週刊READING LIFE vol.146

『競争』と『共創』《週刊READING LIFE Vol.146 歴史に学ぶ仕事術》


2021/11/08/公開
記事:河口真由美(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
木々に囲まれた山間の道路を、ひたすらマイナスイオンを浴びながら、車で走り続けると、雑木林の中に隠れるように存在する秘境に辿りつく。
熊本県の南小国町にある『黒川温泉』だ。
 
小さな里山の中には、渓谷を挟んで、同じような和風旅館が建ち並んでいる。
黒い屋根と格子に、からし色の壁を基調として統一された建物は、春夏秋冬どの季節にも絶妙にマッチしていて、それぞれの季節で、異なる味わいの風景を作り出している。
行先を教えてくれる黒い木製の案内板は、白い手書き調の文字で行先が記されており、一気に都会とは違う空間にいることを感じさせてもらえる。
生まれ育った景色とは違うけど、なぜかこの場所はとても懐かしく、とても居心地がいい。
 
温泉街を散策していると、
「次は、ここの旅館に泊まってみたいな」
「次は、ここの露天風呂にも入ってみたいな」
「次は、冬の黒川を味わってみたいな」
なんだかよくわかんないけど、気づけば「次は……」を連呼している自分がいる。
こんなにも不便な場所に位置していて、簡単に来れる場所じゃなくても、それでもやっぱりまた来たいと思ってしまう。
 
そう感じるのは、私だけではないようだ。
口コミを見ていると「何回行っても最高」「また行きたい」ということばをよく見かける。
実際に、国内の「もう一度行ってみたい温泉ランキング」では、毎年上位に入っているくらい、リピート率が高いのだ。
 
でも、そういえば……黒川温泉には客足が遠のき、多額の借金を抱えていた存亡の危機があったというのをなんとなく聞いたことがある。
本当なんだろうか? 今でこそSNSで世界中に情報発信できる時代になったが、何十年も前の時代に、九州の山奥の温泉地が、どうやってお客さんを呼び寄せて、全国的に人気な温泉地にまでなったんだろう?
 
気になって調べてみると、黒川温泉には、非常に興味深い歴史が存在していた。

 

 

 

黒川温泉は、江戸時代の中期に肥後細川藩のお殿様や、役人の「御客湯」として利用されていたが、「黒川温泉郷」としての歴史が始まったのは実際には戦後からになる。
1961(昭和36)年、6軒の旅館によって黒川温泉観光旅館協同組合(以後、旅館組合)が設立するも、黒川温泉の存在はほとんど知られていなかった。
 
そんな中、1964年、大分県の湯布院と熊本県の阿蘇という2大観光地をつなぐ山岳道路「やまなみハイウェイ」が開通したことによって、黒川温泉にもお客さんが流れてくるようになる。旅館もお客さんに合わせて、増築したり、新しい旅館ができたりしたが、その人気も一過性のものに終わり、黒川温泉に残ったのは多額の借金だった。ここから黒川温泉は経営が苦しい状態が続いていく。
 
しかし、これを乗り越えるきっかけを作った、ある1人の人物がいる。
 
黒川温泉が存亡の危機を迎えている中、唯一客足が途絶えない旅館があった。
それは創業120年の老舗旅館「新明館」だ。この「新明館」の主人であった、後藤哲也さん(以後、後藤さん)こそが、黒川温泉を変えるきっかけになった人だ。
 
後藤さんは、若いときから「立地の悪い黒川温泉に、どうやったらお客さんがきてくれるのか」を常に考え続けていた。軽井沢や京都など、全国の観光地を巡り、「人々が何を求めて観光に行くのか?」「何に喜びを感じているのか?」を観察し続けた。
 
