週刊READING LIFE vol.132

幽霊? 泥棒?《週刊READING LIFE vol.132「旅の恥はかき捨て」》

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2021/06/29/公開
記事:古山裕基(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
旅人による、旅の恥はかき捨てはよくあることだ。
でも、現地の人によって、旅の恥はかき捨て「られる」こともある。
 
しかし、まずはタイ在住のわたしが、自分も含めた外国人旅行者による、タイでの旅の恥はかき捨てを4つ書いてみようと思う。
 
最初は、ラーメンなどの麺類をすする音を出すこと。
日本人にとって、ラーメンなどの麺類は馴染みがある食だ。
だから、異国の地で麺類料理を見つけると、つい注文してしまう人も多いだろう。
また、辛いタイ料理を食べるより、辛くないラーメンを注文する外国人旅行者は多い。
そして、あなたが、身振り手振りで注文するのを、嫌がりもせずに屋台の主人は迎えてくれるだろう。
お昼時の混んだ時間なら、相席になったタイ人のお客さんが、知っている日本語をいくつか話して、あなたの相手をしてくれる時もある。
 
やっと、ラーメンが来た。
あなたは、箸で掴めるだけの麺を掴み、一気に口にすすりいれる。
ズルッ、ズルッ、ズルーと、いつもの音をたてながら。
その瞬間、周りのタイ人の顔は、苦虫を噛み潰したようになるはずだ。
タイ人の食べ方を見て欲しい。
彼らは、少量の麺を箸で掴むと、レンゲに乗せてから口に運ぶ。
麺を音をたててすする、なんてことはしない。
 
ちなみにタイ人には、日本のラーメンは人気だ。日本に来るタイ人も、ラーメン屋に行く。そして、みんなが音をたててすすっているのを見て、びっくりしている。
「本当だ!音をたてている!」
なぜなら、タイ人が書いた日本のガイドブックには、“麺は音をたてて食べるのが日本人のマナーです”と書いてあったりするからだ。
 
2つ目は、お坊さんに女性は触れてはならないこと。
タイのお坊さんは男性のみ。しかもオレンジ色の袈裟を、昼夜問わず、寝るとき、亡くなるまで(もしくは、還俗するまで)着ているし、坊主頭で、眉毛まで剃っているのが、日本のお坊さんとは随分と異なる。
 
タイのお寺は、観光名所になっているので、外国人がよく訪れる。
お坊さんのなかには英語、なかには日本語を勉強している人もおり、ガイドをしてくれたりもする。
外国人にとっては、良い記念になるから、つい写真を撮りたくなる。
しかし、女性は注意しなければならない。
自分でシャッターを押す自撮りの時には、お坊さんにひっつかなければならないからだ。
そんな時は、周りの人に頼んで、写真をとってもらおう。
なぜなら、女性がお坊さんに触れてしまったならば、彼らの修行は無になり、還俗しなければならない時もあるからだ。
日常の生活でも、女性はお坊さんに触れない。
乗り物や空港やバスターミナルなどの待合室には、障害者、高齢者の席とは別に、お坊さん席がある。
また、お坊さん専門の病院さえある。
バスや電車でのお坊さんが下車する時、いくら混んでいても女性は“これでもか!”と言うぐらいに身を引いて通路を空ける。
 
3つ目は、国歌が流れる時。
タイ人は朝8時と夕方6時のそれぞれ約1分間、直立不動になる時がある。
なぜなら、その時間は国歌が流れるからだ。
駅、ショッピングセンター、学校、病院、市場などの公共の場、そしてテレビやラジオの放送も中断され、国歌が流れる。
タイ人はこの時は、直立不動だ。
手を胸に置く人もいる。
学校では、朝礼時なので、生徒は歌う。
 
この光景を初めて見たのは、長距離バスのターミナルの食堂で朝食をとっていた時だ。
国家が流れ出した途端に、食べてる人も、作ってる人も、通行人も起立したまま静止した。
わたしは、よほどお腹が減っていたのだろう。
起立しながらも、チャーハンの付け合わせの、きゅうりをこっそり食べたのだが、横に座るタイ人に注意されてしまった。
外国人が多いホテルや空港などではさすがに休止はしなくて良い。しかし、酒を飲みながら、大声で騒いで、タイ人が立っているのを馬鹿にした外国人が逮捕されたニュースを聞いたことがある。軽い罪で済んだそうだが、タイ人が同じことをすると、そうでは済まないだろう。
 
