週刊READING LIFE vol.142

厚揚げをじっくりつつく夜もいい《週刊READING LIFE Vol.142「たまにはいいよね、こういうのも」》


2021/09/06/公開
記事:スミ咖(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
昭和に結婚しといてほんとよかったよ。Tシャツではない、肌着に、ゴムゆるゆるの短パン姿で、転がる背中に、こころの中でぼやく。
 
台所に男を入れるもんじゃない! なんて時代ではなくなり、むしろ、共働きなのだから、家事を分担するのが当たり前。亭主関白という男性優位の考え方はなくなった今。もし父が今の状態で結婚しようとしたら、絶対に無理だと思う。男性優位で、女性が3歩下がっていることが美徳とされていた時だったから、結婚できたんだろう。
基本的に家事はしない。母が出かける時も、必ずごはんは用意してもらう。自分が機嫌のいい時は話しかけてくるくせに、機嫌が悪ければ無視。そんな時でも母は「まあ、あんなもんだから」と受け止めてくれている。父の扱い方をよく分かっているから、父に合わせることができる。決してマザコンではないのだが、母は年齢の割りにかわいいし、気遣いもできる。もっといい人と結婚できたのではないかと娘ながらに思ってしまう。父のどこがよくて結婚したんだろう。
 
 
こんな風に娘から疎まれているということを分かっているのか、いないのかは分からない。だけど、一応娘と話したいとか、関係を作りたいみたいなきもちがあるような素振りを感じることもある。
母が仕事でいなくて、私と父が2人で夕食を摂る日がある。普段自分が食べたいもの以外は、自炊しない父なのだが、私がいる時は、ちょっとしたものを作ろうとしてくれる。ダイナミックに切った肉を炒めるとか、厚揚げを焼いて、ネギを乗せたやつとか、つまみみたいなごはんだ。それを作ると、TVを前にして、色々話しかけてくる。
 
 
「あそこの店のごはんがうまそうだな。行ったことあるか?」とか、「コロナ患者がまた増えてるな。世の中意識が低いんだ」とか、独り言っぽくしながらも、私に反応を求めてくる。
食事くらい静かに食べさせてよ。と面倒くささがきっと顔にも出てると思う。まあ無視も出来ないので「あーそうだね」とそっけない反応をして終わらせる。少しは会話をしようとするのは、やはり父というのは、自分にとって、ちょっと怖い存在であるというのもある。
今でこそ怒られることをしなくなったけど、子どもの時、欲しいおもちゃがあって、私は母にわがままを言っていた。母はとにかく怒らない人だから、私のわがままの声はどんどん加速して、「ほしい! ほしい!」の声がどんどん大きくなった。
その時の「おいっ!」というたった一言。怒られる前に、私はそのドスの効いた声に縮んでしまった。いざという時、やはり男親というのは、とりでというか、自分にとって、母とは違う距離感の存在だ。

 

 

 

別に父のことがすごく嫌ではないのだけど、反対にすごく好きということでもない。面倒くさい、だけど怒らせたら、ちょっと怖い。
 
面倒くささと、恐れ、父に対してそんな複雑な思いでいるから、積極的に自分から交流しようというきもちがほとんどない。
だけど、本当の父のきもちを知って、たまには、ほんとにたまには、父との時間を大事にしてもいいのかなと思うことがあった。

 

 

 

この家の長女として生まれて、弟の面倒もよく見るし、学校も真面目に通って、私はいわゆる手のかからない子どもだったと思う。素行の分からない男にうつつをぬかすこともなく、短大に通って、小さい頃からの夢だった保育園の先生になった。
 
特に心配されることもなく、しいて言えば、真面目過ぎて疲れないかということを気にかけられるくらいで、淡々と日々を過ごしてきた。こうやって日々子どもたちと遊んで、ちょっとした疲れを感じながらも、両親と食卓を囲む。母の口グセは「いいよねー。退職金いっぱいもらえるよ」と「お母さんがこどもの面倒いつでも見てあげるから」だった。だから私は、きっとこうして過ごして、いずれ地元近くの人と結婚して、育休をとる。そして孫も加わった食卓を囲んで過ごす。そうやって生きていくことが、自分のしあわせだし、自分に合っていると思うようになった。真面目な保育園の先生である娘。こうしていることが、両親を安心させることだから、私はそういう娘でなくてはいけないようなきもちになっていった。
 
