メディアグランプリ

匠の技


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:長島綾子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「恥ずかしいことなどなにもありませんよ。人前で思いを伝える仕事をされるのでしょう」
バレていた。私の心は、ファインダー越しにすっかり映し出されていた。
 
プロフィール写真を撮ってもらうには最も適さない朝だった。
一ヶ月ほど前に会社を辞め、個人で仕事をし始めた私には慣れないことばかりだ。感情が日々ジェットコースターのように上下する。ことにその前日は、仕事のトラブルで自分の不甲斐なさや悔しさに耐えきれず涙し、目は腫れ、問題は解決しないまま待ち合わせ場所に向かった。
 
おまけに、写真を撮ってもらうことが苦手である。撮った写真を見ると自分の欠点ばかりが目につく。ましてや自分一人で映るプロフィール写真となると、どんな顔をしていいのか、ポーズはどうするか、さっぱりわからない。
 
都内某所、午前中いっぱいの撮影である。現れた匠は、柔らかい眼差しの方だった。匠の書いた文章を以前読んだことがある。人物を撮るうえで、まずそのひとの表情を観察する。特徴を捉え、その人が一番その人らしく輝いている表情を見つけ、イメージし、それを写真になぞるよう心を配る、とあった。こんな最悪のコンディションで、私らしく輝いている表情など撮ってもらえるのであろうかと不安がよぎる。
匠は私の心配をよそに、穏やかな口調で撮影の流れなどを説明し、では少し歩いてみましょうか、と
促した。特にしげしげと観察されることもない。
 
歩きながら、今日は曇っていますが光が柔らかいので撮影日和ですよ、と語る。歩くペースも荷物の多い私を気遣ってくれる。
撮影は流れるように始まった。やはり、どんな表情をしていいかわからない。笑顔の写真を撮ってもらいたかった。でも撮ってもらった写真を見せてもらうとぎこちない印象である。匠は言った。「この写真を見た人にどう感じてもらいたいか、想像しながらカメラの前に立つといいですよ」と。なるほど。目が腫れぼったい人と思われたくはないな、そんなことしか浮かばなかった。
 
犬の散歩や買い物客らしき人で街は賑わい始めた。そんな中
「あちらの木からこちらまで、歩いてきてください」というオーダーが入った。
モデルでもないのに歩くなんて。かなり長い距離を歩くことになる。明らかに目立つ。何回か歩いているうちに匠が言った。
 
「恥ずかしいことなどなにもありませんよ。人前で思いを伝える仕事をされるのでしょう」と。
 
そう、私は前日のトラブルや、慣れないことの連続で日々いっぱいいっぱいで、自分に対して自信を失っていた。そして、そんな自分が人前に出ることが恥ずかしいとどこかで思っていたのである。それを匠はすっかり見抜いていた。どんな顔をしていいかわからないというのも、結局は自分の映りにばかり気を取られ自意識過剰なだけ。だから撮ってもらった写真も自分のよくないところにばかり目が向く。
 
その瞬間、私の中に諦めというか、安心というか温かいものがトロンと流れるのを感じた。「ま、いっか」という思いが生まれた。この撮影を楽しもう、私の写真を見てくれた人が、「日々色んなことがあるけれど、この人だったら明るい未来をみせてくれそうだ」と思ってもらえるような写真を撮ってもらおう、そんな思いで満たされた。それから、周りの人の目が気にならなくなった。私はただ、この写真を見てくれる未来のお客様を思い、そのお客様を見つめてカメラの前に居ればよかった。
 
匠は撮影の合間、いろいろな話をしてくれた。光の角度の季節による違い、太陽の光の強い日には顔にも影ができやすいこと。また、歩きながらよく周囲を観察していて、都内でも緑の多いその場所でトカゲやてんとう虫、カマキリを見つけては教えてくれた。参議院議員選挙のポスターを見ては「この人は顔色の悪い写真を使うなあ、でもわざと、話題作りのために使っているのかもしれない」などとコメントする。
 
ああそうか。面白いもの、心揺さぶられるものがないか、常に宝探しのような気持ちで世の中を見つめているのだ。私のことをしげしげと観察することはないが、いざカメラを構えると、穏やかな眼差しが一転、鋭いものに変化する。私と話しを合わせながらも常に、光の様子や周囲の様子、私のネックレスが曲がっていないかなどに気を配ってくれている。匠のような視点で物事を見つめていたらどれほど豊かであろう。毎日の暮らしの中で辛いことのない人などいない。それでも、まるで少年時代に山に虫取りに出かけるような気持ちで日々過ごしていたら、きっとたくさんの宝ものが貯まっていくことであろう。その宝ものをそっと人に見せてくれるような、そんな思いで仕事に向かっているのかもしれない。
 
匠の技を見せてもらった。被写体の持っている最高の表情を、あの手この手でゆっくりと引き出す。そしてその眼差しは、私の目が腫れぼったいという事実を見つめながらも柔らかく、今日の最高の表情を収めることができるよう細心の注意を払ってくれている。かつ、決して相手に気を使わせないよう配慮を忘れない。いつの間にか、私は不安だったことさえ忘れた。
 
撮影後、魚の定食屋に入った。匠は実に美味そうに刺身を口に放り込んだ。出来上がる写真は、きっと私も気づかぬような私らしさが滲み出たものなのだろう。
 
 
 
 
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2019-07-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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