海にある希望《週刊READING LIFE Vol.147 人生で一番スカッとしたこと》
2021/11/15/公開
記事:赤羽かなえ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
※このお話はフィクションです。
海には絶望しかないの。
彼女はつぶやいた。
中瀬海岸は、ほぼ正面に日が沈む。
ほぼ、といったのは、目の前には島があるからだ。その島の先端が手を伸ばしたようにのびていて、島の先のあたりの海に吸い込まれていく。
そんな夕暮れが美しい海岸の街で暮らして3年が経とうとしている。
学校帰りに自転車に乗りながら、日没を眺める季節になった。秋が駆け足で去ろうとしていて、夜闇が迫る時間が早くなった。
砂浜を赤く照らしている景色には目を奪われる。思わず、自転車を停めて防波堤によじ登った。同じ中学校の生徒か近くの高校生が騒ぎながら群れて移動していく様子が影絵のように見える。
その中で一人、女の子だろうか、袋を下げながらかがんだり、起き上がったりしながらゆっくり、ゆらゆらと動いていくのが見えた。
不思議な光景だった。クリスマスにしては気が早いが、サンタが袋を抱えて歩いているようにも見える。
あわてんぼうが過ぎる華奢なサンタクロースは、こちらに近づいてきた。逆光で影にしか見えなかったその姿が、近づくたびに人の形になっていく。サンタクロースは、同級生だった。
「金井さん!」
話しかけてから、ちょっと後悔する。ただ同級生というだけで話しかけても気まずいだけなのに。
金井優希とは確かに同級生だけど、出身小学校も違ったし、今まで話しかけたことも、話しかけられたこともなかった。
金井さんは、時々遅刻をしたり、午後からふらっと下校してしまうような子だった。だからといって授業中に騒いで先生達に目をつけられるというタイプでもない。特に仲の良い友達がいるわけでもないが、それを苦にしているわけでもなさそうで、窓の外を眺めているか本を読んでいるかという感じだった。
「え、クラスの人……?」
「高樹雅也。同じクラスなんだから覚えておいてよ」
あきれたように返しながら、内心では、少し会話が続いたことにホッとしていた。
「金井さん、一人で何していたの?」
「ああ、ゴミ、拾ってた」
「え? なんで?」
思ってもみない答えが返って来て、つい聞き返してしまった。
「なんでって、ゴミがあるから」
「へえ、なんか、意外」
「なんで?」
そう言われて自分の失言に気づいた。
金井さんがゴミ拾いしそうな感じがしなかった
金井さんって正義感が強いんだね
その他いくつか返事を考えたけど、そのどれもが金井さんに対してなんとなく抱えていたあまり良くない印象を反映していた。
「金井さんってキレイ好きなんだなあと思って」
考えに考えた後で返事をした割に、間の抜けているなと思う。
「別にキレイ好きなわけじゃない」
金井さんは、それを特に気にした風もなく淡々と答えた。
「ただ、裸足で海岸を歩けないのが、ムカつくだけ。海には絶望しかないの」
じゃあ、とつぶやいて彼女は去った。
抑揚のない声で海には絶望しかないのとつぶやく乾いた声が妙に刺さった。
私がゴミを拾うようになって何年たっただろうか。
海で遊ぶ同年代の人達が声を上げながら戯れている横で私は黙々とゴミを拾い続けた。もしかすると同級生もいるのかもしれないけど、普段からあまり関わらないのでよくわからない。そんな私の姿を物珍しそうに眺めて、なんでそんなことするのと聞いてくる人もいる。「ゴミがあるから」と返事をすると「ふーん」とつぶやくだけで、それ以上詮索されることはない。
そもそも私がこの海岸を掃除しようと思ったのは、環境問題に興味があったわけでも誰かに褒められるからでもない、小学6年生の時に海岸を裸足で歩いていたらガラスで足を切ったからだ。ムカつく、海岸くらい裸足で歩きたいのに。その時に、目の前に沢山のゴミがあることに気が付いた。
誰が捨てたのか、どのぐらい放置されていたかもわからないが、電球を踏んだようだ。私の血が砂の中に吸い込まれていく横で、粉々に砕けた破片が散らばってキラキラと輝いていた。 私はチッと舌打ちをしてそのガラスの塊にケリでも喰らわせてやろうかと思ったけど、ますます傷が深くなるだけなのでじっと我慢するしかなかった。
持っていたハンカチで足を縛り、上から無理やり靴下を履いた。そこら辺に転がっていた買い物用のビニール袋にその電球を捨てようとしたら、袋の持ち手が崩れ落ちてパラパラと砂のように散った。何これ。少し呆然としながらも、別の厚手の袋のゴミに、私の足を傷つけた電球やらそこら辺のゴミを詰め込んだ。たったの5分でその袋はいっぱいになった。それでもゴミは拾いきれなくて、腹が立つから、海に来るたびにゴミを拾うようになった。
