週刊READING LIFE vol.90

お股ニキに学ぶ、「持たざる者」がコンテンツで食べていくための方法《週刊READING LIFE Vol,90 今、この作家が面白い》


記事:タカシクワハタ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「出所祝いおめでとうございます!」
「いや、出所じゃないです。ボク刑務所入ってないですから」
都内の高級焼肉店、大柄な男二人が笑いながら語り合っている。
一人の男は「とんねるず」の石橋貴明。
もう一人の男は、先日執行猶予が切れた
かつてのスター選手、清原和博。
画面の向こう、石橋貴明のYoutube動画チャンネル
「貴ちゃんねる」のワンシーンだ。
 
最近、僕は家にいることが多くなったせいか、
Youtubeの動画配信を見ることが多くなった。
その中でも最近できたこの「貴ちゃんねる」は面白い。
かつてお茶の間のスターであった
石橋貴明のキャラクターの強さ、
彼の野球に関する造詣の深さ、
ゲストの話を引き出す絶妙な弄り方、
所々垣間見える彼の真面目さや実直さがどれも好印象である。
そしてこの番組のもう一人の主人公、
構成作家のマッコイ斎藤氏の働きがまた素晴らしい。
「みなさんのおかげでした」の「男気ジャンケン」などで
かつて石橋とダッグを組んでいただけあって、
彼の活かし方をよく理解している。
それだけではない。
これまでのテレビ番組制作で培った
彼の動画の構成、編集技術は一流そのもの。
やはり凡百のyoutuberとはレベルが違う。
本物のプロと本物のプロがタッグを組んで一つの番組を作っている。
面白くないわけがないのも納得だ。
 
それにしても、新型コロナ感染拡大以降
このように芸能人やその道のプロが
youtubeチャンネルを開設するケースが増えてきた。
これは一般youtuberにとっては脅威ではないだろうか。
例えば我々はゲストに清原和博はとても呼べないし
焼肉屋でトークをしていたところで何も面白くない。
また、編集や企画も自己流であり、
プロの構成作家やプロデューサーが作り出したものには
到底叶わない。
そのくらい制作物は「何を作ったか」よりも
「誰が作ったか」が重要なポイントとなることがある。
 
ちょうど最近、僕も同じようなことを痛感した。
「いや… ちょっとこれが何を目標としているのかよくわからなくて…
ウチがオンラインの練習をしていることをアピールしたいのか、
若手のコーチが指導してくれることを売りにしたいのか…
これでは他のところの二番煎じだと思います」
「うーん、全部を見たわけではないけれど、
ちょっとマンネリ気味かなあ……」
同僚のコーチから容赦のないコメントが入る。
僕はフェンシングというスポーツを教えているが、
新型コロナウイルスの流行で全員集まっての練習ができないために、
Zoomでのオンライン練習会を行っていた。
ところがどうも評判がよろしくない。
特にコーチの反応が鈍く、どこかあまり乗り気でない感じであった。
いやいや、ここは何もしないわけにはいかないでしょ?
とりあえず内容はともかくとして、
ここでオンライン練習会を行ったこと自体は
称賛とはいかなくても、非難される筋合いはないだろ?
僕は当初は憤慨していた。
しかし冷静になってみるとこれは「誰が」が重要なのではないかと
思ってきた。
例えば、フェンシングの日本代表の松山恭助選手は
緊急事態宣言に伴う自粛期間中、40日以上も続けて
インスタグラムにフェンシングの練習動画を挙げ続けた。
「アスリートが自主的に考えてこのような行動をするのは素晴らしい」
「これがアスリートとしての新しい役割だ」
このような称賛の声が次々と寄せられた。
確かに松山選手の行動は素晴らしい。そこには異論はない。
しかし、だ。
同じことを私がしたらどうだろうか?
「この人暇なのかなあ」
「仕事しろよ」
せいぜいこの辺りの感想が関の山であろう。
反対に松山選手がZoomのトレーニングをやってくれたら
それこそ感謝感激の声が多数だったのではないだろうか。
そのくらい、コンテンツは「誰が」という要因が重要なのだ。
 
「『何を作ったか』より『誰が作ったか』」
それにしても身も蓋もない。
「格闘技は結局体が大きい人が強い」と同じくらい
「持たざる者」にとっては救いのない言葉だ。
かつて格闘技でもフィジカルが強いものに対して
技術で応戦していったように、
我々「持たざる者」がコンテンツで
下克上を起こせる術はもう無いのだろうか?
 