4つ目は、タイ語の発音に関することだ。
日本語で「です、ます」にあたるタイ語で、文章の最後に、男性ならカップ、女性ならカーをつけるのだ。
しかし、わたしはよく間違えていた。
最後のップの音を出すのが、難しい。私は発音しているつもりでも、タイ人には聞きとれないとよく言われた。
言い間違えると、オカマ?と誤解を受けることもある。
タイはジェンダーフリーが進んでいるので、自分の性を隠すことをせずに会社や学校で過ごしている人が多い。
だから、私の発音を聞いても、「あっ、そうなんだ」ぐらいに思われることがある。
とはいえ、予期せぬ人から、告白されることもあったので、さすがに練習した。
 
これら4つの例は、外国人旅行者の旅の恥のかき捨てだ。

 

 

 

それでは、現地のタイ人によって、“旅の恥はかき捨て「られる」こともある”とは、どういうことだろう。
 
20年くらい前、わたしが、タイに来て間もない頃だ。
ある地方のホテルに泊まることになった。
その当時は、インターネットも普及しておらず、観光地でもないその地方の情報については、「地球の歩き方」にたった4ページくらいしか紹介されていなかった。
その当時の地方は、外国人が泊まるような高級ホテルも少なく、また、バックパッカーが集まるような宿もほとんどなかった。
しかし、私が泊まるそのKホテルは外国人の宿泊客も多いと「地球の歩き方」にも書いてある。たぶん、バスターミナルから近く、繁華街の真ん中にあるからだろう。
そんなKホテルだが、部屋はカビ臭く、壁には、上階からの液体?が染み込んだ大きなシミがあり、壁に大きな人型の絵が描かれているように見た。
 
レストランで、日本人の友人と待ち合わせた。
友人は、どこのホテルかと聞いてきたので、Kホテルと答えた。
その瞬間、彼女の顔の色がサッと引いた。
「昨日の電話で、Xホテルが良いと言ったのに。どうして?」と友人。
「Xはバスターミナルからも少し遠いし、繁華街から離れているから」と私は答えた。
友人は喋りにくそうに、
「あのね、実はKホテルは……出るのよ」
話は、こうだ。
去年、友人はKホテルに泊まることになり、夕食を現地在住の日本人の知人と食べることになったという。
その地では、珍しい洋食を出すレストランで食事をしたという。
カツレツが有名なその店は、評判通りおいしかった。
友人は知人に会うのが久しぶりだったので、楽しく話し込んでしまい、いつの間にか深夜の12時過ぎになってしまった。その知人は車で友人をKホテルまで送ったという。
車を降りようとした時に、その知人が何かを言おうとした。
友人は「えっ、何?」と聞き返した。
「実は……このホテル……幽霊がでる」と知人は答えたのだ。
友人は「そんなバカな!」と笑いながら、車を降りたという。
しかし、その友達の顔色の悪さに、体の具合が悪いのではないか心配になったという。
 
友人がチェックインの時、フロントの壁にはこのホテルの古い写真が飾ってあった。今のようなKホテルではなく、写真当時は漢字で〇〇酒店と書かれており、当時のオーナーらしき夫妻の写真が飾ってあった。
部屋は最上階である5階。
この町では、当時5階建て以上の建物は珍しく、夜景が見えるかもと期待したそうだ。
エレベーターに乗ろうと思い、フロント横の乗り場に行くと、彼女を待っていたかのように、もう扉が開いていたという。
5階を押して、そのエレベーター(日本の会社のロゴと、保守責任者の日本人のローマ字のサインがついた保証証が貼り付けられていた)は、ガタンコトンと音をたてて、登っていった。しかし、すぐに止まった。音もなく扉は開いた。
だが、誰も乗ってこない。
2階だった。
一階のフロントの係の話し声が聞こえてきた。
友人は、間違えて6階を押した。
フロントは、5階が最上階と言ったから、間違えたのだ。
5階を押した。
20部屋ぐらいありそうだ。
友人の部屋は、角部屋だった。
そのために、少し他の部屋より広いようだ。
浴室の電気をつけ、入った。
特に、なんの変哲のない浴室。
しかし、大きなバスタブがある。
地方のホテルで、バスタブがあるのは珍しいのだ。
下宿にはシャワーしかないので、「今晩は湯に浸れる!」とうれしかったそうだ。
そもそも、友人がこのホテルを選んだのはこのバスタブがあると「地球の歩き方」に書いてあったからだという。
栓を占め、お湯の蛇口を捻ったが、出てくるのはぬるま湯だった。
フロントに電話をしたが、温度はこれがマックスだという。
それでも、なんとかバスタブに浸かりながら、天井を見ると、上階へと続く水道管があったので、「やっぱり6階なんだ。」と思ったという。
その時、彼女は初めて異様なカビ臭さに気がついたという。
 
