リアルを超えた先にあるのは、枯れ尾花か
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:岸本苑子(ライティング・ゼミ夏休み集中コース)
「はぁ……最高だった……。本物だった……」
映画『ライオン・キング』を見た。
ご存知の方も多いと思うが、この映画は1994年ディズニー制作のアニメ映画『ライオン・キング』の、完全CG化だ。
すべてがCGで作られている映画は、世の中たくさんある。
なぜ今回の『ライオン・キング』が話題になっているかというと、これまであった「アニメを3Dにしました」というCG化ではなく、「完全にリアルな自然界を創り上げた」からだ。
見た目は実写、中身はCG。
人呼んで、“超実写”化。
久しぶりに見る、“超”という字の正しい用法だ。
スクリーンに映し出される、壮大なサバンナの風景に息をのんだ。
小さなシンバのやんちゃさが愛らしく、王者ムファサの堂々たる佇まいに震えた。
大地を駆ける動物たちは、昔テレビで見た「野生動物」の動きに何ら矛盾がないようだった。
にも関わらず、そこには「役者」としての演技があり、たいして表情筋が動かないはずなのに、葛藤や戸惑いや決意が、手に取るように伝わってきた。
ものすごいものを見た。
物語のよさは言うまでもない。
元のストーリーに手を加えずにやりきったのは、英断だ。
だから、見終わったあとに感じたのは、ひたすらに技術力への称賛だった。
技術は、実写を超えた。
実際には見たことも行ったこともないアフリカの大自然を、わたしは「本物だ」と感じた。
これまで、「実写映画」の背景や小道具として使われてきたCGが、一気に主役に躍り出た。
そんな映画だった。
同時に、こうも思った。
映画館でのあの感動は、本当に映画から生まれたものだろうか。
わたしは小学生のときに、アニメの『ライオン・キング』を見た。
とても夢中になって、ビデオ(!)を買ってもらって、何度も見た。
ほとんどの歌を、そらんじられるほどだった。
シンバと一緒にサバンナを冒険し、シンバと一緒に悪に立ち向かった。
サバンナの青空の美しさを感じていた。
そのころのワクワクを携えて、わたしは映画館に向かった。
かつて思い描いた風景が、目の前に広がっていた。
でも、と思う。
ムファサの瞳に、息子を思う愛情を見せたのは、映像だろうか、わたしの記憶だろうか。
王国を取り戻すために戦うシンバの顔に、後悔と葛藤をにじませたのは、演出だろうか。
それとも。
人というのは不思議なもので、自分の見ているものに、感情を上乗せしてしまうことがある。
たとえば、能で使われるお面は、正面から見るとぼんやりとした無表情だ。
しかし、楽しい場面ではわずかに上向き、悲しい場面ではわずかに下向きに構えることで、笑顔にも泣き顔にもなるという。
技巧の妙だが、それだけではない。
観客は、「ここは悲しい場面だ」とか、「これはさぞ嬉しいだろう」という状況を、舞台上のあらゆる情報から無意識に判断して、表情を補正して見ている。
あるいは、日を浴びて咲くひまわりが、「楽しそうに」見える。
雪景色のなかにぽつんと佇む駅舎が、「淋しそうに」見える。
「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」とは、よく言ったものだ。
わたしが見たのは、アニメ版の思い出が見せた、幻影なのだろうか。
物語に触れたときに湧き出る「感情」や「感動」は、どこから来るのだろう。
スクリーンに映し出される動物たちの演技をみながら、わたしは「リアルであること」と「人の想像力」に思いを馳せた。
わたしは原作の『ライオン・キング』を知っている。
“原作”がある以上、そのリメイクが、原作の影響を免れることはできない。
今回の超実写化は、アニメ版をカメラワークや場面の切り取り方まで、かなり忠実になぞっていたのだから、それが顕著だった。
正直なところ、わたしはアニメ版での感情を引きずって見ていたと思う。
ここで感動ポイントが来るぞ、ほら来た! 泣ける!! と思って見ていた。
だからといって、そういった思い出補正をはぎとったとして、そこにあるのが無意味な枯れ尾花だとは、思えないのだ。
CGだからと言って、無機質なわけでもないのだ。
アニメーターがアニメーションの絵を手書きで生み出していたように、CGはクリエイターがパソコンを駆使して生み出している。
世界をすべて創れるからには、そこには緻密な計算がある。
すべて計画された世界の中で、観客が感情をうまく乗せられるように、演出がされている。
人の想像力は、対象がシンプルであるほど活発になる。
アニメ版では、人間の表情を模して誇張した、目や眉の動きによる感情表現が、アニメならではの技法でキャラクターの心情を語る。
その一方で、観客の想像力は、雄大なサバンナの景色と野生の力強さを見ていた。
超実写版では、視覚的なリアルさが現実となった。
映画の一場面と実際の野生動物の映像を見せられたら、どちらが「本物の動物」か、分からないほどの精緻さ。
その代償として、より動物らしくなったかれらは、表情や仕草による表現力を、大幅に削られてしまった。
それを補うのは、観客の想像力だ。
『ライオン・キング』は日本で公開されてようやく1週間。
わたしのように、アニメ版の思い出を携えて見に行く人も多いだろう。
超実写版で、はじめて物語にふれる人も大勢いるだろう。
まっさらな状態でこの物語にふれる人が、どのような感情を読み取り、どのように感動するのか、あるいは感動しないのか、とても興味深い。
しばらくは、人の映画感想を読み漁ってみよう。
***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
http://tenro-in.com/zemi/86808
天狼院書店「東京天狼院」 〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F 東京天狼院への行き方詳細はこちら
天狼院書店「福岡天狼院」 〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
天狼院書店「京都天狼院」2017.1.27 OPEN 〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
【天狼院書店へのお問い合わせ】
【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。 息子は大好物のうなぎパイを口に放り込みながら、言った。お盆休み、実家に帰ったときに、しっかりゲットしてきたおやつだ。