安心して欲しい。
僕らにもまだ希望は残されている。
その希望の星の名前が「お股ニキ」だ。
お股ニキ。
妙な名前のこの男は何者なのか?
それを知るために
彼の著書のタイトルである
「セイバーメトリクスの落とし穴」
というフレーズに注目してみたい。
 
40代以上の男性であれば
ほとんどの方が少年時代、野球に夢中になっていたのではないだろうか。
かくいう僕もその一人で、今でも野球を見るのが楽しみである。
そのような中で、ここ数年、微妙に聴き慣れない言葉を聞くようになった。
「菅野、WHIP1.00を切ってるよ。マジでエグいわ」
「近本ってヒットは多いけどOPS0.7くらいでしょ?」
WHIP? OPS?
僕の小さい頃そんな言葉はなかったぞ。
その通りだ。
なぜならこのような概念は
21世紀になってから作られた概念だからである。
2003年に出版された「マネー・ボール」
この本には、アメリカ大リーグの貧乏球団オークランド・アスレチックスが
リーグ屈指の強豪へと育っていく軌跡が描かれている。
そのアスレチックスが強豪になっていった鍵となる概念が
「セイバーメトリクス」だ。
アスレチックスは従来のような打率や本塁打数、防御率などの成績よりも
出塁率や長打率、与四死球などのデータに注目し、
セイバーメトリクスという分析方法を編み出した。
そして、今まで見落とされていた低年俸の選手を見出し、
チームを編成したところ成功し、勝てるようになっていったのだ。
その際の指標が、先ほどの
WHIP(投手が出した1イニング当たりの走者数)や
OPS(長打率+出塁率)である。
このセイバーメトリクスは大きく野球の概念を変えた。
現在は日米共にこのセイバーメトリクスが浸透しただけでなく、
ボールの回転数や打球の速度や角度といったデータも
一般的になり、あらゆる方向からのデータが野球の戦術や育成に
用いられている。
さらに現在はプロだけでなく、一般のファンも
客観的なデータを容易に入手できるようになっている。
そのような中、自らの手でデータを解析し、
批評をするようなファンも現れるようになった。
「お股ニキ」もそのようなファンの一人であった。
お股ニキというのはもちろん本名ではなく
彼のtwitterでのハンドルネームである。
彼はもともとサッカーの話題を中心に
Twitterで発信を行なっていたが、ある時からセイバーメトリクス視点での
野球の記事を配信したところ好評を博すようになった
そして、そのツイートの内容をまとめたのが著書の
「セイバーメトリクスの落とし穴」である。
 