中学2年になっても、学校生活は相変わらずだ。怒られない程度に学校に行って、文句を言われない程度に勉強をし、面倒くさくなったら下校する。このままあと1年半くらいしたら、そこそこの高校に進学して、同じような生活を繰り返して、そのうちに大人と呼ばれるようになるんだろう。誰も私のことなんか気にしないし、私も誰のことも気にならない。別にそれで良かった。
いつものように帰宅途中に海岸に寄って、持ってきた袋を出し、ゴミを拾い始める。最初のうちは、それを持ち帰ると、親に嫌な顔をされた。「分別していなかったらゴミに出せないじゃない」そう言われてひどく困ったから、それ以降は、翌日のゴミの日に合わせて、燃えるごみを拾う日、燃えないゴミを拾う日を決めた。家に入る前に親の目につかないようにゴミ置き場に捨てている。
海岸には様々なゴミがある。 100円ショップの品揃えかというほどにバリエーションも豊かだ。 ペットボトルや栄養ドリンクの空き容器は海水が入っていたり、中身が残っていたり、時にさびて蓋が空かないものもあって意外と始末が面倒だ。プラスチックはバラバラと砕けてどうしようもない。今までに見た一番大きいものは、キングサイズのマットレスで、ここに運ばずに大型ゴミの処理場に運んだって変わらないだろうに訳がわからないと思いつつ、いまだに放置している。
岩場の隙間はゴミのたまり場だ。はさまりこんで取れなくなったペットボトルの蓋、釣り針が絡まっていて、ヘタするとこちらが釣られそうだ。先日は使用済みのコンドームが放置されていた。そこに転がっている意味がわからない年ではない。まあ使っているだけマシだけど、自分達で始末できないなんて死ねばいいのにと毒づきながら、馬鹿どもの快楽の残骸を拾い上げる。
本当に同じ人間がやっているのかと思うと人間であることが情けなくなるけれど、おエラい人から見たら、授業をサボって時々海をふらふらしている私だって、きっと五十歩百歩なんだろう。
そばでは、もう冬になろうとしているのに、水風船を投げ合っている男子がいた。あの割れたゴミもまた拾わなきゃ、そう思いながら舌打ちした時に、防波堤の方から手を振って声をかけられた。
「金井さーん!」
同級生が立っていた。正確に言うと、先日話しかけられて、同級生であることを知った。名前は、タカギだったか。ピンクの塊を抱えてこちらに走って来る。
「あのね、知ってた? ゴミ拾いするのに、ボランティアのゴミ袋があるんだって。ゴミ拾いする時に申し出て、場所を指定しておいたら、回収に来てくれるんだって!」
毒々しいピンクの袋を嬉しそうに差し出す。
「え、別にいいんだけど、私、ボランティアをしたいわけじゃないし」
「でも、いつも、ゴミを持ち帰っているんでしょ? それって大変じゃん。分別しないといけないし。使えるものは使ったらいいんじゃない?」
どぎついピンクの袋を受け取るべきか、突き返すべきか戸惑う。なんだ、こいつは。他の人は、ゴミ拾いをしているって言ったって大した興味もなくすぐスルーされるのに、なんでいちいち絡んでくるの。
「なんか、金井さんとゴミ拾いっていうのがピンと来なくてさ、家に帰ってからYouTubeで色々見てみたんだよね。そうしたら、日本人の環境活動家っていう人の動画見てすごくびっくりしたんだ」
「だから、私は、ただ砂浜を裸足で歩きたいからゴミ拾いしているだけで、環境活動とか別に興味ないんだけど」
「まあ、金井さんはそうかもしれないけど、俺はその動画を見て、自分にできることはしたいなって思ったわけ。それで、昨日、実際にゴミを拾ってみたら、瓶には液体が溜まっているし、ライターとかどうやって捨てたらいいかわからないし、困ったなあって思っていたんだよね。そうしたら、近くのお店のおっちゃんがたまたま通りかかって、ボランティアのゴミ袋をくれたんだよ。そのお店の人に声かけたらいつでもくれるし、ゴミの処分もしてくれるって。掃除しないとすぐゴミがたまるのはわかっているけど、なかなかお店も留守にできなくて困っていたから助かるんだって」
「じゃあ、あんたが一人でやればいいじゃん」
別にタカギにムカついているわけじゃなかった。でも、今までそんな風に関わってくる人がいなかったから、正直すごく戸惑って、どんな反応をしたらいいかわからなくて、つい声がとがる。
「なんで? だって、金井さんもゴミを拾っている、俺もゴミを拾う。同じことしているのにどうして別々にしないといけないの?」
こいつ、なんでこんなに食い下がるんだ。
そう言えば、学校でもタカギの周りにはいつも人が集まっていた。私の対極にいるような人なんだろう。なんでも首をつっこんできて、私にとっては面倒でしかない。
とりあえず、渡されたピンクの袋を使うことにした。確かに、翌日のゴミのことを考えずに拾っていけるのは楽だし、置いて帰れるならありがたい。ゴミ拾いはずっと話しながらするものでもないからタカギと一緒にやっても悪くはないのだが。
でも、なんだか居心地が悪かった。ずっと淡々と続けてきたのに、それがいきなり乱されて落ち着かない。