 
子どもたちと過ごす毎日は、同じ日なんかない。機嫌がいい日もあれば、すごく悪い日もある。昨日大好きだった砂場遊びは、今日は嫌、なんてざらにある。だけど、毎日同じ時間に始まって、遊んで、ごはんを食べて、昼寝をさせる。その間に、連絡帳を記入して、掃除して、また夕方もこども達と遊ぶ。いい意味で言えば、仕事に慣れた。別の言い方をすると、マンネリ。12年この仕事に就いてきて、これからもこの繰り返しをして、ずっと、ずっと生きていくのかな……とぼんやり考えることが増えてきた。

 

 

 

保育園の先生という顔から、家に帰り、私は娘という顔になる。食卓を囲む時、大抵話しかけてくるのは母で、保育園のことを聞いてきたり、自分の職場で起きた出来事を話してくる。いつまでたっても、こどもであることには変わりないようだ。
父はそれを横目に、自分のペースで酒を作り、母が作った食事以外に自分だけのマイつまみを用意して、ちびちびと食べている。私たちの会話に加わることはない。画面のお笑い芸人に大笑いして、飲み続けている。
その食卓で「疲れた?」と母に聞かれて、「まあね」とごまかしながら、日々を過ごしてきた。体力的な疲労というより、保育園の先生という仕事がなんだか馴染まない、しっくりこない。お気に入りの服だったのに、急に自分に合わなくなって、それをずっと着続けている気持ち悪さ。それを背負い続けていることがしんどい。でもそんなことを言って、波風を立てることは出来ないし、したくなかった。
 
自分のきもちに気付きながらも、フタをしながら過ごしてきた。そして限界が、ある日突然予想もせず表れた。

 

 

 

私はその日から保育園に行けなくなった。
 
なみだが止まらなくなって、体が動かなくなった。なのに、そんな時でも真っ先に考えたのは、両親にバレないようにするにはどうしたらいいのか。ということだった。ちょっと休めば、気分が変わるかもしれない。だったら、余計な心配はかけなくていい。
私は出勤する格好で外に出て、公園や図書館で過ごすようになった。いつもと同じ服で、同じ時間に家を出る。2、3日過ぎてまだ気付かれていないだろう、自分では完璧にウソがつけていると思っていた。特に父には気が付かれていないと思っていた。夜勤明けの父は、私が出勤する時はいつもゴロゴロしていて、「いってきます」と言っても「ああ……」と背中越しに言うだけだし、何か私に話しかけてくるわけでもない。私に関心を向けている様子なんて、ほとんどない。
 
もう保育園の先生でいることはしんどい。だけど、それを言ったら両親を困らせる。自分のきもちと、両親に対する気がかりの板挟みになりながら、自分に向けられている期待に応えようとし続けた。

 

 

 

そうして1週間ウソをつき続ける生活をして、いい加減無理が生じ始めてきた。
もうこうして、逃げ続けていてもダメだ。私はきもちを打ち明ける決心をした。母を喫茶店に呼び出した。家で話しても良かったのだが、家には父がいる。なんだか、こうした悩みというのは父には言いにくかった。やっぱり父を怒らせたら怖いという、ちょっとした距離感をどうしても感じてしまっていた。だから、まずは怒られないであろう母に言おうとする安全策をとってしまっていた。
 
長年一緒にいる身内なのに、どうしてもドキドキして、緊張した。こんなことを言って、すごい波風を立てる。どうなるのか、認めてもらえるか、緊張と不安で、吐きそうになってきた。
 
「あーいた!」とにこにこしながら、母がやってきて、「何にしよっか」とメニューを選んでいる母は、私が今からすっごい波を巻き起こすことに、気が付いていないようだった。ケーキを頼んで、半分こして食べていると、母が「最近どうなの?」と聞いてくれた。言うしかない。
「最近保育園行ってないの。もう行くのしんどいの」言った、言ってしまった。
言った後ほんの一瞬だったのに、母が次の言葉を発するまで、時間が止まった気がして、その沈黙が耐えられなかった。
 