さて、ここまでであれば、
SNSから出版にまでこぎつけたという比較的よくある話ではある。
ところが、この著書が大ベストセラーとなったのだ。
なぜか。
その鍵はこの著書が出版されるまでの経緯にある。
彼はある日、いつもの様にTwitterで何気ない書き込みをしていた。
その内容を要約すると
「大リーグのダルビッシュ投手はシーズン後半休んだのに
翌年のキャンプで肘の靭帯を断裂している。いかがなものだろうか」
というダルビッシュ投手を批判したものだった。
これだけなら、プロ野球の居酒屋批判と同じ他愛のない話であり
特別珍しくもない話でもある。
ところが、である。
「こちらには事情があって昨年休んでいます」
なんとダルビッシュ投手本人から反論のメッセージが来たのだ。
ダルビッシュ投手は日本球界を代表するスーパースターでありながら
Twitterで一般の人とも激しい議論を酌み交わす論客であることも
有名である。
悪い言い方をすれば、ちょっと面倒くさい、クレイジーな選手である。
しかし、そこでへこたれないお股ニキ。
きちんと非礼を詫びた上でなんとそこから3時間あまり
ダルビッシュ投手と野球論を交わしたのだ。
「前からお股ニキさんの理論には注目していた」
ダルビッシュ投手は、ボールの回転軸と回転数に注目した
お股ニキの理論に大きく関心を持ち、
やがてはお股ニキに自身の変化球の曲がり方について
アドバイスをもらうようにまでなってしまったのだ。
こんなことがあるものだろうか。
大リーグでも屈指の投手が、
野球経験こそあるものの単なる一素人でしかない男に
アドバイスを求めているのである。
素人がプロを超えていく。
このセンセーショナルな出来事は
たちまち世間に広がっていった。
その流れで出版された
「セイバーメトリクスの落とし穴」は予想通りの大ヒットであった。
しかも、注目したいのは
この書籍の読者である。
日本を代表する大エース、福岡ソフトバンクホークスの千賀投手。
沢村賞受賞投手、北海道日本ハムファイターズの金子投手。
DeNAベイスターズの開幕投手、今永投手など
ダルビッシュ投手だけでなく
日本のプロ野球選手にも多数の読者がいたのだ。
「新しい野球の見方ができました」
「このような考え方がある、野球って深いと感じました」
超一流のプロ野球選手から
そのような感想が次々とTwitterにあがっていく。
すごい。
これこそがまさに「持たない者」が起こした下克上である。
 
なぜ、お股ニキはこのような革命を起こせたのだろうか。
それは彼の純粋さではないだろうか。
彼は有名になろうとか、これで一旗上げてやろうとか一切考えていない。
ただただ野球が、データが好きだったのだ。
なぜ、そう言い切れるのか。
それは彼の著書を手に取ってもらえればわかる。
ツーシームが、
カットボールが、
スライダーが、
あらゆる変化球についての説明がこれでもかと書いてある。
僕はもちろんお股ニキご本人には会ったことがない。
だけどこの文章を読むだけで、
本人が目の前で瞳を輝かせながら話している姿が見えるのだ。
そして、彼は選手に対しては実に謙虚だ。
件のツイートの際にもダルビッシュ投手に
「努力されているアスリートの方に素人がわかった風な
口を聞いてすみませんでした」
と謝罪している。
また、彼は
「ダルビッシュ投手とはある程度の距離感を保ったお付き合いをしている。
あくまで彼は画面の向こうの人と認識している」
と述べてもいる。
自分は素人。プロフェッショナルへのリスペクトは忘れない。
だから絶対に自分の立ち位置をぶらさない。
プロへの領空侵犯はしない。
そこにあるのはデータへの偏愛のみ。
それが彼の存在理由でもあるし、
野球への愛につながっているのだ。
 
お股ニキは彼自身の偏愛でプロの壁を超えていった「プロの素人」だ。
僕らと同様、名前も実績もない「持たざる者」の偏愛が
「クレイジーな男」ダルビッシュ投手を引き寄せ、奇跡を巻き起こした。
「何を作ったか」より「誰が作ったか」。
確かに今は、「持たざる者」に取って辛い時代だ。
でも、僕らは本当に「持たざる者」なのだろうか?
僕らの中には誰もが偏愛の火種を持っているのではないだろうか?
その火種はとても小さくて、
自分自身では気づいていないかもしれないけれど。
お股ニキはこれからの「持たざる者」が
コンテンツで食べていく道を示してくれた。
そして、次は僕らの番だ。
「何を作ったか」より「誰が作ったか」
そんなつまらない常識は超えていけ。
「持たざる者」の革命は、今始まったばかりなのだから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
タカシクワハタ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1975年東京都生まれ。
大学院の研究でA D H Dに出会い、自分がA D H Dであることに気づく。
特技はフェンシング。趣味はアイドルライブ鑑賞と野球・競馬観戦。

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2020-08-03 | Posted in 週刊READING LIFE vol.90

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