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週刊READING LIFE vol.146

人間は進化の途中なのか《週刊READING LIFE Vol.146 歴史に学ぶ仕事術》


2021/11/08/公開
記事:伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「ねえ、本当にちゃんと仕事できるの?」
朝一番の電話は、怒りを感じていると言わんばかりの強い口調の一言で始まった。
「はい、何も問題ないと思いますけれど……」
私の頭の中は疑問符でいっぱいになり、この人は一体何を言いたいのかと理解しようと回路が猛スピードで回り出した。
 
頼まれた期限にはまだ1週間ほどある。全く手をつけていない、ということはなく、仕事は進んでいる。初めの約束の期限には間に合う予定だ。
 
「ロッカーの奥行きって、いくつだかわかってる?」
そう聞かれて戸惑ったものの、「500ミリくらいですか……」と答えると怒鳴られた。
 
「違う、515ミリだ」
 
えー、その15ミリ、今回の設計でそんなに重要なことでしたっけ?
私はますますわからなくなっていった。
 
建築設計事務所をやっている私は、店舗のデザインも手掛けている。電話をかけてきたのは、その時デザインを手掛けていた店舗の施工を担当する会社の社長だった。
 
店舗デザインのできる人を探していると、知り合いに紹介され、私はその施工会社に出会った。そして、その会社とチームを組んで、店舗のオーナーにデザイン案と施工費用についてのプレゼンをした。競合がいたものの、幸い私逹はこの仕事を受注することになる。そんな、受注が決まった矢先のことだった。
 
電話の向こうで、益々口調は強くなっていった。私が口を挟む隙も与えず、一人で勝手に、まだ起こってもいない心配事をならべている。それも、私の事務所がミスをしてお客様に迷惑をかけるのではないかと言っているのだ。そして、最後にこう言った。
 
「あー、本当に腹が立ってきた」
 
私はこの言葉を聞いた時には、この人のことが全く理解できない状態になっていた。
なぜ、何も起きていない出来事を並べて話しているのだろう。
なぜ、勝手に怒っていて、それを私にぶつけてきているのだろう。
私がすでに何かの問題や失敗を起こしてしまっているのなら、心配をする気持ちもわかる。でも、私が知る限り、私はまだ何も出来事を起こしていない。
 
私の中で、パチンと何かが切れる音がした。さすがに言い返す気持ちにはならなかったけれど、こんな理解できない行動を起こす人と一緒に仕事はできない。
 
「ちゃんと間に合うスケジュールで進んでいますので、またご連絡します」と言い、なんとか電話を切ったが、心の中には激しい風が吹き荒れていた。
 
これからどう対応したものかと思いながら、紹介者に連絡をとる。
すると、紹介者は「あー、やられちゃった?」と、この出来事を予想していたかのように返事をしたのだった。
 
「それ、いつものことだから。気にしないで」
この、八つ当たりなのか、なんだかよく分からない行動がいつものことだと言う。そして、「はっきり言い返していいし、仕事辞められたら困るは向こうだから、結局、調子良く言ってくるからさ。まあ、ちょっとだけ我慢してよ」
 
正直に言えば、次に我慢できるかどうかは自信がなかったが、とりあえず、今回は紹介者に免じて「辞めたい」という気持ち一旦飲み込んだ。

 

 

 

そんな時、私は「進化心理学」という学問に出会った。
 
「人間は動物である」
そう聞いて、当たり前のことを、いまさら何を言っているのだろうと思う人もいるかもしれない。もしくは、一瞬頭の中に疑問符が浮かび、「まあ、そう言われればそうだけど……」とちょっと違和感を感じる人もいるだろう。
みなさんはこの言葉を聞いて、何を感じるだろうか。
 
私はこの言葉を聞いた時、今まで全く意識していなかったことを投げかけられ、その意味を考えてしまった。私の中では、人間は人間であって、他の動物とは区別して考えていたのだろう。「動物とは、人間以外の地球上の哺乳類」という意識でいたと言っても過言ではない。
 
「進化心理学」は「人間は動物である」という視点に立つ。そして、「人間の感情は、生物の進化の過程で身につけてきたものであり、人間の行動はその感情によって引き起こされる」という考えに基づいている。生物の進化の過程というのは、生き抜いてきた生物の歴史である。だから、その過程で身につけてきた感情は、生き抜くために必要なものであるということだ。つまり、怒りや恐怖、喜びなどの感情は、どれも生き抜くために身につけてきたということになる。
 
例えば、高いビルの上などで恐怖を感じる高所恐怖症の人がいる。実はその恐怖は当たり前のことで、高い木の上で生きていた時代に得てきた感情である。落ちたら明らかに死んでしまうような高さには行かない方が無難なのだから、そうした高いところへの恐怖を持っていた方が生き残りやすかった、ということなのだ。高いところへの恐怖は、生きるために身につけたということになる。ただ、現代社会においては、多くの人が高いところでも安全であるという認識を持ち、その本来持っている恐怖を感じなくなっているというだけなのだ。
 
同じく怒りも喜びなどの感情も、その感情を持っていた生物の方が生き残りやすかった。そして、その感情は人間本来の感情として引き継がれていく。
 
私たち人間は、動物の中から種がわかれ、人間と呼ばれる動物になったのだ。そして今でも、動物として生き残るために行動していることに変わらない。生き残るために本来持っている感情を発露させているというのだ。
 
