メディアグランプリ

寡黙な男


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記事:吉田 倭子(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
私は、これをなぜ初めてしまったのか正直分からない。
私の茶道のN先生は多趣味な方だ。茶道は言うまでもなく、油絵は描くし、華道も、俳句も嗜んでいらっしゃる。そんなN先生に華道を習いに行っていたある日、夏祭りで思いがけず出会った時の話をしていた。
鳥取県には「鳥取しゃんしゃん祭」という夏祭りがあり、その会場で偶然会ったのだ。その時の私は、「しゃんしゃん傘」という傘を使って祭りの踊り子として参加していた。知り合いに参加していることがばれるとは思いもよらず、いつになく濃い化粧をして思う存分踊ることを楽しんでいた。N先生は、祭りの見物に来ていらっしゃったのだが、いつも地味目な私が、思い切り弾けているのを見て驚いたに違いなかった。
けれど、N先生は「とっても綺麗にしていたから、誰かと思いましたよ」 などと言ってくださった。そこまでは、良かったのだ。
なぜか、急にN先生が紙を出してきて「じゃあ、さっき話していたことを俳句で書いてみなさい」 とおっしゃった。「え? しゃんしゃん祭りのことをですか?」 私は固まった。俳句など、学校の国語の時間に習ったきりだ。五七五で季語を入れて書くことしか知らない。そういうと「それで十分です」 とおっしゃって「夏」 や「祭り」 も季語だと教えて下さった。
その日はN先生に手伝ってもらって「いつもより濃い目の化粧夏祭」 という句をはじめ5句を書いた。そのままその5句はN先生の所属する句会に投稿され、私はいつの間にやら句会の新規会員になっていた。
それから毎月句会を主宰するS先生に俳句を添削してもらうようになり3年が経つ。俳句の添削は「プレバト!」 で夏井先生に添削してもらうようなものだと言えばわかりやすいだろうか。
毎月送った5句の俳句をよりよい句にして返して下さる。赤ペン先生のごとく、訂正をされ、よい句には◎を付けて下さったり、コメントを入れたりして帰してくださるのだ。
他の方の俳句をみると人生の重みというか、厚みを感じ落ち込む。それに引き換え私の句はなんて軽い句か。N先生は私の句は私にしか書けない若さや新鮮さを感じるものだと励ましてくださるが、未だに季語が句の中に2つ入っている「季重なり」は愚か、季語がないときまであるレベルの低さだ。とはいえ、添削を受けていてだんだんわかってきたことがある。
俳句はどうやら寡黙な男のようなのだ。
俳句の十七文字という限られた文字数、この中に季語を入れ相手にその情景を伝える必要がある。語るべき言葉も伝えようとすることもあるけれど必要以上に多くを語らず、言葉少なに、けれども必要なことはしっかりと伝える。そんな寡黙な男の語る言葉が少ないからこそ、その奥にあるものに想像力を掻き立てられ魅力を感じるし、少ない言葉であっても伝わる思い、人柄やその人自身の何某かが現れる。軽薄にぺらぺらとしゃべる男のように相手に想像をさせることなくすべてを語ってしまうものは面白みがないし、つまらないのだ。時折話す言葉がいつも的を得ている寡黙な男のように、少ない文字で制約があるからこそ自分の中にあるイメージをぴったりと表す言葉をセレクトできるのかもしれない。
そして、この少ない文字数の中に必ず季語を入れることになっていることもポイントだと思う。私は、俳句を作るようになって、どんなに忙しくても季節を感じることができるようになった。職場から家へ毎日寝に帰るだけの仕事漬けの毎日であっても。ふと横断歩道の信号待ちで桜の花びらが流れゆく様が目に入る、バスに乗るときにカサリと落ち葉を踏む瞬間を感じる、暑さでよれよれになり手に張り付く仕事の書類に気づく。そんなありふれた日常のふとした瞬間を季語とその時の自分の心の内とをあわせて写真のように切り取り、自分だけの思いを映す句とするのだ。そのままであれば通り過ぎてしまう日常の一つひとつが、俳句にすることにより思い出深い情景となり、その句を見返す度に、写真を見るかのようにその時のことが心の内とともに思い返される。
けれども、なんといっても寡黙な男だ。言葉が足りない。だから自分の思いを尽くして作っていても相手には別の解釈をされることもある。寡黙な男がただの口下手な奥手な男だと思われることもあるかもしれないし、愛想のない男だと思われるかもしれない。けれども、それでいいのだ。寡黙な男は少しの誤解で気を悪くする心の狭い男ではない。少ない言葉で語られた俳句の解釈は、読み手の受け取り方に委ねられている。その心の広さもまた俳句の良さだし、その句に読んだ自分の心の内は自分だけのものなのだ。
日常の中の私の心の内とともにその時の情景は切り取られ一つひとつの句。私だけの寡黙な男は私の内面までは語りつくすことのないよう守ってくれている。
 
 
 
 
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2019-07-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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