週刊READING LIFE vol.149

家飲みワインで食卓を楽しもう《週刊READING LIFE Vol.149 おいしい食べ物の話》


2021/11/29/公開
記事:笠原 康夫(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
コロナ禍は世の人々の生活スタイルを大きく変えた。我が家にも変化があった。新しく増えたことがある。
それは家飲みワインだ。毎晩のように1時間半から2時間くらいゆっくり時間をかけて夕食と共にワインを晩酌する習慣ができた。その理由は妻の影響だ。
 
コロナ禍の2021年3月頃、ホテルの飲料部門で働く妻は、ホテルの営業自粛の影響を受け、自宅待機の時間が増えた。しばらくやることがなく困っていた。悩んだ挙句、一念発起し、ワインのソムリエ資格を取得すると言い出した。以前から漠然と関心があったが、自宅待機の時間を活用して勉強を始めるらしい。当初は、思いつきだろうと思っていたが、翌日にはワインスクールの受講料を振込んでいた。もしかして本気かも? かつて妻が本を読む姿や、勉強する姿を見たことがなかった。

 

 

 

私は、以前からワインに対してある種の偏見を持っていた。
ワインは、高くて敷居が高い、奥が深くてわからない。だから選ぶ基準がわからない。かしこまった店での作法も面倒でワインを遠ざけてきた。普段は味も価格も明朗なビールやウイスキーを好んでいた。
 
毎週末、ワインスクールに通い始めた妻は家でも暇さえあれば、机に向かってテキストを転記しながら筆記試験の勉強に精を出した。
ソムリエの試験は3段階。まず1次試験は筆記試験。2次はテイスティング、3次は実技。3つの関門がある。年々難しくなってきており、合格率は30%台。独学では合格が難しく、スクールに通いながら、家でもみっちり勉強する必要があるとのこと。
確かに、生半可な気持ちで取り組んでも合格できるものではなさそうだ。ただ、内心は妻の今の実力で簡単に合格するものではないだろうと思っていた。
ただ、やる気になっている妻の姿を見て、一肌脱いで応援しようと決めた。
 
妻の勉強は毎日続いた。気づくと食卓が学習テーブルと化していた。
筆記試験の対策は受験勉強並みにノートいっぱいにとにかく書いて書いて書きまくっていた。
地域、品種、歴史、地理、気候、栽培方法、醸造方法、味覚……ととにかく奥が深い。
覚えることが満載だ。分厚いテキストや演習問題集を見るとぞっとするほどの内容量だった。
 
1か月後、なかなか頭の中に入らないと愚痴をもらし始めた。
受験勉強の要領を思い出した。記憶したことは新鮮なうちに、反復学習したほうが脳に定着する。覚えたことをアウトプットすることで効率を上げるべきだと思った。
そこで私が毎日、妻が覚えたことを聞き役になることにした。
並行して、テイスティングの勉強も必要だ。試験ではワインを飲んで国名、品種、外観や香りや味わいの特徴を答える難関とのいえる内容だ。
 
そこでテイスティング対策として食卓にワインも用意した。ワインを飲みながらその日、学習したことをアウトプットすることで1次と2次試験を一石二鳥で対策するという算段だ。
 
こうして毎晩のように、二人三脚の食卓ワイン会が始まった。
毎日の食卓を囲む時には料理にはワインを用意する。ビールやハイボールがこの日からワインに置き換わった。とは言っても平凡なサラリーマン家庭である。高級ワインが並ぶわけではなく、手が届く範囲の価格のワインを中心に用意した。家飲みは店で飲む値段の半分から3分の1程度で飲める。コロナ禍で飲み会が無くなった分がこの食卓ワインに代わった。長続きできるよう、普段どおりの料理を用意した。
 
ワインを飲みながら出題されそうな品種を中心にテストをしながら食事することが恒例となった。
「今日のこの焼き魚に合うワインありますか?」
私がお客さん役を演じる。
ソムリエ役の妻が応ずる。
「この淡白な白身の魚でしたら、この早飲みの白ワインが合います」
「ちなみにどこの国のワインですか?」
「こちらはニュージーランド産のソーヴィニヨンブランになります。華やかで新鮮なフルーティな香りが特徴です」
……といった具体に。
 
周囲から見せるには恥ずかしい猿芝居のようだが、ソムリエ試験に向けて楽しみながら学びを続けた。
私はワインのことは何も分かっていなかったが、分かったふりをしてひたすら家飲みワインに付き合った。
 
こうして、夫婦なりに食卓でワインを楽しむこと数ヶ月。自然と楽しみながら学ぶコツが見えてきた。
そのコツとは3つ。
1つ目は、発見や出会いを楽しむこと。
2つ目は、体験しながら楽しむこと。
3つ目は、ワインと食事との相性を楽しむこと。ワインの世界でいうペアリングだ。
 