「進化心理学」の視点で考えてみると、あの理不尽に怒っていた社長も、動物として生き残るために怒っていたと考えられる。
まだ起こっていないこと、リスクに対して恐怖を感じ、そしてその恐怖を戦う気持ちに変え、私に戦いを挑んでいたのかもしれない。
もしくは、その恐怖を与えるかもしれない私に対して怒りをぶつけていたのか。
 
施工会社はさまざまな職人さんや職種の人が関わる一つのチームとも言える。今まで、彼が仕事を一緒にしてきた人は彼が作り上げた集団だった。それは猿であれば、一つの群れであり、彼はその群れのボスであると言える。
 
私に対し、一旦は仕事を受注するという目的に向かって同志のように思ったわけだが、群れからすれば、私は新参者である。群れを守るボスは新参者を受け入れてみたものの、色々と心配になる。それに、この群れの中で一番偉いこと、自分がボスであることを示すためにも威嚇をしておかなければならない。対等な関係ではないということを示したかった。私より自分が年齢も上で、経験もあるということを、明らかにしておきたかったという気持ちもあるだろう。
 
もしかしたら、彼に恐怖を与えるような行動を私が知らないうちにしていたのかもしれない。私には覚えがないが、私の行動が今回の仕事がうまくいかないという恐怖を彼に与えてしまったという可能性もゼロではない。何をどう感じるのかは、彼次第なのだから。
 
意識的なのか、無意識なのかはわからないが、彼がとった行動は生き残るための行動、つまり生存戦略であると考えることができる。
 
「彼はボス猿なんだな」と思ったら、急に気持ちが軽くなった。そう思った途端、彼の容姿まで、猿のように見えてきて、親しみさえ感じられた。
その後も彼は、私に理不尽な怒りをぶつけてくることもあった。しかしその度に、猿の群れを想像し、ボス猿がしなければならない行動を生きるためにしているのだと思えた。彼も生きるために一生懸命なのだ。
 
そもそも、私だって生きるために感情を発露させ、行動している。彼に対してこんなことを感じていることそのものが、私の生存戦略なのだ。
 
一方、「仕事」ということにおいて言えば、ただ感情を発露させ行動することは、本来難しいことのはずだ。彼の理不尽とも言える行動は、私というチームの一員を失い、その先の仕事が進まない可能性もあったのだ。彼の生存戦略が経済的な損失を生むことも考えられた。しかし、彼はその損失をかえりみず、もっと自分の種としての生存を優先する行動をとったと言えるのかもしれない。
 
「仕事」においては、経済的な側面から多くの人が感情を押し殺し我慢をするということで乗り切っていかなければならない場面を経験しているだろう。その時、私たち人間はシンプルな生存戦略ではなく、何か複雑な状況判断の中で、単純な感情に基づかない生存戦略をたてているのだろうか。

 

 

 

飼い猫や犬だって、その立場で生き残るために行動をしている。襲われたら戦いもするが、多くの場合は、飼い主からどうやったら餌をもらえるのか、ということに基づいて行動をしているのである。自分が生き残るための戦略として、飼い猫なら、時に甘えて時に知らん顔をするというような、そんな気まぐれな行動で飼い主の気をひくのかもしれない。飼い犬なら、人間に従順であることが一番うまくいく方法だと、進化の過程で身につけているとも考えられる。野生から飼われる動物に変わっていく中で、身につけていったものがある。
 
現代社会においては、人間が動物として、進化の過程で身につけた感情をそのまま発露させると不具合が起こる場合があるだろう。今、人間が持っている感情の根本は、はるか昔、草原やサバンナで暮らしていた時代の感情であるからだ。
文明や大きな社会というものは、今までの進化の過程では経験をしていない状況である。だから、今、人間が持っている感情はまだこの状況に合わせて進化しきれていないものがあると考えられないだろうか。飼い猫や犬のようには、まだ変わりきれていない。
 
これから先、どれだけ長い時間をかけて人間に新しい感情が生まれるのか。それとも、今持っている感情が、少しずつ変化をしていくのか。もしかしたら、今持っている感情の中で、消えてしまうものもあるかもしれない。
 
怒ったり、悲しんだり、喜んだり、嫉妬したり……。
驚いたり、感謝したり、希望を感じたり……。
すべて、動物として生き抜くために必要なことを行っているだけだ。
 
どんな感情を持ち合わせ、どんな行動を起こしたとしても、生きるためにそれぞれが一生懸命なのだとわかれば、自分のことも誰かのことも理解しやすくなると思う。
 
そして可能な限りマイナスの感情が少なくなって、プラスの感情がこれからの進化の中で必要な感情になるような、そんな世界になっていったら、生き抜くのも楽しいのかもしれない。
 
人間は多くの時間を「仕事」と言われるものに費やしている。
だからこそ、感情を理解しながら、我慢をする生存戦略ではなくプラスの感情を発露させる生存戦略を確立し、生きていかなければならないのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

建築設計事務所主宰。住宅、店舗デザイン等、様々な分野の建築設計、空間デザインを手がける。書いてみたい、考えていることをもう少しうまく伝えたい、という単純な欲求から天狼院ライティング・ゼミに参加。これからどんなことを書いていくのか、模索中。

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2021-11-08 | Posted in 週刊READING LIFE vol.146

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