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終電後の小さな冒険は、昼間の仕事の特効薬


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:秋良(ライティング・ゼミGW特講)
 
 
「クライアントとの打ち合わせまでに、スケジュール資料更新しておいて」
「パートナーへの指示出しと在庫確認、速攻で頼んだぞ!」
「今週日曜日、立ち会い大丈夫ですか?」
 
世間で「激務」「ブラック」と言われる業界で働きだして、もうすぐ10年が経つ。
確かにしんどいことは多々あるし、スケジュールも読めないけれど、その分乗り越えたときの達成感は格別だ。
仲間と一緒に手がけた仕事が世間の話題を呼ぶと、そこまでの苦労は吹き飛んでしまう。
世の中を変える面白いものを作るために。
そう自分に言い聞かせ、ひたすら業務をさばいていく。
 
会社と家を往復する毎日がしばらく続くのだろうと思っていたわたしに、最近新しい居場所が出来た。
最寄り駅から家にいたる住宅街にひっそりと佇む、小さな和酒barである。
 
出会いはふとしたことだった。
  
その日も慌てて終電に飛び乗り、うつらうつらしながら最寄り駅で降りた。
何ヶ月も前から仕込んでいたキャンペーンのローンチが二週間後に迫り、チーム中がてんやわんや。
各方面を走り回り、気がつくと朝から夜まで口にしたのはコーヒーだけ(それもクライアントとの打ち合わせときに出てきたもの)なんてことも、たまにあった。
ふらふらしながら夜道を歩いていると、たまたま視界の隅の看板が目に止まった。
大通りから少し離れた建物の、2階にあるらしきお店を宣伝する看板だった。
黒字に、レトロなフォントで店名が刻んである、シンプルな看板。
でも、歴史の教科書や古い小説にしか出てこないような言葉を使った店名は、
言葉を仕事にしたいと思っていた私に強く刺さった。
 
吸い込まれるように店前へ足を運び、思いきってドアへ手をかける。
からんからん、と入り口のベルが鳴り響き、思って以上に軽やかな音色に反射的にドアを閉じたくなった。
 
場違いかな、やっぱり帰ろうかな。
 
逡巡している間に、2Fのドアからマスターが顔を出してしまい、覚悟を決めて階段へ片足を載せた。
 
「いらっしゃいませ」
「……あのう、ひとりなのですが、良いですか……?」
 
もちろんです、とマスターに手招きされ、おそろおそる階段を上る。
ほんのりとオレンジ色の間接照明が彩る店内に足を踏み入れると、お客は自分ひとりだった。
カウンターとテーブル合わせて10席くらいの空間。壁には、日本酒と日本ウイスキーのボトルがずらりと並ぶ。
特にBGMがかかっている訳ではなく、店内は静寂が包んでいた。
きょろきょろしながらカウンターのストールへ腰掛けると、すっと漢字が並んだメニューが差し出された。
 
和酒バーという看板通り、メニューには日本のお酒がずらり。
 
「何飲みます? どんなものがお好きですか?」
「ええっと……」
 
咄嗟に言葉が出てこなかった。
お酒は好きだし、シチュエーションに合わせた選び方は知っているつもりだった。
でもその時は目の前の仕事に、そして「こうすべき」にとらわれてしまって、自分が何を好きか、意識して考えることがずいぶん減ってしまっていた。
なんてこたえれば正解だっけ、と考えて、いやいやお酒選ぶのは正解とかそういうんじゃないから、と自分で打ち消し、謎にあわあわする。
絶句しているわたしに気がついたのか、マスターがさらに質問を重ねた。
 
「おつかれですか?」
 
反射的に「大丈夫です」、と応えそうになってしまい、はっとする。
わたしは、疲れていた。
疲れている、と認めることが出来なくなっているくらい、疲れていた。
大好きなものを見ても、心が凪の状態になってしまうくらい、疲れていた。
 
「……ちょっとしんどいですね」
「だったら、この日本酒とか飲みやすくて良いですよ」
 
手際よくグラスに注がれた透明な日本酒を見つめる。
寝不足だから酔っぱらうかな、と頭の片隅で考えながら、誘惑に勝てなかった。
口に含んだ瞬間、ふわったひろがる柑橘系の甘みと、喉を過ぎる時に感じる微炭酸。
肩の力が抜けて、思考がゆっくりとほどけていく。
自然と口から言葉が出た。
「おいしいですね」
 
それから、夜遅くに帰宅する時は、このbarへ足を運ぶのが習慣となった。
 
ぶっきらぼうだけれど、ひとりひとりのお客様とじっくり向き合い、嘘のないコミュニケーションをとるマスター。
温度とグラスまでこだわり抜かれた美味しい和酒の数々。
繊細かつひねりの効いた季節のおつまみ。
 
自分の好きなものにお金を掛けることのできる力を持っていることが、嬉しくて。
昼間に働く自分を認めてあげられる気がした。
 
一人の時間を楽しみにきているお客さんが多く、常連客同士でも相手にあまり干渉しない。
人見知りの自分でも、気にしないで居られた。
このお店にいる瞬間は、どこかの会社員でも、だれかの恋人でも、友人でも、娘でもない。
独立した個として、素直にその場に存在することが出来た。
 
何度か早い時間に行ってみたこともあるけれど、やはり終電後が一番いい。
その時間帯に来るのは近所に住む常連さんが多く、お店を昔から知っていて、その静かな空間を愛している人が多い。
この空間を守るんだ、という目に見えない意思が店内に漂っていて、自分の好きなものを同じくらい好きな人がたくさんいるという幸福を感じることが出来る。
 
最近は、泣きつかれて消えてしまいたい夜があったとしても、
眠りに落ちる直前には、歯を食いしばっていつもより早い時間にアラームを設定する。
朝になったら、瞼の腫れを隠すためにいつもより念入りに化粧をして、何事もなかったかのように出社するためだ。
 
そうやって過ごす毎日も、自分も、結局のところ嫌いじゃない。
でも、「疲れた」と少しだけ寄り道をしたくなることもある。
 
そんな夜は、いつもあの場所が迎えてくれる。
 
 
 
 
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2019-04-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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