あの時の別れ話は、ぬるま湯から抜け出すためだった
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:はる(ライティング・ゼミ 平日コース)
「別れよう」
まさか自分の口からその言葉が出るなんて思ってもみなかった。声を耳にしても現実味が湧かず、なんだか夢を見ているような気がしてくる。
それは相手も同じようだった。彼は目を見開いたまま硬直し、しばらくの間瞬きすらしなかった。
何分経ったか分からない。長い沈黙のあと、彼はわたしを抱きしめた。
「やだ、好きだ」
涙声だった。
後から嗚咽が混ざり、背中に回る腕がきつくなった。
私は両手を床についたまま、ぼんやりと天井のライトを眺める。
肩の震えと心臓の鼓動を全身に感じても、心に全く感情の波が立たない。
それは、彼に対する好意やら愛情やらが、私の中で小さくなりつつあることを実感させた。
*
別れを意識し始めたのは3ヶ月ほど前。
きっかけは、大学3年になってからの環境の変化だった。所属する経済学部のゼミや、就活に直結するインターンがはじまり、次々と予定が立て込んだ。交友関係も一気に広がり、出会いと学びに溢れる日々。人生が彩られ、新鮮で楽しかった。
一方、理系の彼はこの時期勉強に打ち込んでいた。研究室に所属し、大学院への進学を目指している。文系理系ではキャンパスが違うため、約束がなければ会うこともない。
生活のずれは、心のすれ違いに繋がっていった。私は今の生活にのめり込むほど、離れている彼に向けるエネルギーが薄れた。
連絡が来なくなったことを心配してか、彼は時たま「元気?」とメッセージを送ってくれた。
しかし私は一言返すのも億劫で、未読のまま放置した。
そうして通知だけがたまっていく罪悪感に耐えきれなくなって、先日ついに返信をした。
「話があるの。週末、会えないかな」
それで今日、私は彼の家まで行って、別れの示談をしている。
「ごめん。嫌いになったわけではないんだよ」
相手を傷つけた罪悪感からそんなことを言ってみるものの、やはり別れる決心は揺らがない。
「嫌いになってないのに、なんで別れなきゃいけないのか分からない。忙しいなら、距離を置くっていうのもできるんじゃないかな」
彼は言った。確かにその意見も分かる。ひとまず距離を置いて様子を見るのもいいのかもしれない。
でも私は、心の底から訴えてくる声を見過ごすわけにはいかなかった。
『今は離れたほうがいい。距離を置くなんて中途半端なことではなく、きちんと別れた方がいい』
なんでそう思うのか。
この話を切り出すまでに、この直感の意味するところをすごく考えた。
すごく考えたが故に、私はこの関係の欠陥にしっかりと気づき、そしてきっぱり別れる以外の道はないという結論に至った。
「ねえ、私たちって、なんだかぬるま湯見たいな関係になってるよね?」
「え、ぬるま湯?」
「うん。最初は安心安全なホームって感じだったのに、最近はぬるま湯につかったみたいに、ここに依存して出られなくなってる。お互いのことを言い訳にして、自分の人生を疎かにしてるような感じがする」
「…………」
「おかしいかな、そういうのは良くないと思うのって」
最初のころ、この関係はまるで安全基地のように、温かくて心強いものだった。失敗したり醜い一面を見せたりしても、そんな程度で愛情はぶれない。だからこそ私たちは、色々なことを話すことができた。そのおかげで、嘘のない安定した信頼関係を築いてこれたのだ。
でもいつのまにか、それは安全基地ではなくぬるま湯になってしまっていた。
互いを言い訳にして、人生の所々で、楽な道を選ぶ。好きでいてくれる人がいるからって、自分を磨くとを怠るし、新しい交友関係を広げる努力もしない。会う時間を作るためといって、バイトや講義をさぼったりする。
そんな甘ったれた生き方でも、それなりに楽しいし、突然別れ話が切り出される心配もない。
このまま付き合い続ければ、孤独で虚しい人生とは無縁だな。
そんな風に思っていた。
でも、ゼミや就活が始まってから、突然はっとした。
そんな日々こそが、虚しい。空虚だ。
意思を持った人達に触れたことで、私が過ごしてきたそんな大学生活の中には、自分の身になるような大切な経験や成長など何一つないことに気づいた。
そして同時に、そんな空っぽで薄っぺらい私になっても、変わらずそばにいてくれる彼が不思議な存在に思えてきた。
彼は私の何を見て好きだと言っているのだろう?
彼の本当の意思は、一体どこにあるのだろう?
私たちの恋愛は、面倒で痛みを伴う現実から目を背けるための、都合が良くて体裁のいい口実と化している。
そう思った途端、それまで好きだった気持ちが、がらがらと音を立てて崩れた。
「このまま一緒にいたら、2人して大した大人になれないと思うんだ。今は目の前のことにもっと集中して、ちゃんと成長すべきなんじゃないかな」
距離を置くなんて中途半端なことではダメなのだ。
私たちはしっかりと孤独になって、自分の意思を持って、それぞれの道を全うした方がいい。
「……もうないってことだよね。テレビ見ながら一緒にご飯食べたり、眠ったりすることも」
「……そうだね」
ああ、これはなんだか親元を離れて一人暮らしをはじめるような気分だな、と思った。
確かに安心安全なホームは大切だ。何かあったとき、変える場所がある、信じられる存在がいるからこそ頑張れる。
でも、その役割を恋愛だけに依存して、傷つくことから身を守ってばかりでは、一生そこから抜け出せなくなり、狭い世界で生きていくことになる。
今は寂しくつらい思いをしてでも、その温かい家から出るべきだと思う。
だって、そんなホームがなかったとしても、いざとなれば1人でも進めるよう、強くたくましい自立した人に成長していかなければいけない。
そういう人の方が中身があって魅力的だし、そうして築いた関係にこそ、ほんとうの信頼と安心感があるんじゃないかな。
「幸せになろうね」
幸せになるために、今別れよう。
いつかちゃんと立派な大人になって、また美味しいご飯でも食べに行こうね。
この決断の真意が彼にも伝わっていることを願う。
私は立ち上がり、長い間通い続けた彼の部屋を後にした。
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