タイムマシンに乗せられて
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【6月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:矢野 尚美(ライティング・ゼミ平日コース)
「えーっと、確かこの辺のはずなんだけどなぁ……」
「あ! あった! ここだ、ここだ!」
看板も何もない少し暗めの路地裏。
彼は嬉しいのか、私を振り返らずにズンズンと、そこからさらに真っ暗な階段を登ってゆく。
知らない人に連れて来られたら、間違いなく恐怖を覚えてしまうかのような暗さ。
「ちょっと待ってよ」
その私の声に、連れがいる事に初めて気づいたかのような表情を一瞬浮かべた彼は我に返り、照れ臭そうに言った。
「ごめんごめん」
それから私を先に行かせると、真っ暗な階段をのぼりきった先の、重たそうなドアをサッと開けてくれた。そのお店に足を踏み入れることが待ちきれなくて、私の存在をすっかり忘れてしまっていた彼の表情は、まさに「お母さん、宝物見つけたよ」と小石を持って、キラキラした瞳をしている少年そのものだった。
何だかプッっと笑えてきたのも束の間、扉が開いたその瞬間……
笑いがいつの間にか、ホォーっと、ため息に変わった。
なんて言ったら良いのだろう。
店内の暗さはまた、路地裏の陰湿な暗さとは打って変わって、上品な、洗練された、計算され尽くした空間だったのだ。
「何にされますか?」
初めての客だと一瞬で見抜かれ、一応メニューを差し出されたものの、同じカウンターに並ぶ人たちの中に、メニューを見て頼んでいる人は一人もいない。
彼の顔色を伺うと、
「こないだ初めて飲んだバーボン、何だったかな、名前忘れちゃって」
と気さくにマスターに話しかけている。
さっきお店の場所を忘れていたことなんか、無かったかのように。多分いつも酔っ払ってから3軒目とかに来ているのだろう。マスターは彼の事をしっかりと覚えているようだ。
「前回のはこれでしたよ、同じロックにされますか?それとも今日も相当飲んでいらっしゃるようですので、水割りにされますか」
とキラキラしたボトルを差し出された。
バーボンロックとチェイサーのお水を差し出された彼は、またしても私の存在を忘れていたようで、慌てて「何にする?」と聞いてきた。
メニューを見てもよく分からないので、精一杯の背伸びをして、マスターの背後に並んでいる、ライトアップされたボトルの中から、見たことのあるラベルの一本を指差した。
まだ22歳の、お酒は2年生の私。
こんなオシャレ感漂う、薄暗い照明の本格的なバーに足を踏み入れたのは初めてだった。一気に大人になった気分を味わいつつも、やっぱり少し緊張していた……のだが、お酒を飲み進めるうちに、もう常連になったかのような、何年も通っているかのような、お家にいるかのようなリラックスした気分を味わっていた。
カランカラン
白衣を着て、ウイスキーと氷をクルクルとバースプーンで回転させる様子のマスターは、真剣そのもので、回す角度や回転数まできっちりと決まっている理科の実験のようだった。はじめはお洒落な空間の中で異様に感じた、白衣と言ってもコック服ではない、実験室のような理科の先生のような白い制服が、一杯目のお酒が空になる頃には、心地いい空間を作り出すための大切な心臓部分のような、その空間にはなくてはならない当たり前の風景となっていた。
あまりにも嬉しそうな、少年のようにウキウキとしていた彼も、すっかりリラックスして、至福の表情を浮かべている。
「なんか、くさーいのください」
2杯目を聞かれた時に、自然と口から出てきたそのセリフ。ケーキ屋で働いていた私は、スパイスの魅力に取り憑かれていたので、お酒を飲む時もガツンと癖のある、自己主張の強いものに挑戦する、というミッションを自分の中で作っていたのだ。薬草系のリキュールも今までに数種類は飲んでみた。でも、この店で出てくるくさーいお酒って何だろう……
「はい、どうぞ」
白衣で差し出すマスターに勧められたその一杯。
そこで2年生の私が初めて出会ったのが(銘柄は忘れてしまったが)スコッチウイスキーだった。
はぁー。
美味しくて出るため息のなんて幸せな事。その空間で初めて出会った事が幸せだったのだろう。空間で感じる美味しさもあったのかもしれない。私はスコッチウイスキーという、大人な響きにと、好みの臭さに、すっかりハマってしまった。
何度も彼にそのバーへ連れて行ってもらう度に、新しいスコッチを試しては、はぁーっと、ため息をつき、その頃には、彼のように、お店の階段をのぼる時には私も少年の顔をするようになっていた。
「何にされますか」
あれから15年。若かった私も、あの時の彼とは違う人と結婚をして3人のママになり、バーでお酒を飲む、なんていう機会もめっきり無くなって、スコッチウイスキーなんていう存在を思い出すことさえ無い、バタバタした日常を送っていた。
15年の歳月を経て、久しぶりにバーでお酒を飲んでいる今日。
迷わず今度は堂々と、銘柄指定であの時に飲んだスコッチウイスキーを頼んでみた。その香りを嗅いだ瞬間、時代も空間も全く違うお店で、一緒にいる仲間も全く違う相手なのに、あの白衣のマスターと、少年のような足取りの彼の事をまるでその場にいるかのように思い出し、ホォーっとため息が漏れてしまっていた。
香りってすごい。
まるでタイムマシンに乗って、あの日に戻ったかのような、15年前の私が、少年のようにトントンと階段をのぼる様子、彼と話した一言一句、マスターの1秒も無駄のない完璧な動作、が目の前にあるかのような錯覚を覚えた。
香りという名のタイムマシンに乗って。
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