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40代の「学び迷子」は、手遅れか?


 
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:鴻池 亜矢(ライティング・ゼミGW特講コース)
 
私は、完全に行き詰まっていた。
前の年に大学院での学びを終え、私は「専門」を手に入れたはずだった。
なのになぜ、また「この感覚」にとらわれるのか。私は頭を抱えてうなだれた。
 
「この感覚」に出会ったのは、初めて転職したときだった。
私は30代のはじめに、実態のない自信と理想をもって企業のコンサルティングや研修をする会社に転職をした。異業種転職である。
最年少でコンサルタントという名刺をもらい、私は意気込んでいた。
しかし一方で、毎日のように受けるある問いに悩んでいた。
 
「あなたの専門は?」である。
 
社内で自己紹介をするたびに、新しいお客様のところに訪問するたびに、外部の人と名刺交換をするたびに、この問いがやってくる。
専門的な学びをしていなかった私は、答えに窮して、毎回しどろもどろした。
そのときの感じが、「この感覚」だ。
 
私は「この感覚」を打ち消すために、30代の時間を学びに費やした。
キャリアや心理のカウンセラートレーニング、それにまつわる様々な心理療法。
経営学分野の組織行動や組織論、マネジメントについて。
学歴重視の会社だったので、大学院にも行くことに決めた。
そして、働きながら2年半かけて、修士号を取得した。
大学院を修了した時、私は「自分は生まれ変わった」と思い込んでいた。
 
しかし、その経験のあとなのに、「この感覚」アゲイン、である。
「あなたの専門は?」
「体験学習を用いたファシリテーションです」
「はぁ…。で? 何ができるの?」
「ええと…、○○も学びましたので使えますし、△△も認定を持っています…」
「……。(よくわからない、という表情)」
「あ、御社の場合ですと例えば…(焦って説明するので早口になる)」
「……。(さらにわからない、という表情)」
お客様とのやりとりは、いつもこんな感じになる。
 
あれだけ学んだのに、学んだことにはすばらしい価値があるのに…。
私はふたたび頭を抱えた。
私は、「学び迷子」になっていた。
 
迷子になった私は超絶ネガティブ人間となり、引きこもるし、愚痴るし、それはひどい日々だった。
あげく、40歳を前にジタバタと小さなコンサルティング会社に転職して、結果うまくいかず、すぐに辞めて職を失った。
ひどいネガティブ度合いだったので、当時同棲していた彼氏にも去られて、独りになった。
40代に突入した私は、そこで完全に行き詰まった。
 
しかし転機は突然だった。
やる気がなくなっていた私は、なんの意図や目標も持たず、以前学んだTA(Transactional Analysis:心理学のひとつ)の継続学習に、ほぼ惰性で参加した。
そこで一つの出会いがあった。
今の、師匠だ。金髪青い目のその人はイギリス人。
彼女は、好奇心満載の目で、私に問いかけてきた。
「あなたの職業は?」
「ファシリテーターです」
「そう。なら私のところに来たら? イギリスでワークショップがあるのよ」
一瞬ぐっと喉になにかが詰まった感じがした。
イギリスなんて簡単に行けるわけがない。なんといっても私は英語ができない。
一貫して国内にだけ生息してきた人間なのだから。
しかし、次の瞬間に私は答えていた。
「はい」
英語力がなくてYes、の次が続かなかっただけでもある。しかしとにかく、Yesと言った。
それは論理的合理的な理由からではなく、やりたいという強い思いからでもなかった。
直観から来た答えだった。
 
この選択によって、私は新たに2つの言語を手に入れて、「学び迷子」から抜け出した。
 
ひとつめの言語は、英語だ。
イギリスで学ぶという目標が決まったので、がっつりと英語を勉強した。
フィリピンの英会話合宿では、ほとんどが10代・20代の生徒の中で、私は唯一の40代。私だけかなりのオバちゃんで恥ずかしかった。しかしなりふり構わず勉強した。
帰国してからもオンライン英会話を毎日やった。
 
そしてイギリスでの初日、私は満を持して英語でイギリス人に話しかけた。
しかし、反応は、「???」という困った表情。
そう。ちょっと勉強したからって、そんなに簡単に英語が通じるわけはないのだ。
 
……また、なじみの「この感覚」がくるのか?
 
私は一瞬ひるんだ。
しかしその時、私の頭にある声が聞こえた。
 
「ま、いいじゃん。細かいことは。気にせずしゃべろう。ここは質より量だ!」
 
私は半ばムキになってめちゃくちゃな英語をしゃべった。
そうすると、相手は「ああ!」という表情をして応えてくれた。英語ライフの始まりだった。
 
現在、それから数年が経っている。オンライン英会話は続けている。
英会話スクールの広告なら、「私、いまはペラペラ!」となる。
しかし、40代の学びをナメちゃいけない。
毎回、単語は忘れるわ、文法は間違えるわ、いまでも英語で話しかけるたびに外国人に「???」という表情をされる。
でも、大丈夫。40代になると「細かいことを気にしない(忘れちゃう)」という特殊能力が身につくのだ。
いいのだ、毎回ゼロからで、と思える。
たくさんしゃべってみれば、いつかわかるだろう、と気楽に考えることができる。
こうやって私は、遅々とした歩みで「英語という世界とのやりとり手段」を手に入れつつある。
 
もう1つ、手に入れた言語がある。Transactional Analysis(TA)という心理学の考え方だ。
私にとってのTAは、英語とよく似ている。
TAも英語も、使われる領域が広いのだ。
私が30代に手当たり次第に学んできた、心理学や経営学などバラバラな分野の言葉たちは、ほぼすべてTAの言葉に翻訳することができる。
例えてみれば、ドイツ語で学んだことと中国語で学んだことを、英語に翻訳している感じだ。
いまは、バラバラな専門分野の知識を、TAという1つの言語で考えることができている。
そうなると考えるスピードが速くなるし、バラバラだった分野につながりが出てくる。
しかも、TAの言葉がわかる人とは、TAの言葉ですぐに理解し合える。
TAは、便利な言語なのだ。
 
今はこの2つの言語のおかげで、3年間で世界15カ国に200人近くの友人ができた。
海外で仕事もした。
仕事のスピードと質が上がってきた。
何より、楽しい。
数年前には想像もしなかった世界だ。
 
いまでも、自分が行き詰まった瞬間の「この感覚」を思い出すことがある。
息が詰まる感じ。どこかに閉じ込められたような、暗く、ジメジメしている感覚。
そこから自由になれたのは、論理性や合理性にとらわれず自分の直観に素直になったから。
それから、細かいことを気にしない(忘れちゃう)力を開放したことも決め手だ。
私の場合はこの2つだが、40代から世界がひらけていくきっかけは、もっと他にもあるのかもしれない。
 
孔子は「四十にして惑わず」と言った。
この「不惑」といわれる言葉の意味は誤解されがちだ。
これは「惑わないこと」ということではなく、「道理を良く知り、枠にとらわれない自由な発想で物事を考えること」だそうだ。
40代こそやっと、自分を縛る枠から自由になれる年代なのかもしれない。
 
 
 
 
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2019-05-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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