ピンクの袋がいっぱいになり、次の袋をもらおうと顔を上げるとタカギはいなくなっていた。なんだ、もう帰ったのか。持ってきた袋にもう少し拾って帰ろうか。そう思った時に桟橋の向こうから「金井さーん」と呼ぶ声が聞こえた。
「ねえねえ、ちょっと来て。ちょっとこっち手伝ってくれない?」
桟橋の先には行ったことがなかった。こちらからは塀があって見えない。近づいて上からみると、その下には、発泡スチロールの破片で覆われて一面真っ白だった。
「これ、手じゃ拾いきれないから、お店の人にチリトリ借りて来るわ。金井さん、ペットボトルと瓶を先に集めておいて」
なんで、指図されなきゃいけないんだ、ちょっと不満に思ったけど、今まで、こちら側まで来たことがなかったから驚いた。こんなの絶対に片付かない、また絶望的な気持ちになりながら、新しい袋にペットボトルを拾い集め始めた。
海には、絶望しかない。
中瀬の海岸だけでこんな有り様なんだ。世界中の海がきっとゴミに埋もれている。私がたった一人で拾ったところで何にもならないのに。
なんで、こんなことをしているのだろう。どうせ私が拾っても、明日には増えている。私はただ、裸足で海岸を歩きたいだけなのにちっともキレイにならない。
「金井さーん、ごめん、時間かかっちゃった! チリトリ!」
タカギがチリトリを4つ持ってきた。
「ほら、これで、すくってゴミ袋に入れたら早いだろ? それと、沢山ゴミ袋もらってきた。頑張ろう!」
「あのさ、私、ここは歩かないからやらなくてもいいんだけど」
「もう、めんどくさいな、金井さんって。とりあえずやろうよ。ここ、キレイにしようぜ」
タカギは、黙々とチリトリでゴミをすくっては袋に入れていく。5分ほどで45リットルのゴミ袋がいっぱいになっていく。そんなことを黙々と2人で作業してしばらくすると、
「マサー、あっち片付けてきた、うわ、なんだココ!」
さっき、水風船で遊んでいた2人組だった。
「水風船の残骸、片付けたか?」
「片付けたって。金井さん、ごめんな、いつもゴミを片付けてくれているって。帰ろうとした時に、マサに、そのままにしていたら、金井さんが片付けてるんだぞってスゲー怒られて、全部拾ってきたから」
どうやら彼らも同級生だったらしい。
「いや、私は……」
「砂浜を裸足で歩きたいだけなんだよな」
タカギが先を言うから、何も言えなくなって首をすくめた。
「よし、ここ、今日、片付けちゃおうぜ」
「ええ、できるの? それ?」
もう、日没まで、30分ほどしかなかった。4人でチリトリを片手にゴミを集めたら、あっという間に30袋のゴミを拾った。それでも、白い海は半分くらいしかキレイにならない。
「うわー、悔しいな。また、ここに集合な。明日こそ終わらせようぜ」
「でも、なんだよ、ひどすぎないか、これ。不法投棄禁止って、目立つように書こうよ」
「さっき、水風船の残骸を不法投棄しようとしていたやつが、なに偉そうなこといっているんだよ」
タカギのツッコミに2人がバツの悪そうな顔をする。
「でもこれ、不法投棄だけじゃないんだって。袋くれたお店のおっちゃんが言っていたけど、牡蠣の養殖で使われる発泡スチロールがどんどん流れて来るらしい。牡蠣の値段を安くするために安い資材を使い捨てるしかないんだろうなあって」
「うち、じーちゃんが牡蠣の養殖場で働いているけど、そんなの知らなかった」
「知らなかったことを知るって大切なんだって。YouTubeで見た環境活動家がさ、絶望的な状況だけど、希望しかないって言っていたんだよ。多分、俺たちより沢山のことを知っていて、もっと絶望しているだろうけど、子供達が知ることが希望なんだって言ってた。だから、海には絶望しかないけど、俺達がやっていることは希望なんだよ」
「タカギ、明日も来るの?」
「もちろん、ここ、やらないと、悔しいもん、な?」
「おう、明日、帰りヒマそうな奴ら連れてこようぜ」
空には大きな三日月があがっていた。細いけど、強く光り輝いていてまぶしかった。
思い切り冷たい空気を吸った。吐く息が少し震える。
「じゃあ、また、明日」
海には絶望と、ほんの少しだけ希望がある。
気持ちが妙にスカッとし過ぎて、ちょっと居心地が、悪かった。
□ライターズプロフィール
赤羽かなえ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
自称広島市で二番目に忙しい主婦。人とモノと場所をつなぐストーリーテラーとして、自分が好きなものや人が点ではなく円に縁になるような活動を展開。2020年8月より天狼院で文章修行を開始し、身の上に起こったことをネタに切り取って昇華中。足湯につかったようにじわじわと温かく、心に残るような文章を目指しています。
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