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メディアグランプリ

「良かった」なんて絶対に言えないけど


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:村尾悦郎(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「兄ちゃん、兄ちゃん、家が、家が燃えよる……」
深夜、妹からの電話で、僕のそれまでの日常は吹き飛んだ。
 
8年前、田舎の実家が火事で全焼した。当日、家にいたのは父、母、妹、母方の祖母の4人。寝たきりだった祖母は助けられず、父は火傷を負って入院。幸い、母と妹は軽傷で済んだ。僕は東京に住んでいて、知らせを受けた後、近くに住む弟と一緒に慌てて駆けつけた。
 
「私は大丈夫です! ホラ、このとおり体も動くから!」
 
病室に着くと、包帯グルグル巻きの父が何故かおどけて手足をバタバタと動かして見せた。
 
「ちょっと、やめろよもう!」
 
ひとまず無事な父の姿に安心したが、痛々しい気遣いに笑いながら涙が出た。
 
それから3週間ほど、父が退院するまで僕は田舎に滞在することになる。父方の祖母が暮らす本家に身を寄せつつ、弟と交代で父の病室に泊まった。父が入院し、心細がっているみんなの傍にいようと思ったこともあるが、僕にはもう一つ、留まりたい理由があった。仕事を離れて、「これからのこと」を考えたかったのだ。
 
その頃の僕は、最悪の生活を送っていた。自分を過信し、飛び込んだアニメーターという仕事が思い通りにいかず、悶々とする日々。かといって、奮起して努力するわけでもなければ、やめて別の仕事を探すわけでもない。ダラダラと生きのばし、「どうしよう、どうしよう」と思い悩んで一歩も前へ進まない。出来高制なのに、そんな態度で仕事をするからお金もカツカツで、ほぼその日暮らしのような状態だった。
 
そんな時に起きた実家の火事だ。己の心配ばかりしながら先を見ず、ごまかし続けている自分の生活に限界を感じた。
 
「このままではいられない」
 
自分の状況と、たくさんのものを失った家族を目の前にして「何もできない自分」の情けなさにほとほと嫌気が差した。この機会に一時仕事から離れ、落ち着いて考えてみようと思い、留まった。
 
しかし、何年もごまかして先送りしてきた問題に対し、僕の心は泥をかぶったように動きが鈍く、答えに向かおうとしない。
 
「どうしよう」
 
そればかりがまた頭をグルグルと回り続け、再び僕は泥沼にはまってしまった。
 
そんな僕の心の内を知って知らずか、父は病室でよく話かけてくれた。それまで古典的な「強い父親」であろうとした父は、自分の「弱み」を見せることを嫌い、家族に本音を話すことはほぼなかった。事件のショックも大きく、気が弱っていたのかもしれない。だが、この時の父はまっすぐに、素直な気持ちをポツリ、ポツリと話してくれた。
 
「死ぬかと思った。本当に怖かった」
 
「おばあちゃんには申し訳ないけれども、それでもみんなが生きていてくれてよかった」
 
そんな言葉を、少しずつ話してくれた。家族を守ろうと、仕事に家庭に緊張を保ち続け、時に厳しい態度を取ってきた父が、まるで憑き物が落ちたように「お前たちがいてくれてよかった」と、面と向かって言ってくれるようになっていた。
 
「父さん、あのさ……今の仕事、本気でやってなくて。ずっと誤魔化しながらやっててさ、だから全然前に進まなくて」
 
会話の中で、自然と、心の声をそのまま父に放りはじめた。父は顔を合わせることなく前を向いて、ただ「うん」と、僕の言葉にあいづちを打っていた。
 
「こんなことになったのも全部自分のせいで、もうやめたほうがいいのも分かってて。でも、他に何ができるっていうわけでもなくてさ」
 
「うん」
 
「正直、これからどうしようか、どうすればいいか、分からないんだよね」
 
こんな状況なのに、ただ情けないだけの息子の話をぶつけた。てっきり怒られるかと思った。けれども、答えてくれる父の声は優しかった。
 
「……大丈夫。俺は、20代の頃は必死で仕事して、30代でお前たちが生まれて……必死でやってたらいつの間にか50代になってた」
 
「うん」
 
「あっという間だった。でも、楽しかった。みんながいるからな。お前もこれから、いろんなことがある。きっと家族もできる」
 
「そうかな?」
 
「そうだよ。だからお前も大丈夫」
 
正直、答えになっているかどうかも分からない。誤魔化されたのかも知れない。よく分からない答えだったと思う。
 
でも、父は家族みんなが大好きだった。その気持ちが僕の胸を強く打った。
 
それまでの僕は、「自分がどうするか」ということしか頭になかった。「誰かに自分を知ってもらいたい、ほめて欲しい」そのために絵を描く。この思いを持つこと自体は悪いことではないが、僕は「ただそれだけ」で仕事をしてしまっていた。僕はわがままの果てに自分がひとりぼっちになっていたことに気が付いた。
 
父のように「そばにいる人たちを大事にする、そのために仕事をする」
 
そうなりたいと思い、生活を仕切りなおすため、僕は東京に戻った。
 
残った仕事を落ち着かせたら、僕はアニメーターをやめて会社員になった。不思議なもので、覚悟を決めて動いていると、向こうからお誘いが来るものだ。少し迷ったが、思い切って飛び乗った。
 
会社員時代はアニメーターと違い、多くの人と触れ合えた。たくさん怒られもしたが、その会社で仕事の、そして社会人としての基本を教わった。やがて僕は結婚し「今後、生まれてくる子供を育てる場所は故郷がいい」と、奥さんと二人でUターンを決意した。
 
それから2年とちょっと。子供も生まれ、近くに住む父と母に孫の顔を見せながら僕は暮らせている。正直、いまだに「どうしよう」と思い悩んでしまうときもある。でも、あの時の決意が僕の心の泥を払ってくれる。
 
8年前、あの火事が「良かった」なんて絶対に言えない。でも、あのことがあったから、僕は変われた。
 
僕は今、家族と共に生きている。
 
 
 
 
***
 
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2019-07-25 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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