メディアグランプリ

大正オトコのラブレター


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記事:後藤里誉音(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
普通は両親の馴れ初めとやらを知っているものなのだろうか。
私は全く知らなかった。
というよりも、隠されていた。叔母がちょっとその話に触れようとすると祖母が遮った。
 
「結婚記念日」はあったが、結婚式の写真はなかった。
 
ある年齢になって、二人は「かけおち」したんじゃないかなあと想像していた……。
 
「パパが先にママを好きになったの」
 
幼い頃、よく聞かされていた母のセリフだ。
 
父は大正生まれの九州男児。
尋常小学校しか卒業していないと聞いていたが、正しいところはわからない。戦争に行き、満州で終戦を迎えた。
 
母は7歳年下で、東京大空襲を経験している。
背が低く、目が細くて鼻が上を向いている。
絵に描いたような不細工だった。残念ながら私は母にそっくりだ。
 
ハンサムで運動神経抜群な父が、こんなにもブサイクな母を選んだ事は、モノゴコロついたばかりの頃からの「不思議」であった。
 
性格が良いのか?
 
いやいや、そんなはずはない。
 
自分が恋をするような年齢になっても、母の魅力はわからないまま、どうして父は母を選んだのだろうという疑問は永遠の謎だ。
 
それでも、母は自信を持って言っていた。
 
「パパはママに夢中だったの」
 
「パパから貰ったラブレター、箱にいっぱいあるんだから」
 
母は不細工なだけでなく、嘘つきだと思った。
 
ところが、ある時父が言った。
 
「そのラブレター、1通100円で売ってくれないか」
 
そんなバカな!?
父は何を言っているのだろう。
そんなもの、本当に存在するなんて、どうかしている。
言葉のアヤだろう、きっと言ってみただけ。
 
まだ「箱いっぱいのラブレター」の存在は信じていなかった。
 
父はそんなセリフを残してから、1年もしないうちに事故で他界した。
もしかしたら、そんな予感がして、ラブレターを買い取るなんて言ったのだろうか。
 
母は「あの時、売らなくてよかった」とポツリと言った。
 
そんな母は、父が恋しくてたまらなかったのだろう。
父の七回忌を終えると、父の元へ旅立っていった。
 
母の遺品の中から、二人の愛の軌跡は見つかった。
 
あの、噂のラブレターは本当に存在していたのだ!
 
ダンボール箱の中かから、大量のラブレターが出てきた。
 
父から母に宛てたものと、母から父に送ったもの。どちらも入っていた。
きっと一緒に暮らすようになった時に、ひとつにまとめて、母は大切に保管していたのだろう。
 
封筒の住所から、二人は遠距離恋愛だったことを知った。
博多―東京  広島―東京 でのやり取りが繰り返されていた。
 
今のように電話で話をすることもない。
唯一の連絡手段だったのだ。
 
その消印から、頻繁に交わされていた事がわかる。
 
そこには、お互いを気遣う言葉や、次に会う約束などが書かれていた。
 
「今夜博多は雪が降っている。東京も寒いだろう。身体を冷やさないように」
「次に会う時には写真を撮ろう。写真があれば離れていても、きっと近くに感じられる」
 
とてもあの厳格な父からは想像できないような、ロマンチックで優しい言葉が並んでいた。
 
「今日、職場でチョコレートをもらったの、次に会った時に、一緒に食べましょうね」
と、母も可愛い。
 
優しい言葉と、温かい文字が並んでいた。
それは、何と約10年もの期間に渡って続いていた。
 
自分が知らなかった両親の人生が、そのラブレターによって映し出された。
 
古い映画を見ているようだった。
 
その映画の中には、私の命が宿ったシーンも刻まれていた。
 
涙が止まらなかった。
 
(この辺りが、祖母の遮りの所以かもしれない)
 
出来ることなら、両親が生きているうちに、これを読みたかった。
 
両親は、青春時代の大半が戦争と重なり、さほど美味しいものを食べることもなく、旅行も数えるほど。
 
生涯借家暮らしで、二人とも63歳で人生の幕を閉じた。
 
でも、この手紙の世界では、最高に幸せな二人が生きている。
 
不細工な母も、まるでヘップバーンだ。
 
現代ではスマホで瞬時に心を交わす事ができる。それも重要な伝達手段だ。
 
それでも、手書きの手紙というものには、お互いの思いを乗せた時間が宿っている。
そこには確かに、相手を想いながら、机に向かって丁寧にペンを走らせている姿が浮かぶ。
 
そしてその手紙は、何日もかけて相手の元に届く。
 
あらためて、両親の宝物を見つける事ができた。
 
そしてそれは、私の宝物になった。
 
この手紙を読んだ時、私はまだ20代だった。
 
「あんな不細工な母でも素敵な恋が出来たんだ!」
 
両親が他界して30年近い月日が流れた。
ラブレターの交換からは60年以上の歳月が流れている。
 
いつかの日か、このラブレターを本にできたらと思う。
 
 
 
 
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2019-06-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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