歴史の最後の部分に少しだけひょっこり登場して、本やYouTubeにも勝る学びが得られるという特権《週刊READING LIFE Vol.146 歴史に学ぶ仕事術》
2021/11/08/公開
記事:吉田みのり
仕事に悩んだとき、ストレスがたまったとき。
そんな時は本屋へ行ったり、行く時間がないときは自分の本棚の前に座り込んで本を眺める。
そして、今の私に何かいいお告げをくれそうな本を探し、ばらばらとめくる。
ビジネス書から探すことが多いが、ときには小説だったりエッセイだったりすることもある。
少し前まではなかったのだが、遅ればせながら最近はYouTubeを見るようになり、動画から探すこともある。
そうやって、悩みを解決してくれる、ヒントをくれる、一歩を踏み出す勇気をくれる、共感してくれる、癒してくれる文章や言葉を探す。
もちろんそれで悩みが解決したり、癒やされたりすることもあり、本や動画は私にとって大切な大切なアイテムなのだが、それよりも何よりも、私には本よりもYouTubeよりも勝るアイテムがあり、しかもそれはいつもというわけにはいかないが仕事中に使うことができるという職業上の特権があると思う。
それは、日々お年寄りと関わる中で、悩みを解決するヒントをもらえたり、背中を押してもらえたり、心の重荷がふっと軽くなるような機会が得られるということ。
お年寄りからその人の人生、その人の歴史を通じて学ぶことができるという特権があるのだ。
特養での介護士を10年、ケアマネジャーとして3年目の私は、仕事柄お年寄りとたくさん関わってきており、現在も関わっている。
一人ひとりの様々な人生があり、喜怒哀楽があり、そして唯一無二の歴史がある。
私はその方々のほんの一部分しか知り得ることはできないのだが、人生の機微に触れる機会が多くあることは貴重なことであり、職業上の特権だと思う。
仕事の重責に押しつぶされそうになり、ストレスで追い詰められることが多く、すぐに「もう辞めたい! 逃げ出したい!」と思ってしまうのだが、しかしそんな弱った心を救ってくれるのも、また仕事だったりする。
追い詰められているときはとてもそうは思えないのだけれど。
お年寄りと関わるということは、死と常に隣り合わせだ。
もちろん、私だって、どんなに若い方だって、明日の命がどうかは誰にもわからないのだけれど、介護保険を利用する方々というのは高齢であり、なにかしらの病気や障害があるということで、死を意識せざるを得ない。
その人がその人らしく、最期まで生きていくにはどうしたらいいのか。残りの人生をどう歩みたいのか。
また、望む死について、例えばよく言われる「畳の上で死にたい」であるとか、その方それぞれの思いがある。
認知症だったり病気だったりでご本人の意向が確認できないことも多いが、家族の思いであったり、家族が本人はこう望んでいるであろうと思う意向にそって、お手伝いをすることとなる。
しかし、家族関係であったり、病気だったり、環境だったり、お金の問題だったりの難問が立ちはだかる中で、それでもその方や家族や関わる専門職の方々と話し合いを何度も重ね、私自身も考えに考え抜いて、時には仕事以外でも寝ても覚めてもその方のことを考え続けて、また話し合って……ということを繰り返していくのだが、結局いつもその方が亡くなったときに、「これで良かったのか?」とか、「もっとできることがあったのではないか?」という後悔の念や、無力感に襲われることになる。
これは、施設で介護士をしていたときも、ケアマネジャーとして関わっていても、変わらない辛い部分のひとつである。
もちろん、その方が亡くなるときにどう思っていたかは確かめようがないし、「やるべきことはやった。やりきった」と自己満足してしまうのも違うと思うし、結局のところこの仕事を続けていく限り、後悔の念や無力感とはずっと付き合っていかなくてはならず、覚悟が必要なことはわかっているのだけれど、まだまだ私の人間力が追いついていかない。
そんな後悔やら無力感やら、そして現在の担当している仕事の重圧だったり思うようにならない焦燥感であったり、波の大小はあるけれどいつもいろんな感情が自分の中にうごめいていて、時には押しつぶされそうになりながら、しかし日々の仕事は迫ってくるので、毎日いつも通り仕事をして、担当しているお年寄りのお宅へモニタリング訪問へ出かける。
気持ちが沈んでいると、訪問も気が重くなってしまうのだが、しかし暗い顔で訪問するわけにもいかず、そこは介護業界へ転職する前の20代のサービス業時代に培った笑顔と明るさで頑張って訪問する。
そして、その訪問中は当たり前だがその向き合っている方に集中することになるので、そうするとその間はもやもやした感情からは一時的に解放される。この一時的にでも解放される瞬間が強制的に訪れるのは、気持ちをリセットできて必要なことなんだと思う。訪問先でさらにもやもやを抱えてしまうこともあるが……。
あるときも、そんなもやもやを抱えたまま、90代の1人暮らしをしている女性宅を訪問した。
その方は長年地域のために尽力してきて、様々なボランティア活動もされていた。90歳を超えた今でも地域から頼りにされている。
いつも通り体調だったり、近況だったりを聞いていたのだが、まずその方のゆったりとしたやさしい話し方、人柄がにじみ出る笑顔に気持ちがほっこり和むのを感じていた。
そして、近況を聞いているうちに、ご近所トラブルに巻き込まれて、相談を受けたり仲裁する羽目になったという話しをされた。