入浴後、少し本を読み、眠くなったので、灯りのスイッチをオフにした。しかし、なぜか鏡台の灯りが消えない。
おかしいと思い、鏡台の裏側をみると、2つスイッチが隠れており、その一つがオンになっていた。
それを消そうと思い、改めて鏡台の裏側を見た。
すると、そこには、大きなシミがあった。
そのシミは、上側は円、それからラグビーボールを立てたような形が続き、さらに最後は逆三角形のようになっており、ちょうど、150センチぐらいの人が立っているような形だったという。
友人は特に気にもせず、目を瞑った。
洗い立てのシーツがとても気持ちよく、湯ふねで熱くなった体に心地よかったという。
その後は、引き込まれるように、眠ってしまった。
 
あまりの寒さに目が覚めたという。
クーラーの温度を下げすぎたと思い、灯をつけてクーラーのスイッチを切った。
ふと、枕元の腕時計を見ると、午前3時だった。
灯を消すときに、また鏡台の裏のスイッチを切らないといけないかも……と思ったが、今度は灯りは全て消えてくれた。
再び目を瞑り、また眠りに落ちていった。
 
「えっ、何?」
友人は目を覚ました。
何やら聞こえるか聞こえないくらいの人の喋る声が聞こえてきたという。
よく聞くと、男性と女性二人が喋っているようだ。
何を話しているかは、わからなかった。
またザーザーと、足をするような音が聞こえてくる。
そのとき、知人の話を思い出してしまった。
「実は……このホテル……幽霊がでる」
「本当だったんだ……」
友人は、硬く目を瞑った。
ヒソヒソした話し声と、足を擦る音を聞こえないように耳を意識的に塞いだという。
 
気がつけば、目が覚めた。
朝の光がカーテン越しにも感じられた。
「また、今日も暑くなる……」と言おうとして、友人は昨晩のことを思い出した。
 
その部屋から、いやそのホテルから早く出たいと思い、身支度をすると、急いでフロントに向かいチェックアウトした。
その時、オーナー夫妻の写真の横に、10歳くらいの女の子が一人写っている写真が置いてあるのに、気がついた。チェックインの時は気がつかなかったのに。
友人は、昨晩の二人の声のうちの一人は、この子だと直感したという。
 
友人の話は、やっと終わった。
でも、私は怖くなかった。
でも、ちょっと気になった。
今、私はカツレツを食べているのだが、友人とその知人があの日に食べていたのもこの店なのだ。
 
そして、私が聞こうとしたことを、先に友人が答えた。
「あの時も、この店の、この席で食べていたの」
ヒヤッとした。
スコールのせいではない。
氷水が、喉をつたって、胸をつたっていく。
 
友人と別れた私は、ホテルに向かった。
あらためて鍵を見ると5階だった。
そして、角部屋だった。
「いや、反対側の角部屋だろう」と、私は自分に言い聞かせた。
 
部屋に入った私は、壁のシミを見ないように、シミの横に目をやった。
そこには、鏡台があるではないか。
そして、友人が話したように、裏側にスイッチがある。
 
しかし、その裏側には、シミはなく、ペンキの色しか見えなかった。
「えっ、シミが移動した……」
私は、一瞬浮かんだ、その考えを急いで、心の隅に投げやり、友人からもらった本を読むことにした。
やがて、睡魔が来た。
なんとか、シャワーだけ、浴びると、私はベッドに潜り込み、寝てしまった。
しみのことなど、もう頭になかった。
 
