君はどの大学を選ぶべきか
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記事:横田 尚子(ライティング・ゼミGW特講)
人生の岐路において進学というのは、いつも悩ましい。
私の人生においては、選択というよりは、消去法だった。
進学先は、費用と自宅からの距離、そして将来何になり何かがあるか、からの消去法だ。
まず、私学は高いから捨てる、自宅から遠い大学も無理、将来なりたい大きな志もなく近くの学校へと通った。
ところが、自分の子供が進学に悩むようになったら、選択肢がうんと増えた。
まず、自宅から通えるところがたくさんある、一人っ子だから私学も通わせられなくはない、将来に対する夢も抱いてほしい。
少年よ、大志を抱けとクラーク先生はおっしゃっているではないか。
だが我が娘の胸に大志があるようには見えない。
最近の子供の大学選びは、まるで回転寿司店での寿司選びだ。
これは本当の寿司ではないが、それなりにおいしそうに見え、お値段もお手頃。
手に取って食べたら、そこそこの味がして、おなかも満たされるのである。
しかし、それは職人が鍛錬して作った魂の入った寿司ではない。
アルバイトが、酢飯を機械に放り込み、型からでた寿司にネタをのせて清潔にマニュアル通りに並べた寿司だ。
誰もが気軽に安く食べられる寿司なのだ。
ありがたくも楽しい仕組みができたものだ。
娘よ、志がないのであればべつに大学なんていかなくていいのだよ。
そう言いたくなるが、せっかく大学に行けるかもしれないのにその先にあるかもしれない可能性の芽をつぶすことが怖くてできない。
そして今日も娘は、「君はどの大学をえらぶべきか」という受験年鑑を掘り投げて、スマホばかりいじっている。
少年少女は大志を抱き、医者に先生に弁護士になり、日本のため世界のためにその人生をささげるために大学にはいるのではないのですか?
ところがそんな母も、今年になり大学生になった。
何ができるのかは、今はわからないし、もしかしたら残された人生においてほんの1分しか、その知識はいかされないかもしれない。
でも、遠い昔に大志を抱けなかった後悔が今になってむくむくとわいてきて、20年以上も自分の中に眠っていたことに気付いてしまったのだ。
そして、自分のお金で学費を払い、家事や仕事の合間で学習をしつつ思うのは学問をするというのは贅沢なことだとしみじみ思う。
やっぱり、回転していようがスーパーに並んでいようが、寿司は寿司なのだ。
美味しくて贅沢なものだ。
学ぶということに、遅いということはないという。
しかし、その瞬間にしか感じとることのできないものがあるのも確かだと感じる。
例えば、人間は、年を取ると涙もろくなるという。
それは、人生の経験が多い分、共感できて涙がでるからだと。
確かに、身近な誰かが亡くなった経験がある人は、人の死を扱う映画をみれば、その時の感情とオーバーラップして涙もでる。
しかし、経験がないままに、新しい経験を受け入れるのは新鮮かつ衝撃的なものだ。
まさに一生に一度しか味わえない瞬間がある。
それが、年を追うごとに少なくなってしまい、経験値というのはありがたくも迷惑なものだと思う。
あー、知っている!
しかし、その知っているは過去の知っていると本当に同じなのか?
もし、知らなかった初めての経験から感じ取った新たな体験だったら別の受け入れ方ができたのかもしれない。
そうして、経験があるということは、新しい何かを受け入れることについて邪魔をするようになる。
もし、私が学ぶこれらの学問を今、娘が学んだらどんな風に感じるのだろう?と思うときがある。そして、知ってほしいと思うのだ。
大人になり、経験値があるからこそ、そうだこんな記憶もあったが、改めて知ってみると面白いものだなとの気づくこともある、それもいずれは感じてほしい。
どんなとらえ方も、未来に向かってなにか新しいことを取り入れる力がある限り、人は学ぶということをやめる必要などないのだ。
「君はどの大学を選ぶべきか」という問いに、本当は真面目に考える必要などないのかもしれない、与えられた運命を素直に受け入れ、自分のできる限りの能力で、入れる大学に行けばいい。
受験生になったからといって、急に医者になりたいだの、博士になりたいだのという大きな志を持てというほうが無理難題だ。
頑張って勉強して、たくさん知識を詰め込んで、経験値を増やして、働き始め、家庭をもち、子供ができ……。
あれ、私はこの年になってまだ、学び足りないのか。
「君はどの人生を選ぶべきか」
次から次へと流れてくる美味しそうなお寿司。きれいなお皿、清潔なレーン。
取り損ねても、次がある。
まだ、食べていない寿司ネタがある。
回転して、つながって無限ループになっている。
そうだ、行きたいときに回転寿司店にいけばいいではないか。
そして、いつかは大人になって寿司屋のカウンターにかしこまって座り、本物に出会えばいい。
少年は大志を抱き、大人になっても寿司を食らうのである。
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