その中で、「相手は変えられないんだから、自分が変わるしかないの。自分が変わることで相手も気持ち良くなればそれでいいじゃない」「愚痴や悪口を言ったって何も変わらない。そういう悪い言葉は自分へ返ってくるのよ」「なるようにしかならないの。自分ができることを一生懸命やればそれでいいのよ」など、それこそ私が悩んだときに本やYouTubeに求めるお告げの言葉を山ほど聞くことができた。
また別の日、90代で1人暮らしをしている男性を訪問した。
その方は最愛の妻を十数年前に亡くし、今でも妻との思い出をよく語り、また誰もが知っているような大手企業に高校卒業後から定年まで勤め上げたのだが、高卒の自分が大卒を差し置いてどうやって出世していったのかという武勇伝を毎回語ってくれる。認知症がだいぶ進んでおり、ヘルパーなどの支援でなんとか暮らせている状態なのだが、昔の話しをするのが大好きで、毎回だいたい同じ話しを、時に同じ場面を何度も繰り返して話しが進まないこともありつつ話してくれるのだが、それを毎回初めて聞くかのように聞いている。
昭和の高度経済成長期、毎日遅くまで残業が当たり前、休みは日曜日しかなく、しかもその日曜日も出勤かもしくは自身の勉強の時間にあて、大企業の中で高卒というハンディキャップやコンプレックスを勉強や努力ではねのけ、営業成績全国1位であるとか、輝かしい出世街道を歩んでいった道のりを語り、自分がどれだけ頑張ったのか、認められたのかという自慢話しではあるのだが、その人の人柄であったり、楽しそうに語ることもあり、嫌味な印象がまったくない。
それを聞いていると、なんて自分は小さな努力しかしていないのだろう、しかも土日休みで残業もそれほどない恵まれた環境で仕事をしているのだ、私の悩みなんてたいしたことはない! 努力もまだまだだ! と思わせてくれる。
また、この方の趣味が宝くじを買うことで定期的に買っているのだが、「1億円当たったら、どこへいくら寄付して、孫にいくら渡して……」ということを真剣に悩んでいるのも、毎回くすっと和ませてくれる。
このように、関わっているお年寄り一人ひとりの歴史、人柄やエピソードを、過去に関わった方々も含めてすべて紹介したいくらいで、それこそ心に刺さるエピソードが本になったりYouTubeで配信できたら、多くの人が学びや癒やしをたくさん得られると思う。
イレギュラーな事件や対応が続き、とても忙しくて訪問より目の前の仕事を優先させたい! 訪問に行っている場合ではない! などとよく思ってしまうのだが、そういう追い詰められていたり弱っていたりするときにこそ、訪問先でタイミング良くお告げをいただけたり、癒やされたりする。
私や親の世代でも経験していないような、激動の日本を生き抜いてきた方々の言葉は重みがあり、説得力がある。お年寄りと接していると、日本人は本当に真面目で勤勉な国民性なんだと思う。私にもその血が流れている。同じようになんてとてもできないが、でももう少し頑張ってみても、それで潰れてしまうなんていうことはないはず! と思わせてくれる。
こうやって幸せな環境にいる、幸せな仕事ができていると冷静に考えれば思う。
そして、さらに幸せなこととして、極たまになのだが、担当している方から亡くなる少し前に感謝の言葉をいただくことがある。たまたまその方が改めて伝えておこうと思って言ってくださった数日後に亡くなってしまったのか、真相は不明ではあるが。また、亡くなったあとにお通夜へ参列したり、ご挨拶のために家族のもとを訪問した際に、もったいないほどの感謝のお言葉をいただけることもある。
その方の歴史の最後のほんのつかの間に、ひょっこり少しだけ登場でき、関わることができて、そしてたいした力にはなっていないが少しはお役に立てたのかもしれないと解釈して、それがまたこれからも頑張っていこうという活力になるから、あれだけ頻繁に「辞めたいなー、逃げたいなー」と思っていても続けられているのだと思う。
そして、こうやってお年寄りと関わるようになって後悔していることは、祖父母の歴史にもっと触れておけばよかったということ。
母方の祖父は私が30のときに92で、祖母は40のときに98でこの世を去った。
長生きしてくれたおかげで私はもっともっと祖父母との時間を作れたはずだったのに、社会人になってからは数年に1回程度しか会いに行かなかった。
私が知っている祖父母の歴史と呼べるものは、すべて二人が亡くなってから母や伯父や伯母から聞いたものばかりだ。
思い出はたくさんあるけれど、祖父母がどんな家に生まれてどう育ったのか、戦争中はどんな生活をしていたのか、祖父は出征してどんな体験をしたのか、結婚生活はどんな風だったのか、祖父母の子育て論、祖父の会社員時代の働き方、6人の子どもを育てあげ、孫がたくさん生まれてどう思ったのか……聞いてみたかったことが山ほどある。
大好きな祖父母から直接たくさんの話しを聞いていれば、今お年寄りと関わることで得られる学びや癒やしを上回るものを、本やYouTubeなんて足下にも及ばないリアルな体験、生の声をきっと得られていただろうに、そしてそれは私の血肉となり今の私の中に生きていただろうに……ととても残念な気持ちになる。
私は得られるはずだった貴重な体験を自ら放棄してしまっていたのだと、おじいちゃん・おばあちゃん孝行がぜんぜんできなかったことも含めて後悔してもしきれないのだが、お詫びと感謝の気持ちで空を見上げて、そして祖父母にできなかったことを他人にしたところで罪滅ぼしになるはずもないのだが、今日も仕事を頑張ります! と思ったりしている。
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