メディアグランプリ

うさぎとカメの料理教室


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:天草野 黒猫(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
ある日のことだった。
「そんなに急いで切らなくていいんだよ」
やさしく深く響く、男性の声だった。
 
綺麗に掃除されたピカピカのガスコンロ。
女性達の談笑する華やかな声。
そんな中、私は冷や汗をかきながら人参を切っていた。
 
ここはガス会社が主催する料理教室。
長く会社務めをしてきた私は、病気を機に自営業に転身。
せっかくだから、今までやってこなかったことをやってみようと料理教室に通い始めた。
 
というのも、今みたいにライフバランス重視の勤務方針ではなかった時代。
会社務めをしていた私は残業にあけくれていた。
時間が合えば会社の仲間と夕食をとり、1人の時は軽い食事をコンビニか有り合せの物で済ませる。
 
元々、食べる事は好きではあった。
しかし、生活のウェイトは仕事に完全に傾いていた。
 
「じゃ、この人参をちゃちゃっと千切りにお願いします」
 
食材の近くにいた女性から人参が手渡される。
わぁ、切る作業は苦手だ。しかも、最も苦手な千切りですね。
心の中で、そっとつぶやく。
そして、思わず包丁をもつ手に力が入った。
 
平日の料理教室は、ほとんどが主婦の人ばかり。
毎日やっていることだから、みんな早いし手際が良い。
 
包丁が奏でるリズムもとても軽快だ。
そして、さっと切り終わりおしゃべりが始まる。
 
プロの中に1人初心者が入ったような居心地の悪さ。
あー、この人達がうさぎなら私はカメだ。
まるで、軽々と横を走りぬけるうさぎの背を見ている気分。
その後ろを懸命に歩くカメだった。
 
……とろすぎる。
 
自分が今までやってこなかったこと。
パソコンのキーボードを打つ仕事とは違いすぎる世界。
そのうち、家庭を持っていないあせりのようなものまで込み上げてくる。
 
ああ、なさけない。
 
そんな事を思いを抱きながら切っていた人参。
やさしく響いた声の主は、今日教えてもらっていた中華料理の先生の声だった。
 
「料理は早く切る事だけが大切な事じゃないんだよ」
 
そういって、包丁をとって切り方のポイントを教えてくれる先生。
まるで、私のあせりを見透かされているようだった。
 
「最初は時間がかかっても丁寧に。大きさをそろえる事に注意をする」
「大きさがそろっていないと、熱の伝わりが違って仕上がりが美味しくないからね」
「料理はおもしろいよ」
 
はっとした。
 
私は他の人に追いつこうという気持ちばかりが先に立っていた。
料理を楽しむ事には全く意識がいっていなかったのだ。
 
この中華料理の先生は老舗ホテルの料理長まで務めた方。
しかし、とても親しみやすい笑顔とトークの先生だった。
 
「いやー昨日家で思い立って肉まん作ったら、これが楽しい。手作りはおいしいんですよ」
とおっしゃる程、仕事として以上に料理を愛していらっしゃる方だった。
 
「でも先生、やっぱり早く切れた方がなんだかかっこいい」
そんな言葉は、その場では飲みこんだ。
今思えば、こんな事を考えている時点で私は料理の楽しさは微塵もわかっていなかった。
 
ある日、料理教室で知り合った年配の方数名とご一緒してランチに出かけた。
お店は中華料理の先生が勤務されているホテルのレストランだった。
 
厨房から出てきて挨拶をして下さる先生。
「楽しんで行ってください」
という満面の笑顔と言葉と共に、奥に。
そして、運ばれる料理はとても美味しかった。
 
美味しかった。と共にここでもはっとさせられた。
 
というのも、硬い物全てに丁寧に切り込みが入れられていたからだ。
食べやすい!
 
口に入れても、さほど噛まなくていいように工夫がされている。
そして、1つ1つの料理の大きさが口に入れやすいように小さく切ってある。
年配の人にやさしい料理だった。
 
ああ、なんて心使いだろう。
これが料理なのだ。そして、作る事が好きということなのだ。
徹底的に食べる人の事を考えてある。
 
先生はきっと食べる人の笑顔を想像して、自分も楽しんで作られたのだ。
そんな事が伝わってくる料理だった。
 
料理の最後には、また先生が挨拶にいらっしゃった。
「いかがでしたか?」
「とても美味しかったです!」
みんなの声がそろう。
先生の満足そうな、うれしそうな笑顔。
 
それからは、料理教室でもあせることがなくなってきた。
そうだ。先生のいうとおり、あせらなくてもいいのだ。
やってこなかったことは丁寧に。
時間をかけてもゴールはひとつ。「美味しく食べる事」
 
自分1人なら、私が笑顔になるために。
一緒に食べる人がいれば、その人と笑顔になれるように。
 
料理教室では料理のポイントはもちろんのこと。
「料理は楽しい」「食べる時の事を考えて作ることは、おもしろい」という事を教わった。
 
先生のおかげで冷や汗をかきながら人参を切っていたカメは、料理を嫌いにならずにすんだ。
マイペースに料理を楽しむ事ができるようになった。
 
あれ? ふと思えば、うさぎさん達も長い時をかけて身につけた技なのか。
だとしたら、うさぎもカメもないのかな。
 
ああ、こんな事を書いていたら無性に何か食べたくなってきた。
そうだ!今日は先生に教わった油淋鶏(ユーリンチ)を作ろう。
美味しいゴールを想像しながら……わぁ、お腹がすいてきた!
 
 
 
 
***
 
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2019-07-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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