クラウド
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:橋本菜奈((ライティング・ゼミ夏休み集中コース)
※これはフィクションです。
2097年、21世紀も終わりに近づいたころ、人類はようやく自分の脳内データを全てクラウド上に保管できる技術を手に入れた。このことにより人類の文明は飛躍的に進歩することとなった。
まず学校からテストがなくなった。授業でやった事は全てクラウド上に保存され、適宜記憶を呼び出せばいいので、やる意味がなくなったのだ。その代わり体系的な理解が必要になったため、レポートの課題が増えた。
また、クラウドにある脳内データは好きな時に好きな人と通信・交換でき、いちいち言葉にして伝える必要がなくなったので、スムーズな技術革新へとつながった。そうして世界中の技術者や有識者が情報を交換しあった結果、効率的な自然エネルギーの活用方法が発明され、環境問題もなくなった。
暴力的な犯罪や戦争も人類史上初めてこの地球上から消えた。警察や軍隊は大量の善玉ハッカーを雇い入れ、クラウドに保存された脳内データから犯罪・戦争予備軍を見つけ出し、未然に防止できるようになった。ただしインサイダー取引のような知能犯罪は断定が難しく、一般市民に与える影響が大きくないことから未だに残り続けていた。
これほどまでに脳内データのクラウド化技術が広範に知れわたったので、クラウドデータのデータセンターは厳格に秘匿され、その場所は世界でも数人、よくても十数人しか知らなかった。
その15年後、少年はそんな脳内データのクラウド化が発明され、一般人も日常的に使用するようになった時代に生まれた。この頃には「全人類のデータは全人類のもの」として、共有されない情報はほとんど無くなっていた。故に少年は物心がついた時からクラウド上からあらゆる情報を手に入れ、自分のものしていき、幼くして新たな発明も行うまでになった。その結果彼は人々から時代の寵児ともてはやされた。
ある時少年はクラウド上に保存された数枚の図面を見つけた。そこに書いてある材料は少年にとって既知のものもあったが、初めてみるものもあった。誰かが思いついたものの、世に出す前にその人物が亡くなってしまったのか理由は分からないが、未知の世界に出会えたことに少年は興奮を抑えきれなかった。
それからの日々、少年はその図面の解読と図面に書かれた物体の研究に没頭した。
調べていくうちに未知の物質だと思っていたものは地球上に存在するものだということがわかった。それは分子レベルで配合を整え、化学反応を起こせば考えられないほどの莫大なエネルギーを生み出すこともわかった。
情報のない未知の材料を探し、作ることから始まった研究は、この時代とはいえ、図面に描かれた物体が完成するまでに数十年とかかった。その間、少年の周囲の人々は「全時代の人ができないと諦めたものを今更無理に形にする必要は無い。本当に必要なものならば、他の誰かが既に形にしているはずだから」と研究をやめさせようとした。人々にしてみれば、前時代のものに時間とお金をさくよりも、その頭脳を活かして、今そして未来の人類のために役立つ研究を少年に進めて欲しかった。
しかし、少年は研究をやめようとはしなかった。否、出来なかったのだ。この時代において少年の知らないことはないに等しい。だが、この図面には少年の知らないことが描かれているのだ。少年はこの分からないものを知りたくて仕方がなかった。
そうして、少年が既に少年ではなく、中年と言っていい年頃に達した頃、ようやくそれは完成した。とは言っても、やはり技術の結晶のおかけで見た目はまだ青年といってもおかしくないくらいの年齢にしか見えないのだか。
図面に描かれた物体は燃料に点火すると真っ直ぐに空を飛んでいく飛翔体で、私たちの時代で言うところの「ロケット」だった。22世紀において、ロケットはもはや大量の燃料を消費するものではなく、サイズもかなりコンパクトにまとまっていたので、人々はまず見たこともないその大きさに度肝を抜かれた。また発射時に大量に放出される炎もこの時代の人々が見たこともないほど大量であり、実験段階から人々は「やはり前時代のものだから無駄が多い」とか「クラウドの恩恵がなければ、私たちの文明はこのレベルで留まり続けていただろう」などと好き勝手に評論した。
少年は未知のものを解明できた喜びに飛びあがらんばかりだった。ロケットの発射の日も前日からほとんど眠れず、朝早くからソワソワを部屋中を歩き回り、現場に向かう時には小躍りせんばかりの足取りだった。
そしてついに待ち望んだ打ち上げの瞬間、ロケットは真っ直ぐに白い軌道を残して空高く打ち上がっていった。しかし、そのロケットの軌道は宇宙に達するほどのものではなかった。数十秒後、放物線を描いてロケットは落下軌道を辿り始めた。少年と人々は息を詰めてその行方を見守った。
そしてロケットは太平洋のど真ん中に壊れることなくまっすぐに落ちていった。着水したその瞬間、成功を祝う人々の「わーっ!」と叫ぶ歓声とともに、大きな爆発と大きなきのこ雲が洋上に発生し、同時に少年を含む全ての人の記憶も消し飛んでしまった。
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