メディアグランプリ

「感じること」に隠されている大切なもの


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:樋水聖治(ライティング・ゼミGW特講)
 
 
かつてない超大型連休となったGWの10日間、僕は、天狼院書店という書店が開催する『人生を変えるライティング・ゼミ GW特別講座』に参加した。
 
ライティング、つまり“書くこと”と向き合う10日間。
 
「人生を変える」という文言に惹かれたというよりは、「伝わりやすい文章をかけるようになりたい」という、一番よくありそうな理由から受講を決めた。
 
そして僕の苦痛の日々が始まった。
 
最初、その苦痛の根本的な原因はわからなかった。ただ、そのゼミの期間に課される“課題”にその原因があることは明白だった。
 
そのゼミでは、毎日23:59分を締め切りとして、“2000字程度の題材自由の記事”を提出するという課題が設定されていた。
 
でも、なにが苦痛だったのか。
 
書くネタがないことが苦痛だったのか、いや違う。むしろ、書きたいと思えるネタは意外にも自分の中にたくさん眠っていた。これは新しい発見だった。
 
文字数が多すぎるのか、いや違う。大学生の頃、学期末などに毎回4000字以上のレポートを何個も課されていた僕にとって2000字は軽い方だった。卒業論文は3万字にも及んだ。
 
「あー、なるほど」
 
苦痛の源泉探しの旅も2日目に差し掛かっていた頃、不意に納得感を持って、その原因に“あたり”をつけることができた。
 
きっかけは、大学時代の担当教官である教授とのあるやりとりを思い出したことだった。
 
当時、僕は課題に設定されていたレポートの草稿を書きあげ、提出前のチェックをしてもらおうと思い教授の研究室を訪ねていた。レポートのデータは既に送信済みだったので、部屋に入るとすぐにフィードバックは返ってきた。
 
しかし、教授からのコメントは予期せぬ点についてだった。
 
「貴方のレポートでは“感じる”という言葉が多く使われているね。貴方だけじゃなく、最近の若者はよくこの言葉を使うよね。でも、僕はこの“感じる”っていう言葉を歴史学において使うことに抵抗を覚えます」
 
「“感じる”というのは、つまり直感的に感じるということであって、それはもちろんすごく大事だけれど、他の言い方をすれば、“まだ考えが深くまで進んでいない状態”もしくは“ほとんど考えていない状態”とも言えるんだよね」
 
「大学での歴史には“学”が付いている。『歴史を科学する』というのは、『過去の史料を元に、思考と理性を用いながら論理を構築し、一つの歴史像を紡ぎ出していくこと』だと僕は考えています」
 
「『感じた内容に対して自分の頭でよく考える』のが大事なこと。こういった“歴史学の場”での“感じる”という表現には、どこか、軽さを感じてしまいます。まあつまり、『Don’t feel, think!!』って感じかな(笑)」
 
ある出来事について書きたいと思い、書き始める。でも、なぜか何回も、何回も手が止まる。うまく表現することができないのだ。まるで、掴もうとして手を伸ばしても決して雲を掴めない感覚、とでも言えばいいのか。そうやってあれこれしていうるうちに時間がいたずらに過ぎる。焦り始める。なんとか締め切りの時間ギリギリに提出する。「また明日も」と思うと気が滅入る。
 
課題提出の日々が始まってから、毎日、毎晩、そんなことを繰り返していた。
 
結局のところ、そんな苦痛のサイクルの始まりは「感じたこと」をほったらかしにしてきた過去の自分の姿勢に端を発していた。
 
「まるで、模試を受けるだけ受けて、復習や分析をしないダメな受験生だな」
 
そう思って、ひとり、苦笑いをしていた。
 
AとかCとかで、自分の志望する大学に対する合格可能性がわかりやすく示される模擬試験の結果。その可能性を知ることはもちろん重要だ。でも、本当に重要なのは入試本番に向けて、どの問題が解けて、どの問題が解けなかったのかを知ることだ。そうしてこそ、“次”に活かせる材料が見つかる。“自分の立ち位置”を知ることができる。
 
嬉しい、悔しい、辛い、悲しい、楽しい、うざい、やばい、エモい、えぐい。
 
たった一言、二言で日々の出来事を片付けてしまうのは簡単だし、楽だ。
 
「今回の旅行は楽しかった!」
 
「この本は微妙だったな……」
 
でも、なにが楽しかったんだろう? 何が微妙だったんだろう?
 
“誰もが使う表現”に“自分”という個性を上乗せして、自分の意見を考えたり、自分らしい表現を発見するために必要なこと。それは、感じたことをそのままにしないでおくことだと思った。
 
「教授が伝えたかった内容は、何も“歴史学のレポート”という範囲に限ったことではなかったんだな」と、遅まきながら痛感した。
 
ゼミの課題と向き合っている時間、僕にとって“書く”という行為は、一度捨ててしまった答案を探し出して復習することだった。
 
「受けてから時間が経ち過ぎた試験内容を思い出し復習する作業は、それは骨が折れるよ」
 
でも、そこにこそ自分が見落としてきた大事なことがあるような気がした。“自分”という人間をもっとよく知ることができるのではないかという予感を感じていた。あくまでも予感だ。
 
GWから1ヶ月経った今でも、相変わらず書きたいと思って書き始めても時間はかかるし、どう表現すれば良いのかわからないと言う場面にもなんども出くわす。でも、そうやって“書くこと”で、日々受け取る“感じたこと”という答案を見直している。
 
“書くこと”の力を借りて、新しい自分を発見したり、出会っていたはずの自分を再発見することはなんとも言えない気分にさせるけれど、「それも自分なんだ」と思うとどこからか笑いが込み上げてくる。
 
「あなた誰ですか?」
 
日々の中でそう自分に問いかけることも多くなった。
 
「これが僕だよな」
 
そう頷きながら問いかけることもよくある。
 
『人生を変えるライティング・ゼミ』という講座名のように、人生を変えることができたかは今の段階ではわからない。でも、僕は「ライティング・ゼミ」を受ける前よりも人生を楽しく生きていると思う。
 
“自分探しの旅”なんて言うには、遅いように感じる歳だけど、その旅はまだまだワクワクすることで溢れていそうだ。
今はその旅を思う存分楽しもうと思う。
 
 
 
 
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2019-06-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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