「やっぱりね。そんな気がしてたんだ」ちょっと笑って母が言った。えっ……怒らないの? ショックじゃないの? 意外過ぎる答えに驚いていた。
「最近変だもん。それにわざわざ外に呼び出して。覚悟してきたんだ」
なんだ。バレてたのか。と安心したのと同時に拍子抜けした。
「もうしんどいなら、いいじゃん。仕方ないよ。自分がしたいようにしてみたら」
「いいの? 保育園の先生じゃなくてもいいの?」
「いいよ。スミ咖ちゃんがしあわせなら、それでいいの」
先生じゃないと、いい子でいないと、私はあの家にいられないと思っていた。だけど、そう思っていたのは私だけだったみたいだ。
 
「お父さんだって、毎日聞いてきてたよ。あいつの様子が変だって」
そうなの? いつも黙ってて、調子のいい時だけどうでもいいことばかり話しかけてくるのに。
「もう好きにさせてやれ。いざとなったら、本当に一文無しになったら、いくらでも助けてやれるんだからって言ってたよ」
そんな風に思ってたんだ。ぶっきらぼうな父親に、先生でいることがしんどいなんて、言ったら怒られると思っていた。そして何より、私が悩んでいることに気が付いているとは、思ってもみなかった。
「お父さんだって心配してるんだよ。だけど、どう話しかけていいか分からないだけなんだよね。いつも、あいつはどこ行くんだ? とか、変なヤツがくっついてきてないか? とかお母さんに色々聞いてきてるんだよ」
「そっちの心配はいらないよ」
すっかり溶けてしまった、ケーキの横に添えられたアイスをすくった。やっと何かを食べたという感覚があった。

 

 

 

母と娘という同性の関係は親近感も湧くし、ちょっとした同志みたいな気分になるから、距離感が近く感じる。だからの話題もない、自ら近づいても来ない、そんな父親に話しかけようとするきもちはほとんどない。仮に会話があっても、続かなくて、より面倒くさくなるだけだ。話さないから、何を考えてるかも分からない。でもそれはきっとお互いに思っていて、どちらかが距離を詰めようとすることを待っていたのかもしれない。どうしていいか分からないから、あえて距離を離して見ている。それが父にできる最大の私への気遣いだったんだと思った。
 
今日は母が夜勤で、食卓にいない。帰ってくると「食べるか?」と寝っ転がった父が聞いてきた。「食べる」今日は、今日だけは父と話す食卓にしてもいいと思った。
いつもと同じように、焼いた厚揚げには、ネギとショウガがたくさん乗っている。そして相変わらず画面からは父の大好きなグルメ番組が流れている。
 
「これ名古屋で流行りか?」父が聞いてきた。
「んー……見たことないけど、この辺は行ったことあるよ」
「そうか」たったこれだけ。
数分してから
「おい、免許の更新いつだったか?」
「来月だから、行ってくるね」
なんともとりとめのないというか、全くつながりのない話題。だけど、たまには父の話を聞いて、ちゃんと答えようというきもちでいた。それが伝わっているかどうかは分からないけど。
父と同じ皿から、厚揚げをつつく。ネギとショウガがたくさん乗っているその組み合わせが結構好きだ。今日はいつも見ないTVもゆっくり見た。
「ごちそうさま」いつもはちゃんと言わない挨拶も、今日は父に聞こえるように言った。

 

 

 

表面上はいつもと変わらない夕飯。だけど、たまには父の話に耳を傾けて、父にきもちを向ける日があってもいい。面と向かってありがとうを言うのは、やはり恥ずかしい。だから、せめて食事の時間を長く共有して、同じTVを見る。それが私ができるささやかな恩返しであり、ありがとうを伝える手段であるような気がした。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
スミ咖(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

保育士歴12年。自分の内面について考える毎日。保育以外の職務経験がないため、色んな仕事をして、経験値を上げてみたいと、ライティングに挑戦中。悩んでいる人が共感して、元気が出るような文章を書けるようになるのが目標。

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325


■天狼院書店「シアターカフェ天狼院」

〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目8-1 WACCA池袋 4F
営業時間:
平日 11:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
電話:03−6812−1984


2021-09-06 | Posted in 週刊READING LIFE vol.142

関連記事