ごめんねショートケーキ《週刊READING LIFE Vol.142「たまにはいいよね、こういうのも」》
2021/09/06/公開
記事:椎名真嗣(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「おいしそうなイチゴのショートケーキね。みんなで私の部屋でたべましょうよ」
遺影の母がうれしそうにつぶやく。
今日は母の月命日。
母の大好きなイチゴのショートケーキを仏壇に供える。
「そうだね。みんなで食べよう」
僕は遺影の母に応えた。
「お母さん、明日の喜寿のお祝い何がほしい?」
「イチゴのショートケーキ! 私大好きなのよ。買ってみんなで食べましょう!」
母は元気に言った。
翌日、母の喜寿のお祝いには母と同居している僕の家族の他、弟家族、独り者の姉、と総勢10名が集まる。
ワイワイガヤガヤと妻と義妹が作った食事を食べながら、ひときわうれしそうな母。
「お父さんてね、家でお酒飲んでいる時、よっぱらっちゃって『じゃあ、そろそろ帰る、お勘定!』っていったのよ。自分の家を行きつけのスナックと間違えたみたいで。その時私も思わず『また、いらしてね』っていってしまったの」
母お得意の亡き父に関するエピソード。
皆、何度も聞いてオチも知っているけれど、この話を聞くとなんだか、心が軽くなるから不思議だ。
食事が終わると食器の片づけは僕と弟の男性陣の仕事。
僕が食器を洗い、弟が洗った食器をすばやく拭いて食器棚に片づけていく。
その間、母は孫連中とテレビを見て過ごしている。
僕達が食器の片づけが終わるといよいよイチゴのショートケーキのお出ましだ。
冷蔵庫一番下の段に陣取っていた10人前のショートケーキはなかなかの迫力。
ショートケーキの中央には、ろうそくが一本。
「ばあば、フーして」
と弟の娘、5歳の綾子が母に言った。
母は綾子に言われた通り、フーと一息で、ろうそくの炎を消したのだった。
「ばあば、おめでとう」
とパチパチと拍手がなる。
そんな喜寿のお祝いから1か月後の事だ。
母が駅の階段で転倒し、足首を骨折してしまうのは。
幸いにも寝たきりにはならなかったが、足首の複雑骨折は、高齢も相まって中々治らなかった。
お医者様からは、
「リハビリと共に体重管理をきちんとして、いまより体重を5Kgは落とすように」
とのお達しがでる。
僕達は何度もリハビリをするように、と母を励ますが
「どうせ私はもうだめよ」
等と言って、真剣にリハビリに取り組もうとはしない。
ついには唯一の趣味だったゴルフをしばらく断念せざるを得なくなる
ゴルフができなくなったことで、すっかりふさぎ込んでしまう母。
足の自由が利かない母は事あることに妻に細かい用事を言いつけるようになっていく。
そして、妻の顔をみるたびに「死にたい、死にたい」と言うように。
あんなに明るかった母はすっかり人が変わってしまったようだった。
心配になった僕は母を精神科に連れていく。
下された病名は鬱病。
最初は一生懸命、母をサポートし元気付けていた妻まで
「あなた、このままでは私まで鬱になってしまうわ」
と私に訴えた。
家族会議を開き、母を埼玉の施設に入れる事にした。
母には申し訳なかったが、僕達にも生活があるのだ。
母の世話をこれ以上はできない。
それが僕達の判断だった。
母が施設に入った後、妻にも笑顔が戻り、僕達には、また平和な生活が戻ってきた。
母が埼玉の施設に入った後、僕は少なくとも月に一度、母の様子を見に行くことにした。
施設に入ってしばらくすると、母の口癖は「死にたい」から「うちに早く帰りたい」に代わっていった。
僕は
「きちんとリハビリして、少なくとも家の中では自分ひとりで歩けるようにならないとダメだよ。自分の事は自分でできるようにならない限り、うちに帰ってきては困るのだ」
と何とかリハビリを進めてほしい一心で、きつい口調で言った。
口を尖がらせて、不服そうな母に僕はたたみかける。
「まず足をしっかり治そうよ。そして体重も落とそう」
母は
「うちに帰れるようになったら、またみんなでイチゴのショートケーキ食べられるかな?」
「もちろん! だからリハビリを頑張ろう。歩けるようになるまではショートケーキは我慢だよ」
僕の言葉に母はうなずいた。
母はやっと家に帰りたい一心で施設でのリハビリを開始したのだった。
それから半年後。
リハビリの成果が少しずつだが現れ、まだ介助は必要だが自力で歩けるようになってきた母。
体が回復するに従い、以前の「死にたい」は、すっかりなりを潜めた。
うちに帰って僕達と一緒に生活ができるようになるのも遠い将来の事ではないように思われた。
お正月。
久しぶりに母も含めた10名が自宅に集まりお正月のお祝いをする。
妻と義妹が作ったおせちをおいしそうに食べる母。