尿意を覚えて、目が覚めた。
いや、正確に言うと、何かの音で目が覚めたのだ。
足をするような音。
気のせいではない、自分の横で確かに音がしている。
ザーザー。
ヒヤッとする。
そして、目の上が重い。
理由は、すぐにわかった。
自分の腕を、目の上に置いているのだ。
 
これなら絶対に見えないと、なぜか安心した。
足音はドアの方に向かっている。
そして、男女の声が聞こえてくる。
何を話しているのか、わからないくらい小さい。
「見えないし、聞こえないんだ」と自分に言い聞かせた。

しばらくすると、夢を見ているような感じになってきた。
人の話し声は、明らかにタイ語だ。
かすかに聞こえる会話。
その時、なぜか私は、大きな声を出して言った。
しかもタイ語で。
「タイ語が、わかりません!」
 
バタンと大きな音がして、自分は目が覚めた。
「今のは、夢?現実?」
時計を見ると、午前3時過ぎ。
 
私は、部屋の灯をつけて、眠ることにした。
恐怖心で寝れないと思ったが、いつの間にか眠っていた。
 
目が覚めた。
天井には、蛍光灯のあかりが見えている。
窓からは、太陽の光。
朝だ。
「助かった」と思った。
 
急いで、身支度する。
フロントにチェックアウトと言い、精算を頼んだ。
ぶっきらぼうに、係の女性が金額を答える。
「地球の歩き方」に書いてある料金より安い。
財布をポケットから出す。
その時、気がついた。
「札が一枚ない……」
しかし、恐怖心のために、混乱している私は、とにかくここから逃げたかった。
 
暑い国で走っている人はあまりいない。
それなのに、私は小走りでバスターミナルに向かった。
途中で、腹が減っていることに気がついた。
お粥屋に入った。
 
お腹がいっぱいになると、気持ちが落ち着いてきた。
昨晩のことを順を追って思い出した。
あのバタンという音。
あれは、現実だったのではないか?
 
改めて、財布をみる。
やはり、札が一枚ない!
だったら、あの時の話し声は、幽霊なんじゃなくて……
「泥棒や!」
私は、小さく叫んだ。
タイ語じゃなくて、日本語で。
 
多分、あのホテルは、外国人を狙った泥棒たちのターゲットになっていたのではないだろうか。
タイでは、外国人旅行者をターゲットにした泥棒や空き巣が多い。外国人はお金を持っているだけでなく、タイ語ができない外国人なら、泣き寝入りが多いからだ。限られた旅行期間を、わざわざ英語が通じない警察に行って、騒ぎ立てるより、パッと忘れて、次の目的地へ向かう。
犯罪者は、そのことを分かっているのだ。
 
つまり、現地のタイ人によって、旅の恥はかき捨て「られる」。
 
しかし、
コロナの今、旅の恥はかき捨てることも、かき捨てられることもできなくなっている。
 
あれから20年以上経つが、
あの泥棒たちは、何歳になったのだろう?
泥棒稼業で食えているのだろうか?
というより、
今も生きているのだろうか?
 
また、あのKホテルに泊まったら、彼らは出てきてくれるだろうか?
今度は、幽霊? 泥棒?
 
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
古山裕基(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

タイ東北部ウドンタニ県在住。
同志社大学法学部卒業後、出版企画に勤務。1999年から、タイで暮らす。タイのコンケン大学看護学部在学中に、タイ人の在宅での看取りを経験する。その経験から、トヨタ財団から助成を受けて「こころ豊かな「死」を迎える看取りの場づくり–日本国西宮市・尼崎市とタイ国コンケン県ウボンラット郡の介護実践の学び合い」を行う。義母そして両親をメコン河に散骨する。青年海外協力隊(ベネズエラ)とNGO(ラオス)で、保健衛生や職業訓練教育に携わる。現在は、ある地域で狩猟の修行をしている。
著書に『東南アジアにおけるケアの潜在能力』京都大学学術出版会。
http://isanikikata.com 逝き方から生き方を創る東北タイの旅。

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2021-06-28 | Posted in 週刊READING LIFE vol.132

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