商売とは、感動を与えること。
喜んでもらえるもの、感動できるものなら、宣伝しなくてもお客さんは来てくれる。
 
そう信じた後藤さんは、ノミをもって、旅館の裏山にある岩を掘り始めた。毎日仕事の合間にコツコツと一人で掘り続け、13年もかけて洞窟風呂を完成させた。
また、後藤さんは洞窟風呂だけではなく、景観も非常に大切にした。
旅館の裏山にある竹林を伐採し、つつじやシャクナゲなどの花を植え、露天風呂の周りに木を植え、景観づくりを行ってきた。
そんな「新明館」の評判は、口コミで広がり、低迷が続いている黒川温泉のなかで、「新明館」だけが客足が途絶えることがなかった。
 
この事態に、やがて他の旅館経営者たちが後藤さんへアドバイスを求めてくるようになる。後藤さんも景観や露天風呂のノウハウを教え、ここから少しずつ黒川温泉が変わり始める。
 
1986年、これまで温泉旅館を経営してきた世代に変わり、Uターンで黒川に戻ってきた若手経営者を中心に、旅館組合が再設立された。
旅館組合は、黒川温泉を「究極のふるさと」にすべく、組合の組織を「看板班」「環境班」「企画広報班」にわけ、黒川全体の景観づくりをはじめた。
「看板班」:統一感のない看板を撤去し、統一感のある共同看板を設置する
「景観班」:景観を整えるために、計算した樹木の選定や植樹を行う
「企画広報班」:入湯手形による露天風呂巡りを発案する
 
こうして、入湯手形や景観づくりが評判となり、多くのメディアに取り上げられたことで、黒川温泉は、押しも押されない大人気の温泉地となった。

 

 

 

私は何よりも、黒川温泉のコンセプトに心を打たれた。
 
『黒川温泉一旅館』
 
ひとつひとつの旅館は「離れ部屋」
そして、旅館をつなぐ小径(こみち)は「渡り廊下」
黒川温泉郷では、三十軒の宿と里山の風景すべてが「一つの旅館」
 
例えば、黒川温泉が評判になるきっかけになった『入湯手形』は、まさに『黒川温泉一旅館』の象徴のようなものである。
立ち寄り入浴料は、旅館によっても異なるが、1回500円前後だ。しかし、この入湯手形を使うと、手形1枚につき1,300円で、黒川温泉の旅館28か所の温泉の中から、好きな温泉を3か所入ることができる。
はじめて来たときは、なんて面白くて、お得なシステムなんだろう! と感動した。
何が何でも3か所めぐるぞ! と意気込んで、ホカホカになった顔を火照らせながら、露天風呂を巡ったのを覚えている。
 
この入湯手形が発案された経緯は、露天風呂で黒川温泉を売り出そうとしていたときに、立地の都合上、露天風呂のための敷地確保ができない旅館を救うためだったという。
自分の旅館の利益だけ考えていると、絶対に出てこないアイディアではないかと思う。
 
その他にも、黒川温泉には「すべての旅館で、共通の下駄を使用する」「転泊」などの『黒川温泉一旅館』を表す様々なサービスがたくさんある。
観光客として黒川温泉を訪れていた時は、便利で、楽しくて、ワクワクするサービスだと思っていたが、よくよく考えてみれば、競争相手である旅館同士が、ここまで協力し合うということは、すごいことなのではないだろうか。
 
『黒川温泉一旅館』というコンセプトは、フードイベントに似ているかもしれない。
同業者が集まって、同じ空間で、お客さんに向けて販売をする。
それぞれはライバルでありつつも、お互いのお店の商品を認め合い、来てくれるお客さんにおいしいものを食べてもらうために、一緒にイベントを盛り上げようとしている。
同じ目標を持った人たちが、競い合い、支え合っている空間というのは、熱気と優しさに包まれるからこそ、訪れる人たちを幸せにできるのではないだろうか。
 
黒川温泉には、『競争』と『共創』の2つの姿勢がある。
 
「個は競う。しかし、全体は一緒にやる」
 
それぞれの旅館で、お風呂や料理、おもてなし等に磨きをかけつつも、黒川温泉という地域全体のことは、ともに対話し、共に行動する。これをどちらかが多いではなく、半分半分でやる。
 
