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はやぶさは僕らのヒーローだ


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記事:松熊利明(ライティング・ゼミ平日)
 
 
「キレイだが、悲しかった」
 
もうどれくらい前になるだろう。
日本が打ち上げた小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還した時の話だ。
 
はやぶさが大気圏に再突入して燃え尽きるまでの光景は、今でも私の目に焼き付いている。
 
当時、私はテレビのニュースでその光景を繰り返しみていた。
 
探査機本体は大気圏に突入すると、凄まじい熱で跡形もなく燃え尽きる。
耐熱性が高い(サンプルが入った)カプセルだけが地上まで戻ってくるのだ。
 
機体を包む炎が長い尾をなびかせながら、徐々にいく筋もの光の帯に分裂していくさまは、一見すると”花火”や”流れ星”のようにも見えて美しいのだ。
 
だが、それをキレイと言う感情だけで終わってしまう人は、
それまでに、はやぶさが辿った軌跡を知らない人だろう。
 
はやぶさは、日本のJAXA(宇宙航空研究開発機構)が開発した小惑星探査機だ。
 
2003年に日本から打ち上げられた探査機は、遠く離れた小惑星「イトカワ」まで行き、惑星表面のサンプル(岩石)を回収して、地球に持ち帰るのが最大の使命だった。
 
その後に映画にもなったので、ご存知の方もいるかと思うが、
その旅程は最初から最後までトラブル続きで、なんともドラマチックなのだ。
 
エンジンの一部に不具合が発生したり、
あるトラブルから太陽光発電のパネルの発電量が低下したり、
姿勢を制御する装置の一部が故障したり、
最後には着陸にも失敗したり。
 
その都度、はやぶさは死にかけたのだ。
 
その中でも一番の危機があった。
はやぶさとの通信ができなくなった時だった。
 
地球からの遠隔操作で動かしていた機体は、当然ながら操作不能に陥った。
広大な宇宙空間の中で、はやぶさは右も左も分からない迷子となってしまったのだ。
 
それでも、日本のスタッフは諦めなかった。
はやぶさが発信する僅かな信号を捉えようと、寝る間も惜しんで必死で探したのだ。
そして、行方不明になってから3ヶ月が経ったある日、遂にはやぶさを発見した。
それは、諦めない気持ちが作り出した奇跡だった。
 
結局、満身創痍のはやぶさは、当初の予定より3年も遅れて帰ってきた。
それだけの苦労と努力を積み重ねた結果、月よりも遠い天体表面から地表の
サンプルを持ち帰るという”世界初”の快挙を成し遂げる事ができたのだ。
 
これだけのドラマを見せられた時、人はどんな感情を抱くだろうか。
 
失敗を繰り返しながらも、何度もそこから這い上がる姿が人間と重なり、
もはや、はやぶさという個体は一つの機械の塊ではなく、遠く離れた場所で
奮闘する”友人”のような存在に私は思えてきたのだ。
 
それくらいに、愛おしかった。
 
そして、私の感情を揺り動かす決定打となったのが、
大気圏に再突入する直前にはやぶさが撮影した写真を見たときだ。
 
そこには”地球”が写っている。
そして、これははやぶさがこの長い旅路の中で撮った最後の写真である。
最後に自分の”ふるさと”である地球の写真を撮ったのだ。
 
カメラも満身創痍だったのか、その写真には縦方向にいくつもの白い筋が入っている。
だが、不思議と地球ははっきりと撮れているのだ。
この後のはやぶさの運命を知っている為、この写真を見ると今でも涙が出る。
 
帰還時の光景が悲しくみえたのはこういう訳だ。
 
私が子供の頃を思い返すと、アメリカの惑星探査機「ボイジャー」が次々と
太陽系の惑星を巡り、木星表面にある大きなうずや、土星の周りの輪っか(リング)など、今まで私達が見たことがない惑星の新しい表情を写真という形で提供してくれていた。
 
私も図書館でよく、その写真が掲載された科学雑誌を目を輝かせながら見たのを思い出す。
 
現在では科学も発達したが、宇宙や惑星に関しては未だに未知な部分が多く、謎めいている。
当然、その当時は今以上に分からない事だらけだったから、宇宙に興味を持っていた私は、新しい発見があるたびに自分が宝物を見つけたかのように騒いでいたのだ。
 
一昔前までは、宇宙事業と言えばアメリカとロシアがリードしていた。
 
それは間違いない。
 
アメリカは、アポロ計画で人類史上初めて人間を月に送り込んだ。
「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」
その時にアームストロング船長が発したこの言葉は、あまりにも有名だ。
 
一方ロシアは、世界で初めて有人飛行を成功させた。
ガガーリン大佐の「地球は青かった」のフレーズは、誰もが一度は聞いた事があるだろう。
 
そして日本。
 
今回「はやぶさ」が成し遂げた快挙は、世界に日本の科学技術力の高さをアピールした。
そして、日本がその宇宙事業の中心に加わった時と、後々語り継がれる瞬間となるかも知れない。
 
以前、日本のプロ野球に所属してた「野茂英雄」は、当時日本人ではまだ通用しないと思われていたメジャーリーグに果敢に挑戦した。
そして、メジャーの強打者を次々とキリキリ舞いにして、現地のアメリカ人を驚かすほどの素晴らしい成績を残した。
その活躍に対し、日本人はみんな興奮し誇らしく思った事だろう。
野茂は、ぼくら日本人の「ヒーロー」となったのだ。
 
“はやぶさ”も同じだ。
野茂と同じ新たなステージに殴り込みをかける「ヒーロー」に、はやぶさはなったのだ。
 
そして今、もうひとりのヒーローが誕生しようとしている。
はやぶさの後継機「はやぶさ2」だ。
 
はやぶさ2は、初代はやぶさよりも更に難しいことに挑戦している。
小惑星の表面だけなく、地中にあるサンプル(岩石)も持ち帰る計画なのだ。
 
小惑星の地表に弾丸を打ち込んで穴を開け(クレーターを作り)、
穴が空いた場所にピンポイントで着陸し、地中のサンプルを回収する。
今回も”世界初”のミッションに次々と挑戦しているのだ。
 
そして、先日・・・・・・
 
”はやぶさ2が地中のサンプル回収に成功したようだ”との嬉しいニュースが日本を駆け巡った。
もし本当に成功していたら、これもまた”世界初”の快挙だ。
 
だが、はやぶさ2の旅はまだ道半ば。
 
これから先、初代はやぶさと同様に予期しない試練にぶつかるかも知れない。
でもそんなときには、あの時のように日本にいる優秀なスタッフが救ってくれる。
私はそう願っているし、そう信じている。
 
順調にいけば、はやぶさ2が地球に帰ってくるのは、2020年の末。
日本では東京オリンピックが終わり、一息ついている頃だろう。
 
しばらく後になるが、その日を心待ちにしたいと思う。
「日本のヒーロー」が元気な姿で帰ってくる事を信じて。
 
 
 
 
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2019-07-18 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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