週刊READING LIFE vol.149

ばあちゃんのワカメスープ《週刊READING LIFE Vol.149 おいしい食べ物の話》


2021/11/29/公開
記事:赤羽かなえ(READING LIFE編集部公認ライター)
※コノオハナシハフィクションデス。
 
 
口からこぼれ落ちた言葉は決して消えない。
形がないから、片っ端からかけらを集めることすらできない。
 
聞いてしまったばあちゃんも、言ってしまった私も、飛び散った言葉の破片に傷つけられる。
ずっと、ずっと。

 

 

 

私は、ばあちゃんっ子だった。
 
共働きの両親はいつも帰りが遅かったから、保育園の送り迎えも学校の授業参観もみんなばあちゃんの仕事だった。ばあちゃんの漕ぐママチャリの後ろは私の指定席だ。夕方に近い時間帯にばあちゃんが丹精込めて育てていた畑に寄って、その日に食べる野菜を引っこ抜いて帰る、そんな日々が永遠のように続いた。
 
ばあちゃんが、三食の世話をしてくれるのが私の日常だった。私が風邪を引くと、ばあちゃんは、スープを作ってくれる。鶏の手羽を買ってきて出汁をとり、沢山のわかめとねぎと溶き入れた玉子を入れて飲ませてくれた。目は半分閉じて、味覚もおぼつかない、においも感じない。熱いスープをふぅふぅとしながらすする。
 
湯気にあてられながら、時には舌に鈍いやけどをしながらも少しずつ飲み進めるスープがなんとも美味しかったのだ。
 
じんわりと汗をかきながら飲み干した。
 
「布団かぶって、早よ寝れ」
 
ばあちゃんとじいちゃんは、私が生まれる少し前に田舎の家を引き払って、うちに引っ越してきたらしい。いまだに、方言をそのまま使い続けたから、私にとってはそれが当たり前で、学校で笑われることもあった。それは嫌だったのだが、熱でぼんやりしている今は、方言交じりでちょっときつく聞こえるばあちゃんの言葉がとてもやさしく温かく響いていた。
 
ばあちゃんのスープを飲んで寝たら、夜中にはぐっしょりと汗が出る。かいた汗の気持ち悪さに目を覚ましてもぞもぞと動くと、決まってばあちゃんが部屋に入ってきた。てきぱきとパジャマを着替えさせてくれる姿は、魔法使いのようだった。なんで汗をかくタイミングがわかるか、いつも不思議だった。でも、ゆめうつつなので、そのままぐっすりと寝てしまう。そして、次の日の朝、たいてい元気になっていた。
 
朝は、ばあちゃんのスープを張り切って2杯おかわりをする。昨日は感じられなかった味も、香りも、湯気ごと体いっぱいに吸い込む。口からだけでなく、上半身のありとあらゆる穴からスープの旨味を吸い上げるようにがぶがぶと飲み干した。口の中に残ったワカメをかみ砕いてゆっくりと飲み込む。
 
「すっかり、元気だに」
 
ばあちゃんはにっこりと笑い、私もまた、大きくうなずくのだった。
 
でも、高学年になるにつれ、ばあちゃんが日常に関わることがちょっと恥ずかしくなった。周りのお母さんたちは若いのに、私を見に来るのは、ばあちゃんだ。ばあちゃんが、昔、地元で吉野小町と呼ばれるほど美人だったと自慢していても、所詮過去の栄光だ。来てほしくないから、授業参観のお知らせを出さないで、後から怒られることもあった。
 
遠足のお弁当だって、色とりどりのおかずに囲まれたカラフルな友達のお弁当箱がとても羨ましかった。私のお弁当箱は、おかずを保存しておくようなおよそ弁当箱らしくない容れ物で、キャラクターの絵もかいていない無骨な代物だった。味は美味しいけれど、何から何まで古くさいことに嫌気がさしていた。蓋をあけると、茶色の煮物や青菜の炒め物や、白いごはんに真っ赤で大きい梅干しをつけたのが堂々とのさばっていて、かわいいピックや色とりどりのお弁当カップの代わりに、爪楊枝や銀色のカップが入っていた。周りの友達と見比べてはため息が出て、高校になってから、お弁当を自分で作るようになったのは、ばあちゃん孝行のためではなく、ひとえにかわいいお弁当を作りたいからだった。梅干しは大好きだったけど、家で食べることにして、プチトマトに替え、カップもカラフルに、スーパーで買った冷凍食品も入れてみた。お弁当は、ばあちゃんが作ってくれたものが断然おいしかったけど、美味しさよりも見た目が優先だった。
 
