った。
 
飼育員の方々のご協力もあり、私は彼女のもとで研修をさせてもらうことができた。
「彼女の左目になる!」と大口を叩いたものの、壁にぶつかった。
彼女には、気まぐれなところがあった。
ベテランに対しても、新人に対しても、研修生の私に対しても、そうだった。
大抵は落ち着いているが、餌の魚を選り好みしたり、健康管理のためのトレーニング中に飼育員から離れてしまったりすることがあった。
私には経験も無ければ、語学力も無い、時間もほんの数週間しか無い。無いものばかりだと思っていた。
それは違った。「動物を飼う」という人の目線だけでは、ダメなのだ。
彼女の左目になるには、オットセイの、彼女の、目線が必要だった。
それから、彼女について、彼女が生きている社会について、もっと知ろうとした。
サンマとイカが好きなこと。
口のまわりに生えているヒゲが長くて、綺麗なこと。
親友のような、仲の良いオットセイがいること。
そんな、小さな事ばかりだった。
そうしていくうちに、私と彼女、私と飼育員の方々、私と動物たちとの関係は変わっていった。
研修が終わる頃には、家族のような存在になっていた。
 
最後に彼女の食事を手伝わせてもらったときも、彼女はいつもと変わらなかった。
私は彼女にアジを手渡した。
彼女は口のまわりのひげを精一杯伸ばして、それが何か確かめるようにした後、受け取ってくれた。
できるだけ、優しい声をかけながら。しっかりと、彼女の姿を目に焼き付けた。
施設を出る前に飼育員の方々とハグを交わして、また会う約束をした。
私たちは、別れを惜しむというよりも、これから旅に出る人と、その人を見送る家族のようだった。
 
彼女は21歳まで生きた。
彼女の訃報を知らせたFacebookの投稿には、こんなコメントがずらりと並んでいた。
「美しいオットセイだった」
あの凛とした振る舞いに心を動かされて、彼女の左目になりたい、と志願したのは私だけではなかった。
顔立ちが良くて可愛らしい動物はたくさんいる。しかし、彼女には誰にも負けない美しさがあった。
彼女は、いつも凛としていた。たとえ、彼女がどんな姿であっても。
人にこびる訳でもなければ、見下すこともなかった。どの人に対しても、だ。
崖の上に、たった一輪咲いた花のようだ。
強い雨風や日照りにも負けず、彼女はいつも、彼女のままだった。
今日の私たち人間は、簡単に一重まぶたを二重にできる、脚を長くする整形手術もある。
持っていると「美人に見える物」は、お金と時間をかければ手に入ようになった。
しかし、過去に何があっても、どんな外見でも、それに負けない強い心を手に入れることは難しい。
周りに流されず、どんな相手にも平等に接するのは、簡単ではない。
 
彼女はもういない。いないけれど、私は「彼女の左目」になりたい。
彼女は、私と関わることも望んでいなかっただろう。
例えそうであっても、私は思う。
また会いたい。また会えたら、彼女の隣にそっと並んで同じ景色を眺めてみたい。
叶うなら、私と彼女の、4つの目で。
 
 
 
 
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2019-04-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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