いつもの亡き父の『またいらしてね』のエピソードも飛び出し、いよいよ調子が戻ってきたようだ。
「この感じでは、あと2,3カ月様子をみて問題なければ、自宅に引き取ってもよいだろう」と僕は心の中で思ったが、母には言わなかった。
順調にリハビリを進めている母に油断させたくなかったからだ。
おせちを食べ終わった後は皆で近所の神社へ初詣に向かう。
正月三が日ともあって、境内は結構混んでいるのが見て取れる。
僕は
「お母さん、(混んでいるけど)大丈夫?」
と尋ねた。
母は
「大丈夫よ、このくらい」
と元気に応えた。
僕は母の手を取りながら、一歩また一歩と境内に続く階段を上がった。
いつもの倍の時間をかけて僕と母は何とか拝殿までたどりついた。
母と一緒にまた暮らせるようにと、僕は奮発して一万円札を母に見つからないように、お賽銭箱に入れ、鈴を鳴らした。
初詣の帰り、ケーキ屋さんの前を通る。
ショーケースにイチゴのショートケーキ。
「おいしそうなイチゴのショートケーキね。買って帰ってみんなで私の部屋でたべましょうよ。」
と、僕に支えられながら歩く母がケーキ屋の前で言った。
するとすかさず姉が
「お母さん、食べすぎよ! 我慢して! あんなにおせち食べて、ショートケーキまで食べちゃったら大変よ。これ以上体重が増えたら歩けなくなるじゃない。そうしたら私達、本当にお母さんの事、見きれないからね!」
という。
ダイエットに何度となく失敗している姉らしい発言だ。
「真嗣とうちに帰れるようになったらショートケーキたべようって、約束したのよ」
と僕の顔を見ながら食い下がる母。
「お願い! みんなで食べましょうよ。たまにはいいでしょ。私がお金払うから」
僕は
「せっかく、元気になってきたのに、ここで体重が増えるのはよくないよ。元気になったからって油断してはダメだよ」
と姉に同調する。
そして
「ちゃんと、本当に施設からうちに戻ってこられるようになったら今度こそイチゴのショートケーキをみんなで食べよう。それまで我慢しよう」
と続けた。
母は悲しそうな顔でうなずいた。
自宅に戻ってしばらくすると、施設に向かう時間になった。
僕は母の手を携えて、助手席に乗せ、自分は運転席に移る。
娘と息子が車を見送りに玄関前まで出てきていた。
「ばあば、またいらしてね」
と娘と息子。
母はにっこりと笑って手を振った。
翌月。
母が施設から自宅に戻ってくる日はちょうど私の誕生日だ。
そこで母も交えて、家族全員で私のお誕生日会を祝ってくれる事に。
母が自宅に戻る1週間前、姉が母からだといって、プレゼントの時計を僕に渡してくれた。
プレゼントの包の中には母からの手紙がはいっている。
「いつもありがとう。また一緒に食事ができるのを楽しみにしているわ」
僕は妻に、イチゴのショートケーキを僕の誕生日会用に準備してほしい、とお願いした。
母が帰ってくる当日。
僕の携帯がなった。妻からだ。
「お母さんが倒れて救急車で運ばれた。今すぐ帰ってきて!」
僕は教えられた病院へとタクシーで向かう。
遅かった。
病院に着いた時には母は既に亡くなっていた。
死因は誤嚥。その日はお昼ご飯を施設で食べた後、姉の運転する車で自宅に戻る予定だった。姉との約束の時間が迫っていて焦ったのだろう。おかずの豚肉のソテーを喉に詰まらせたのだ。いつも施設では一人、部屋で食事をする母。
発見が遅れた。
施設の係の人が発見した時には心肺停止状態。
AEDで蘇生を試みると共に、救急車も呼ばれたが、間に合わなかったのだった。
「お母さん、このイチゴのショートケーキは初詣の帰りに通ったケーキ屋さんで買ってきたのだよ。おいしそうだね」
スポンジの層の間にはびっしりとイチゴと生クリーム。
てっぺんにはイチゴがキラキラと輝いている。
まさに母好みのケーキだ。
遺影の母はうれしそうに微笑んでいる。
僕は姉がケーキを買う事に反対した時に
「姉さん、お母さんがリハビリ頑張っているのだから、たまにはショートケーキを買ってみんなで食べようよ」
と、なぜ言えなかったのだろう?
イチゴのショートケーキ1つ食べたからって体重はそんなに変わるはずはないのだ。
油断して一生懸命やっていたリハビリをやめることなんて、なかったに違いない。
「ごめんね」
僕はイチゴのショートケーキと母の遺影に謝った。
□ライターズプロフィール
椎名 真嗣(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
北海道生まれ。
IT企業で営業職を20年。その後マーケティング部に配置転換。右も左もわからないマーケティング部でラインティング能力の必要性を痛感。天狼院ライティングゼミを受講しライティングの面白さに目覚める。
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