「煮っころがしはいらんかに?」
 
畑でとれた大きな里芋の煮っころがしを入れるスペースはお弁当箱にはなかった。
 
「いらない」
 
そっけなく返事をして、お小遣いで買った小さな弁当箱をカラフルなランチクロスに包んで、行ってきますと家を飛び出す。
 
冬の朝は空気が冷たい。田んぼの刈り取りが終わった道は遮るものがなくて容赦なく風が吹きつけて来た。
 
寒さに首をすくめながら、自転車をこぐ。真っすぐの道を進みながら思い描く。私は、結婚したら専業主婦になろう。そして、子供にはかわいくて美味しいお弁当を作ってあげよう。授業参観も精一杯オシャレして行くんだ。ばあちゃんのことは大好きだけど、私は、自分がしてもらえなかったものに大きな憧れを抱いていて、それを実現させたかった。
 
私は、短大の栄養科に進んだ。弁当作りをしながら、料理やお菓子作りが好きなことに気づいたからだ。それでも、高校生の時に思い描いていた専業主婦への思いが強かったのだろう、就職したあと、営業先の会社の跡取り息子に気に入られて結婚することになった。
 
その会社は、健康食品を扱っていて、義実家の家族は、食材の質にもこだわっていた。米や野菜は有機栽培のものを、塩や砂糖、しょうゆなども製法にこだわったものを、石鹸や洗剤までちゃんと選択すること、色々教えてもらうことは、何もかも目新しくて話を聞いても楽しかった。
 
そうやって食生活をかえると、社会人の時に長年悩まされていた吹き出物もなくなったのだ。今までの実家での生活がとても劣っているように見えた。
 
嫁いで2年目に子供を授かった。どちらにとっても初孫で両家共に大騒ぎだった。話し合った挙句、実家に里帰りして出産するのが負担も少ないだろうということになり、臨月から戻ることになった。
 
ばあちゃんは80を超え、だいぶ足腰も弱くなっていた。腰を痛めて畑をやめてから元気がなくなった、と母が言っていた。家での料理は母が作るようになっていたが、あまりにも出来合いのものを多用するので、結局、私が作るようになった。働きながら、夕飯の準備は難しいから仕方がない。お腹が張るのをなだめつつ、これじゃあ、里帰りしない方がよほど気は楽だな、と思いながら日々の炊事をこなしていた。

 

 

 

「絵美、子供はどうか? 手と足の指は5本ついているかに?」
 
退院して戻った、第一声のばあちゃんの声に思わずカチンと来た。
 
「大丈夫」
 
ぼそっと返事をしながら、布団の敷かれた和室に移動する。病院から実家に戻るだけでひどく疲れた。
 
「人と違うとみじめだに、よかったな」
 
ばあちゃんが安心して、ホッとした表現なのは重々承知していた。でも、ばあちゃんの言葉は、私の心のトゲになった。
 
私が生む子に条件をつけるわけ? 我が子を見つめながら、存在するだけでありがたいのに、周りの人間はどうしてとやかく言うんだろう。部屋の戸を閉め、赤ちゃんと二人きりでいるときが、一番心が休まった。早く、家に帰りたい……布団に身を埋めながら、涙が止まらなくなった。
 
目を覚ました時には、懐かしい香りが漂ってきた。これは、確か……小さい頃にばあちゃんが炊いてくれたワカメスープの香りだ。
 
鶏の手羽で出汁をとって、沢山のわかめとねぎと溶き入れた玉子、懐かしくて嬉しいはずだった。それなのに、さっきのばあちゃんの言葉が頭の中に戻ってきて、いい香りよりも心のムカムカの方が先に立った。
 
「絵美、起きたら、スープ飲め」
 
ばあちゃんが、扉越しに声をかけてきた。なぜ、ばあちゃんは、私が起きているのがわかるのだろう。重い扉を開け、居間に出た。ばあちゃんは、腰を叩きながら、スープをたくさん入れた。
 
「あち」
 
「焦んな。やけどするに」
 
ばあちゃんが、のんきに言う。
 
まだ、嫌な気持ちがぬぐえなかった。後で振り返れば、あれがマタニティブルーというやつだったのかもしれない。とにかく、あの時は、ばあちゃんに対して腹が立っていた。でも、さっきのことに対して腹が立ったのだと直接言えばよかったんだ。なのに、私の口から出てきたのは全く別の言葉だった。
 
「ばあちゃん、この鶏、ちゃんとしたお店で買っている? お肉って気をつけないと、育てるときに色々な薬を使っているみたいだから、ちゃんとしたものを使ってよね」
 
ばあちゃんは、その時にどんな顔をしていただろうか。
 
もう、私には思い出せなかった。しまった、と思っても後の祭りだ。
 
ばあちゃんは、しばらく黙って、私の手元のお椀を見つめていた。
 
私は必死で何かフォローする言葉を探した。とても、おいしいよ。懐かしい味がする。ばあちゃんのスープは何事にも代えがたくて私のかけがえのない味なのに。
 
私の口よ、なんか、しゃべってくれ!!!!!
 
