胸の鉛が溶けた日
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:トヨフク ナオコ(ライティングゼミ・日曜コース)
私には、ひとつ上の姉がいる。
姉は美人だ。同時にかわいい人でもある。
学生の時から頭が良くて運動も得意だったし、はつらつとしていて器用で、なにをやっても大抵のことは上手に出来てしまうような人だった。
そしてなにより、底抜けに明るい。いつも笑っている。
悲しいことがあっても、何かにものすごく怒っている時も、感情に完全に振り回されない。悲しいことや腹立たしいことがあっても、最終的にはいつもどこかに前向きな解決の糸口を見つけようとする。怒っている時も落ち込んでいる時も何となく口角が上がっているような、そんな人だ。
そんな性格だから、一緒にいるとすごく力をもらえる。
優しくて、明るくて、強い。
私は昔から姉のことが大好きだった。
だけどきっと、私だけではない。姉のまわりにはいつもたくさん人が集まるのだ。
姉のことを嫌いな人間なんていないのではないか、と私は本気で思っている。まだ会ったことのない人たちも、一度会ったらきっと好きになるだろう。
姉の友人からは、姉のことがとにかく大好きなんだという話を何度も聞いたことがあるくらいだ。それを考えても、あながち間違ってはいないのではないかと思う。
だって、いつも笑っていて、かわいらしくて、優しくて強くて、愛に溢れた人なのだ。
そんな人間を世間が放っておくはずがない。
私の場合、俗に言うシスコンも一部あるかもしれないけれど。
だけど私はどうしても、姉に対してもやもやするものをずっと抱えていた。
姉のことを大好きだと思うたび、「でも」という気持ちが邪魔をした。
一歳しか年は離れていないけれど、私は小さいころからずっと「おねえちゃん」がこわかった。
突然機嫌が悪くなる時があったのだ。
今でこそとても優しくて穏やかだけれど、姉は元々勝気な性格でものすごく負けず嫌いな人である。
遊びにも本気になるので、大富豪でうっかり勝ってしまった時はどうしようかと思った。明らかに不機嫌な顔をしている。私は急に心拍数が早くなった。こわい。この場をどうにか収めなければ。
「もう一回やろう」という姉の提案に乗り、次はわざと負けた。
「このカード出せば勝てたのに」と満足気に笑う姉を見て、私は心の底からほっとした。
良かった、いつもの笑っている機嫌のいいおねえちゃんだ。
そうやって、私は常に姉の顔色をうかがいながら一緒に過ごしていた。
明るくて自分に自信のある姉と比べて、私はどちらかと言えば内向的でおとなしい性格だった。だからこそ姉の性格にとても憧れたし、同時に姉のご機嫌をうかがってばかりの自分がいやにもなった。
私にとって姉はずっと、憧れと同時に、劣等感を浮き彫りにさせられる存在だった。
そんな姉と妹の関係も、子どもから大人になるにつれて少しずつ変化していったように思う。
大人になるにつれ、姉は子どもながらの「大富豪に負けて怒る」みたいな不機嫌スイッチが入ることもなくなっていったし、私は私で少しずつ自己主張が出来るようになっていった。
姉とはお互い実家を出ても相変わらず仲が良く、一緒に買いものに出かけたり、姉が結婚して家庭を持つようになっても自宅へ遊びに行ったりしていた。
ある日のこと、久しぶりに二人でゆっくり夜ごはんでもという話になり、天神で落ち合った。
その日はめずらしく、お酒に弱いはずの姉がお酒を飲んでいた。
姉が結婚してからは昼間に会うことが多かったし、そもそも二人きりでお酒を飲んだのは初めてかもしれない。
食事をしながら他愛もない話や近況を報告し合ったりしてしばらく経ったころ、姉がぽつりと口を開いた。
「あのね、直子には悪かったなって思ってるの……」
私は驚いてしまった。いつもはつらつとしている姉が、突然しおらしくなった。
お酒が入っているせいだろうか。
姉は小さいころに私に強く当たって申し訳なかった、こんないじわるもした、と私の記憶にないような話も出てきた。ずっと謝りたかったの、と。
そこに「こわいおねえちゃん」の面影はなくて、子どもみたいにどこまでも素直だった。
その瞬間、私の中でつかえていたもやもやが突然晴れた。
別に謝ってほしかったわけではない。
ごめんという言葉が聞きたかったわけではないのだ。
ただ、おねえちゃんのことが大好きだと、一点の曇りもなく思いたかっただけなのだ。
おねえちゃんが、私のことを嫌いだからいじわるするわけではないと思いたかったのだ。
なんだ、おねえちゃんもずっと謝りたかったんだ。
ずっと同じことを思っていたんだ。
思っていることは口にしなければ伝わらないのに、私はついつい手を抜いてしまう。
それは子どもだった私の「こわいおねえちゃんに逆らえない」もそうだし、大人になった私の「ずっともやもやしているけど、わざわざ掘り返したくないな」もそうだ。
けれどあの日の夜、姉が伝えてくれた「ごめんね」で、ずっともやもやしながら過ごしてきた時間がすべて回収されてしまった。
本当に、胸の中の鉛が溶けたと思った。
だれかに何かを伝えることは、たしかにちょっと勇気がいる。
けれどあの日の「ごめんね」で私の中の鉛が溶けたように、私も伝えることを面倒がらずにいなければ、大事にしなければと思う。
鉛なんてそう簡単に溶けるものではないけれど、それは案外私たちが勝手に思い込んでいるだけだ。本当はもっと、手を伸ばせば届くところにある。
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