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自慢のハイパーおばあちゃん


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記事:Amy(ライティング・ゼミ夏休み集中コース)
 
 
私には、自慢のおばあちゃんがいた。
2つ下の弟と、ちょうど60歳違いの未年のおばあちゃん。
「ハイパーおばあちゃん」と呼ばれる、すごいおばあちゃんだった。
 
 
おばあちゃんは、大連の出身だ。満州事変が起きた昭和6年、南満州鉄道で働いていたお父さんの元に、8人兄弟の長子として生まれた。幼い頃はお嬢様育ち。家族誰かの誕生日ともなれば、中国人のシェフが自宅にやってきて、豪華な料理を振る舞う。そんな暮らしをしていた。
 
 

おばあちゃんは、才色兼備で有名だった。
大連は中国の北方にあるから、冬はとても寒い。夜中に道路に水を撒いておくと、翌朝には即席のスケートリンクが出来上がる。おばあちゃんは、フィギュアスケートの選手のように氷上で何回転もスピンをするし、スピードスケートもその辺の男の子にだって負けなかった。
 
 
でも、ある日、戦争が始まった。
 
 
おばあちゃん一家も、戦火に飲まれた。おばあちゃんは「お姉ちゃん」だから、弟たちの面倒を見るために学校を辞めた。銃後で働きながら、毎日毎日兄弟のためにご飯を作り、大家族の食事を支えた。
 
 
そして、戦争が終わった。
おばあちゃん一家は、無事、生き延びた。
 
 
しかし、大連は、ソ連のものとなった。
 
 
日本人だった一家は、日本に引き上げなくてはならなくなり、大きな船に乗せられて日本海を渡った。乗船の時に「お前たちが持っている紙幣は、今の日本では使えない。捨てていけ」と言われ、おばあちゃんたちは従った。それは、真っ赤な嘘だった。大連で貯めたお金の大半を捨てたおばあちゃん一家は、ほぼ無一文の状態から生活を立て直すことになった。
 
 
帰国ほどなく、おばあちゃんは一人の男性と知り合い、3人の子供に恵まれた。次女がのちの私の母である。おじいちゃんは、タクシーの運転手だった。でも、おじいちゃんはあまりに破天荒で、おばあちゃんの暮らしは苦労に満ちたものになった。
 
 
おじいちゃんは、タクシーに乗せたお客さんが「テレビを持っていない」と言うと、そのまま電器屋さんに連れて行ってテレビを買ってあげたり、何を思ってのことか交番の前で車のハンドルを足で操作して捕まって罰金を払わされたり、そんなことが度々あった。いつも困るのは、決まっておばあちゃんだ。3人の子供を育てているのに、おじいちゃんは、家にお金を入れない。決して裕福だったわけではないのに、もらった給料を、すぐに外で使ってくる。
 
 
あるとき、見かねたタクシー会社の社長が、おじいちゃんに内緒で、「今月の給料です」と自宅のおばあちゃんの元まで直接届けてくれたことがあった。
 
 
おばあちゃんは、そのお金を使って、うんと上等な裁ちバサミを買った。洋裁が得意で、子供達の洋服は学校の制服まで全て手作りしていたおばあちゃんは、内職を始めた。そして、一家の生活を支え、子供達を大学までいかせた。すごいおばあちゃんだ。おばあちゃんは、丁寧に手入れをしながら、そのハサミを死ぬまでずっと大切にしていた。そのハサミで裁断された布で、孫の私たちにもスカートやブラウスを作ってくれた。
 
 
私の記憶に残るおばあちゃんの姿は、背中が曲がって、小さくて、いつもニコニコしている可愛いおばあちゃんの姿だ。たくさんの苦労なんてまるでなかったように、明るくていつも楽しそうにしている。
 
 
おばあちゃんの家に遊びに行くと、私たちは、夜更かししてゲームをした。おばあちゃんは、いつも、私たちと一緒にゲームで遊んでくれた。おばあちゃんは、70歳くらいで初めてファミコンのコントローラーを握ったはずなのに、テトリスが大得意で、その後ゲーム会社に就職したゲームが大好きな従兄ですら誰もおばあちゃんに敵わなかった。最強だった。
 
 
母たちは、何度教えてもニンテンドー64のコントローラーの使い方さえ覚えられなかったのに、おばあちゃんは違った。マリオカートも一緒になって対戦してくれるし、マリオパーティなんて、おばあちゃんが誰よりも遊びたがって、いつも誘われた。本当に、すごいおばあちゃんだ。当時の私は、「うちのおばあちゃんはゲーマー」というのが一番の自慢だった。
 
 
それから、「勉強したかった」と言って、通信教育で勉強を始めた。クロスワードや数独などの頭を使うパズルも大好きで、いつも持ち歩いて電車やバスに乗ると必ず広げていた。幾つになっても、勉強熱心で好奇心旺盛。すごいおばあちゃんだ。
 
 
高校生になった私とおばあちゃんには、秘密の楽しみがあった。それは、スタバに行くことだ。コーヒー好きのおばあちゃんは、よく聞く「スターバックス」に憧れていたらしい。だけど、「年寄りが一人で行くのは恥ずかしいわ」と言って、ずっと行けなかったという。そんな可愛い一面もあった。それを知ってから、私の高校が早く終わる日には、必ず、駅ビルのスタバの前で待ち合わせをした。家族に内緒で、ふたりでコーヒーを飲みながらたくさんのおしゃべりをした。
 
 
そんな大好きなおばあちゃんが、亡くなった。82歳の時だった。
急いで実家に帰った。だけど間に合わなかった。
もっとおばあちゃんと遊びたかったし、もっといろいろな話を聞きたかった。
 
 
私は、おばあちゃんが最後に作ってくれたスカートをいまでも大事に持っている。大切なプレゼンのとき、気合いを入れたいと思うとき、私はいつもそのスカートを履いている。おばあちゃんが最強の味方になってくれると信じて。
 
 
私もいつか、おばあちゃんのように、強くて可愛いハイパーおばあちゃんになることが目標だ。

 
 
 
 
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2019-08-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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