余計なことには滑らかに口が動いたのに、そこから先の言葉は出てこなかった。
 
私は黙ってスープを飲み干した。
 
ばあちゃんは、いつもなら促すおかわりを言い出さなかった。私も、おかわりとは言えず、黙って部屋に戻った。
 
それ以降、里帰りしている間、あのスープが食卓に上ることはなかった。それでも、ばあちゃんは、昆布といりこで出汁を取った味噌汁を毎日出してくれた。梅干しも、らっきょうもまだちゃんと手作りしていた。どれもこれもばあちゃんの味だった。
 
里帰りで帰るまでに、ばあちゃんには、謝ることができなかった。
ばあちゃんの愛を正論で踏みにじってしまって、でも、間違ってはいないからこそ、謝れなかった。
 
でも、謝れなかったことを一生後悔している。
 
里帰りから家に戻って1か月後、ばあちゃんは、死んだ。
 
本当に苦しむことなく、旅立ったという話だった。
 
毎日、毎日、絵美の赤ちゃんが元気に育っているから嬉しい、麻子という自分の名前から一文字取って、絵麻という名前をつけたんだと誇らしげに話していた、と母は言っていた。「私にも麻という字は入っているんだけど、それも言うのもはばかられるくらいの自慢ぶりだったのよ」母が目を真っ赤にしながら私に教えてくれた。
 
お葬式で骨を拾いながら、私の投げつけた言葉のカケラを探した。あの言葉のカケラをどうにか、ばあちゃんから取り除いて、楽にしてやりたかった。
 
ごめん、ごめん、ばあちゃん、ごめん。
泣きながら私は骨を拾い続けた、次の人に回しなさいと母にたしなめられても私は、骨を拾い続けた。

 

 

 

あの時に、気まずくても、なぜ、おかわりをしておかなかったのだろうか、「ばあちゃん、あのスープ作ってよ」ってお願いしなかったんだろう。なんで、ばあちゃん、あっさり死んじゃったんだよ。
 
絵麻が熱を出した時に、思い出しながら、スープを作ってみる。
 
手羽先をさっと湯通しして表面の汚れを落とす。そこからコトコトと手羽の出汁が出るように2時間くらいかけてコトコトと炊く。時々水を差しながら。あまり煮立たせてしまうとスープが白く濁ってしまうから。
 
出汁が出たら、塩と醤油で味をととのえて、わかめとねぎと溶いた卵を流し入れる。卵液がスープの中で踊りながら固まっていく。味を見ると美味しいんだけど、いつもなんだか一味足りない。ばあちゃん、いつも物足りないんだよ。ばあちゃん、何入れてたの、ねえ、教えてよ。
 
カウンターに置いた笑顔のばあちゃんの写真に言葉を投げても、一向に返事は返ってこない。
 
「まま……」
 
絵麻が来た。
 
「スープ、飲める?」
 
こくり、と、うなづく。
 
「あちい」
 
「ちゃんと、ふーふーしてね」
 
ふーふーというだけで、一向に風が当たらない絵麻の仕草がたまらなく愛おしい。顔は赤く、まだぼんやりしていそうだ。お椀をとってふき冷ましてから、もう一度置く。こんどは美味しそうに飲み干した。
 
「おいちい」
 
「よし、じゃあ、寝ようか。きっとこれから汗かいて、明日には元気になるよ」
 
絵麻を抱き上げて、寝室まで連れて行く。きっと彼女は夜中に汗をかく。それで、パジャマが気持ち悪くなって起きる時、私も不思議と起きるのだ。着替えれば明日の朝には元気になっているだろう。
 
ばあちゃんがしてくれたことを、娘にもしているよ。
私にとっての命のスープ。ちゃんと絵麻にも伝えていくから。
だから、なにが足りないのか、夢でもいいから教えてほしよ。
 
そして、あんなことを言った私のことも、どうか笑って許してほしい。
 
写真の中のばあちゃんがゆらっと笑ったような気がした。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
赤羽かなえ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

自称広島市で二番目に忙しい主婦。人とモノと場所をつなぐストーリーテラーとして、自分が好きなものや人が点ではなく円に縁になるような活動を展開。2020年8月より天狼院で文章修行を開始し、身の上に起こったことをネタに切り取って昇華中。足湯につかったようにじわじわと温かく、心に残るような文章を目指しています。

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2021-11-24 | Posted in 週刊READING LIFE vol.149

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