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メディアグランプリ

最後で最高の贈り物


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:松本 ようこ(ライティング・ゼミ火曜日コース)
 
 
半世紀以上も生きていると、あの世へ見送る機会が度々ある。父方、母方の祖父母、夫の両親、結婚してからお世話になった方……。どの人を見送るときも、ああ、こういうこともあったなぁ、こういう話をしたなぁ、と温かい気持ちに包まれる想いが次から次へと思い出される。
 
昨年は、私の母方の祖母と夫の祖母が旅立った。100歳と3ヶ月だった私の祖母は新しい年を迎えて12日目に、夫の祖母は102歳を迎えて間もなく、あと残すところ12日で2019年を迎える日に旅立った。大往生と言っていいだろう。二人とも病気もなく、祖母は灯が徐々に消えるように、夫の祖母はあっけなく亡くなった。しかも祖母は私が会いに行ったその日の夜に、夫の祖母も家族で会いに行った4日後に。夫も私もそれぞれの祖母の初孫で、会えて安心したのだろうか。
 
祖母たちを失ったことは大きな悲しみではあったが、あっぱれ!という晴れ晴れしい気持ちも同時にあったのだ。90歳過ぎまで一人暮らしをし、それぞれの人生を謳歌していた。最後は施設にお世話になっていたが、祖母は面白いことを言って毎回クスっと笑わせてくれた。夫の祖母には、「がんばれや!」と気合をいれられた。二人の祖母は、今生で与えられた「生」を肉体が機能しなくなるその瞬間まで、「生きぬく」という姿を身をもって教えてくれたのだ、と感動した。
 
祖母たちが亡くなったことを、そして私が感じたことを親しい友だちに話した。すると彼女がこう言った。
「どんな人の死も、残されるものへの最後で最高のプレゼントだと私は想っている」と。
 
「私たちは人の死によってしか学べないものがある。だからこそ、そのプレゼントをしっかりと受け取りたいし、感謝で見送ることが残される人からの最後で最高のプレゼントになると想っている」
 
確かにそうだと、思えた。祖母たち、いや、今まで見送った人たちへの想いがすっと体に浸み込むような感覚だった。そして、その人たちから私に注がれた様々な想いも。
 
そして、ふと思った。私が一番大切で最高のプレゼントを受け取ったのは、母方の祖父が亡くなった時だということを。
 
まだ、自分のことで精一杯だった高校生の時の話だ。祖父は癌で入院していた。都合2年くらいだっただろうか。その頃(今でもだが)、病院の独特な空気感が嫌いで足が向かなかった。祖父母の初孫だった私がお見舞いに行けば「ようこちゃん、来たのか」と嬉しそうな顔をしてくれた。嬉しく思ってくれているのは十分伝わってきて、お見舞いに行って喜ばせたいという気持ちはうんとあった。だが一方で、厳格で一族の大黒柱だった祖父の「やさしいおじいちゃま」の姿を見ることが受け入れないでもいたのだ。
 
そう。祖父の「鶴の一声」で、一族の様々なことの決定が下されていた。どことなく近寄りがたく、遊びに行っても何を話していいかわからない感じだった祖父。かといって、威圧的ではない。祖父が怒っている姿を見た記憶はないし、お風呂で面白い遊びを教えてもらったこともある。私にとっては、いつも「見上げる人」だったのだ。それが、入院生活が始まって、どことなく弱さが感じられ、しかも同じ目線で「よくきたね。何か、お菓子食べて行きなさい」と、それまでとは違うイメージの祖父のあり様を受け入れられなかった。その違いがとてもショックだった。若かったのだ、といえばそうだったのだろうと思う。病院は嫌だったが、そのような祖父を見るのが辛くてお見舞いに行けないでいたのだった。でも、いよいよ祖父も最後の時を迎えそうだという気配を両親の話から感じ、その週末は絶対にお見舞いに行くと固く決心をした。
 
明日は病院に行くぞ、と思っていた日の昼。学校に連絡があった。祖父が亡くなったと。その連絡を受けた時の言いようのない絶望感。ずっと、ずっと気になっていたのに、なんでもっと早くに会いに行かなかったのだろう。どんなに会いにいくと決心しても、亡くなってしまってはどうにもならないではないか。時間は戻せないのだ、ということを痛感した。胸が張り裂けそうな後悔を、その後長きにわたって抱えてしまうことになった。でも、その時私は固く固く決意をしたのだった。もう二度とこんな後悔をするような選択はしないと。それ以降何かを決めなくてはいけない時に、私はいつも自分に問いただす。それをすることで後悔をするのか。それともしないことで後悔をするのか、と。祖父の死からの学びで、まさに私の生き方の指針となる、「最高のプレゼント」を祖父はくれたのだ。
 
私があの世へ行くまでに、まだもう少し時間はあるだろう。これからも、何人か見送るに違いない。その時、私は「最後で最高のプレゼント」をきちんと受け取ることができるだろうか。そして、私が旅立った後、私を見送った人たちはどんなプレゼントを受け取るのだろうか。それが、その人たちが生きていく糧になるプレゼントだったらどれだけ嬉しいだろう。命ある限り、私が「最後で最高のプレゼント」を真摯に受け取ることを続けていれば、きっと私も「最後で最高のプレゼント」を贈れるのではないだろうか。これから先の時間、受け取ったプレゼントを、体に浸み込むように大切にしながら過ごしていこうと改めて思った。それが、プレゼントを贈ってくれた人たちへの想いに報いることにもなると思うから。
 
 
 
 
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2019-06-13 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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