1つ目の発見や出会いとは、それぞれのワインの個性を受け入れること。ワインは幅広く、奥が深いため、いつも新しい出会いの連続だ。
ワインを理解しようとすると国、地域、品種にはじまり、その地域の歴史や地理、気候、そして葡萄の栽培方法から醸造方法、ワイン自体の味覚、そして、なによりも食事との相性まで多岐にわたる。
毎日、どんなワインに出会えるか、人との出会いと同じように相手はどんな特徴なのか、自分と相性が合うのか、いろんな視点で味わってみた。
 
妻は食卓でその日のスクールで学んだことを語る。
「ワインは完全体と言われるんだよ。日本酒は米に酵母や水を混ぜて発酵させ、醸造するでしょ。ワインは基本的に何も混ぜずに葡萄の果実だけで発酵させる、だから完全体と言うの」
ワイン作りは、麦酒、日本酒、ウイスキーなどのように複数の原料を混ぜたり、発酵を促す原料を注入したりしない。原則、葡萄のみで作る。葡萄を発酵させて熟しただけ。シンプルな製法であるが故、奥深さがある。他の混合物で調整しない。要はごまかしがきかないのだ。葡萄作りから醸造の全工程に至るまで、すべての条件が上手く揃ってはじめてワインがカタチを成す。
 
「あえて摘果をすることで葡萄の味を濃縮させて、果実味を豊かにすることもあるんだよ」
「同じワイナリーの同じ品種のワインでも葡萄の収穫年、醸造年によっても出来栄えが大きく変わるんだよ」
 
食卓で妻の話に付き合っているとワインが他のアルコール類とは一線を画している部分を知り、数ヶ月もすると徐々に私もワインに関心が湧いてきた。食卓を飛び出してワインのことを探求したいと思うようになっていた。
 
2つ目は、体験を加えながら楽しむこと。
当初は近くの酒屋で購入していたが、しだいに飲みたいワインが無くなってくる。飲んだことのないワインが欲しくなる。
そこで2ヶ月後、近所の酒屋のワインだけでは飽き足りていた頃、妻と一緒に百貨店のワイン即売会に出向いた。
会場に足を運ぶと所狭しと世界各国の国旗が並び、各国のワインが並んでいた。数多くのワイン卸会社や輸入業者、ワイナリーが出店していた。販売員から説明を聞きながら試飲できる。まるで世界を股にかけるように会場を練り歩きながら品選びができるのだ。
数ヶ月、学習し始めていると販売員の話す専門用語もある程度理解できるようになっていた。こうなると話が弾み、次から次にブースを回り、気づくと買い物かごは世界各国のワインで満杯だった。
 
翌日から買ってきたワインを次々に楽しんだ。販売員と語り合って納得してから買っているため、一本一本に対する愛着がある。こうして即売会の体験とともにワインのことを覚えていった。
 
ここまでくると私も完全にワインの虜になっていた。一緒に楽しみながら毎晩のワインが楽しみになった。ワインが無い日は寂しく感じた。家飲みワインがクセになっていた。
 
ある時、妻は日本のワイン事情に関する内容を語った。
「いま、日本のワインは世界で脚光を浴び始めているのよ。ひと昔前は、日本のワインのルールがあいまいだったけど……2010年には、『甲州種』が国際機関に登録されたのよ……」
「そして、若手のワイン醸造家も増えてきてるのよ」
 
そう言いながら映画「ウスケボーイズ」を流し始めた。
日本のワイン界の風雲児達を描いた河合香織著の小説の実写版だ。
ワイン界の常識にとらわれず、固定概念に惑わされず独自のスタイルを追求しながらワイン作りに取り組む3人の若手ワイン家を取り上げた作品だ。
その3人は現代日本ワインの父と称されるワイン醸造家の麻井宇介さんを慕う、国産ワイン醸造に挑んだ青年たちだ。
その映画の中で宇介さんが印象的な言葉を残していた。「教科書は破り捨てなさい」「ワインは作り手の思想を映し出す」
ウスケボーイズたちは、この言葉通り、従来の葡萄作り、醸造方法にとらわれず、自由なワイン作りに取り組んで成功を収めている。
ウスケボーイズを見ると、居てもたってもいられず、次はワイナリー巡りをしたくなった。
 
翌月のある週末、私と妻は新宿から高速バスに乗って1時間半で日本一のワイン生産地である山梨県の勝沼にいた。歩きながら、ワイナリーを巡った。
 
「我々の仕事は農業なんです」
醸造責任者を名乗る初老の男性がおもむろに語り始めた。ワインの品種、畑、今年の葡萄の出来栄え、収穫のタイミング、醸造方法……と話が続いていく。実際に畑に立ち、醸造に携わる人の生の言葉に率いこまれていく。
 