この考えが代々受け継がれ、黒川温泉で働いてきた人、働いている人みんなが、何世代にもわたってちゃんと守り続けている。そして、彼らには「黒川温泉という故郷を守りたい」「来てくれるお客さんに喜んでもらいたい」という共通した目標があるからこそ、時代が変わっても、災害にあっても、『黒川温泉一旅館』というコンセプトを貫き続けられているのだと思う。
 
私は会社勤めをして17年近くになるが、昔から会社の在り方は変わっていない。
会社として一つの目標を掲げたとしても、実際には、みんな自分の属する部署のことばかりが優先になってしまい、同じ方向を向いて、同じ目的のために行動ができているとは言えない。
 
そして、口に出るのは利益のことばかり。目の前の仕事に対する利益にばかり話が向けられるのだ。
 
会社として求められるのは利益を出すこと。
 
自分たちの部署がどれだけ利益を出せているか?
会社がどれだけ利益が出せているか?
 
利益、利益、利益、利益……
 
「企業だから利益を出すのは当たり前でしょう?」
そう言われ続け、私は何のために仕事をしているのかわからなくなってしまっていた。
お客様のために、もっとこうしたほうがいいんじゃないか? と思っても、利益を考えて何も言い出せなくなっていた。
 
私たちの会社が、いくら一つの目標を掲げても、みんなが同じ方向を向けていないのは、自分たちの利益にばかり目を向けているせいなのかもしれない。そこにばかり目を向けていると、本来の目的を見失ってしまうじゃないんだろうか。
 
一度、原点に戻って考えてみたい。
 
私たちの会社がお客様のためにできることは何なのか?
お客様が本当に求めていることな何なのか?
私たちの業界をどうしていきたいのか?
この業界の中で、私たちの会社はどうありたいのか?
何のために仕事をしているのか?
 
他社と競争し合うことで、確かに会社としての成長につながるかもしれない。
会社の利益も出るかもしれない。
でも、その業界全体で見たときに、果たしてその成長は長く続くのだろうか?
その成長は、本当にお客さまのためになっているのだろうか?
黒川温泉のように『競争』と『共創』があって、はじめて本当の成長ができるではないかと思う。
 
最後に、黒川温泉復活のきっかけを作った後藤さんのインタビューの言葉を紹介したい。
 
「黒川温泉の評価は、一軒だけでは決まらないんですよ。黒川全体が感動と喜びを与える町でないと、お客さんは来てくれないし、街のみんなの気持ちが一致しないと地域は発展しない」
(くまもと面白漫遊記~杉本広報副委員長のおすすめのこの町・この人~より)
 
 
 
 
参考文献
・黒川温泉のドン後藤哲也の「再生」の法則(2005):朝日新聞社 後藤 哲也
・漫画 黒川温泉新明館 柴田敏明
・黒川温泉HP
https://www.kurokawaonsen.or.jp/
・くまもと面白漫遊記~杉本広報副委員長のおすすめのこの町・この人~
kumaken.or.jp/files/libs/69/201406281613267751.pdf
・第26回 住んでよし、働いてよし、訪れてよしの「ふるさと」を目指して。御客屋の社長が語るこれからの黒川温泉
https://rlx.jp/journal/kyushu/143627
・黒川温泉におけるまちのブランド化からみた景観形成過程に関する研究
repository.kyusan-u.ac.jp/dspace/bitstream/11178/8003/1/kenchikutoshi2-3.pdf
・黒川温泉における雑木植栽による修景の展開過程とその技法
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jila/81/5/81_489/_pdf/-char/en
・過疎の黒川温泉はなぜ全国ブランドとなりえたのか? (出家健治教授・遠藤隆久教授 退職記念号)
https://kumagaku.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=3586&item_no=1&page_id=33&block_id=47

□ライターズプロフィール
河口真由美(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県在住。システムエンジニアとしてIT企業に17年間勤務。
夢は「おばあちゃんになってもバリバリ働いて、誰かの役に立ち続けること」
40歳で人生をリニューアルスタート。ライティングをはじめ、新しいことにチャレンジしながら夢に向かって猪突猛進中。

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2021-11-08 | Posted in 週刊READING LIFE vol.146

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