熊本のクリーニング屋の娘が通訳になるまで
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:茂田博子(ライティング・ゼミ夏休み集中コース)
「なんば読みよっと?」
私は父が読んでいる朝日新聞の記事を横からのぞきこんだ。
「東京サミットで通訳活躍?」
日本で初めてサミットが開催され、そこで活躍した通訳の記事だった。通訳って何だろう。どんな仕事をするのだろう。
日本人や外国人の間で忙しく言葉をやり取りし、相手の言葉ならず気持ちも伝えていく重要な仕事。それは12歳の私が初めて通訳という仕事を知った瞬間だった。
どういう風にメモを取るのか、どういう風に英語を日本語にしてその反対をできるのか。頭はこんがらないのか。
授業の英語以外のところでの英語がピンとこない12歳の私だったが、その日将来通訳になることを決めた。運命の恋だった。
とはいえ、さてどうやって通訳になったらよいのかわからない。熊本市内ではない九州山脈に囲まれた田舎の中学生が、英語を使った仕事をしようなんてどう頭を巡らせたらよいのかわからない。今と違ってインターネットもメールもない時代。海外に行ったという知り合いも誰もいない。さて、困った。
とりあえずは英語力をつけることから始めた。まずは学校の英語の授業をしっかり受けた。ない知恵を絞って通信教育という手段を思いつき、英検の勉強も始めた。電車で3時間以上もかかる熊本市内にある紀伊国屋に行って洋書を注文し、若草物語や赤毛のアンを洋書で読み始めた。
ただただ通訳になりたかった。
それ以外に人生の選択肢がなかった。
西山千先生、村松増美先生、小松達也先生といった当時の通訳者が私のアイドルだった。アポロ11号が月面着陸したときに宇宙飛行士が”a”か“the”のどちらを使ったのかと通訳の西山千先生が悩んだという話にうっとりした。通訳が書いたメモに感嘆した。
私も通訳に早くなりたい。
ああ、早く通訳になりたい。
だが、現実は酷なもので、通訳の勉強ができるという某有名大学に落ち、不合格発表を手に高校の教員室でぼろぼろと涙を流した。所詮熊本(市内でもない九州山脈の真ん中)の高校生が、東京の高校生と同じレベルで大学に合格できるはずはなかった。勉強のレベルが全く違っていた。
それでもやっぱり通訳になりたい。
両親を説き伏せて、東京の専門学校で英語の勉強を始めた。両親にしてみれば家業のクリーニング店をつげば一番楽だろうに、東京に私が行くのを許可してくれた。
東京はすごいところだった。FENという米軍向けのラジオで英語を聞いた。NHKの二か国語放送も大好きだった。英語があるというだけで私の生活は楽しくまわっていた。
日本の大学には結局行けなかったけれど、留学できるよう両親を力技で説き伏せた。留学費用は半分自分で稼いで半分親に出してもらうことにして、カナダの大学に通うことができた。
まだインターネットがない時代だったので、カナダの大使館の図書館に通い、大学情報を取り寄せるために英語で手紙を出して願書を取り寄せた。準備に何か月もかかった。TOEFLの勉強も怠らなかった。狂ったように洋書も読み続けた。ロードオブザリングの分厚い3巻を読み終えたときの爽快感といったらなかった。
父は最後の最後まで私のカナダ行きを渋っていた。自分の力が及ばないところに私がいくのが心配だったのだ。でも私は留学できることが決まってとても嬉しかった。
本当に通訳になりたかった。
時は経ち、大学を無事卒業し、帰国した。
某夢の国で通訳の仕事があるというので面接にいった。
撃沈だった。
英語で言われたことがすぐに日本語で出てこなかった。
自分が情けなかった。
英語を話せることと、通訳ができることは違っていた。しかも4年の海外生活で日本語がおかしくなっていた。
いやいや、私はただ単に英語を話すのではなく通訳になるのだ。
土曜の夜に通訳の学校に通い始めた。
通訳の学校では私と似た匂いがする人たちがたくさん集まっていた。みんな通訳になるために必死で勉強していた。この英語力が高い人たちの中に自分がいられるのが誇らしかった。自分が書いた通訳のメモにもうっとりしながら、もうすぐやってくるチャンスにわくわくしていた。苦労が苦労に全く見えなかった。
そして、2年経ち、私は通訳になった。12歳のとき、東京サミットの記事を読んでから毎日英語の勉強を続け、20年経っていた。
500人もいる会社なのに英語をしゃべる人が2人しかいないという会社の通訳となった。ある時タウンミーティングと呼ばれる営業マン向けのミーティングで200名を前に通訳をした。自分が話す声に耳を澄ませてくれる人たちの前で私は思った。どれだけ長い道のりだったのだろう。
私が得たのは英語の通訳という武器だけではない。自分のことをとてもたくさん学んだ。真面目に目標に向かって取り組むことの楽しさも、好きなことを仕事にすることの大切さも、あきらめずに前を見続けることの喜びも。
私が通訳をしてミーティングがうまくいって出席者が笑顔になる。それだけでもう私にとっては十分なのだ。通訳になれて本当によかった。あきらめずにがんばってよかった。
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