醸造責任者の話を聞けば聞くほど造り手の苦労を思い知らされた。ほぼ一年を通じて葡萄を育てる。育った葡萄は的確なタイミングで収穫し、多くの工程を経て、時間をかけて熟成させる。今年、収穫した葡萄がワインとなってグラスに注がれるまでには早くて1年。3年以上が一般的。
自然を相手に、四季を通し、時間をかけてワインに向き合っている造り手の語りからは真摯な姿勢がうかがわれる。一本のワインに秘められた物語も感じられる。
いくら醸造技術が優れていても原料となる肝心の葡萄の出来栄えがよくなければ意味をなさない。また葡萄が上手く育っても収穫するタイミングを見誤るとワインの出来栄えを左右する。
ワイン作りはすなわち葡萄作りである。作られた葡萄以上のワインはできないのだ。
 
そして、ワイナリーでは併設しているレストランでワインと食事を楽しむ。
ソムリエさんが説明してくれる。
「『甲州』は白桃や柚子やカボスの香り、鉄分が少なく、魚介類の脂身とケンカしない。和食や生魚、牡蠣と相性がいいです」
こうしてペアリングも学んでいった。
 
その日、気になるワインを背負える分だけ買って帰った。ワインに合う料理のヒントも頭の中に叩き込んで持ち帰った。
帰宅後、飲み方が変わった。作り手の意思を背負って飲むようになった。そうすると料理も格別においしく感じるようになった。

 

 

 

近年の日本のワイナリーは、やみくもに欧州ワインを意識した製法にこだわらず、日本の気候や日本の葡萄の特徴を生かした日本独自のワイン作りを目指し始めているようだ。この機運がどんどん熟していけば、早晩、世界と肩を並べる日本ワインがどんどん誕生するのも夢ではないだろう。狭い国土の日本といえど、各地のワイナリーを歩いてみると、日本人本来の真面目さや研究熱心さにひと工夫を加えればまだまだ日本のワイン作りは伸び代があるだろう。益々、期待が膨らんだ。
 
3つ目はなんと言っても食事とのペアリングだ。食事との相性でワインははじめて引き立つのだ。
食事が先か、ワインが先かは議論があるが、答えは両方そろってはじめて成り立つのだ。
肉料理には赤、魚料理には白というような鉄板セオリーもあるが、和食にも合うワインがたくさんあるものだ。
ワインというとかしこまったイメージを持ちやすいが、それぞれの地域に郷土料理やあるように日本の食卓においても、その日の料理に合ったワインが必ず見つかるはずだ。
 
こうして食卓ワイン会をはじめて5ヶ月後、妻は1次試験を通過、さらにその2ヶ月後難関と思われたテイスティングの2次試験も何とか無事に合格できた。
毎日の食卓ワイン会が功を奏したのか?二人三脚でやってきた私も本人以上に嬉しかった。
 
そして、来月12月に最後の3次試験を迎える。試験官の前でボトルを抜栓し、グラスに注ぐ作法を審査される内容だ。
 
ワインの奥の深さは計り知れない。
世の中で一生飲むことの無いワインのほうが多い。
あと何十年と生活していく上で毎日食事をする。せっかくだからその食卓には彩りと楽しみが欲しい。
その彩りに是非、ワインを添えたい。
だが、実はワインは主役ではない。ワインだけでは食卓は成立しない。ペアリングの食事があってこそワインが生きる。そして食事が引き立つ。
 
かつてのウスケボーイズも固定観念にとらわれず、自由なワイン作りに挑んだ。
飲み手も型にはまらず、好きな時に好きなように楽しめよいのだと思う。
気軽にワインを抜栓して、リラックスして食事を楽しむ。これが一番おいしい食事のひとときだ。
 
葡萄は熟してワインになる。私と妻の関係も熟していくだろうが、毎日の食事も熟した大人の楽しみ方を心得たい。一庶民として等身大のワインの楽しみ方を探り続けたい。
 
妻はまもなく最終の3次の実技試験を迎える。目下、食卓では模擬試験さながら追い込み勉強中だ。
「ご注文いただきました〇〇です。香りが開くと思いますので……」
接客のセリフを繰り返しながら、ワインを抜栓し、グラスに注ぐ。
「どうぞ、お楽しみくださいませ」
一連の流れを繰り返し練習している。
 
だが、私は心の中でこう呟く。
「試験は受かっても受からなくても気にしないよ。 今までどおり、家飲みワインでおいしく料理を楽しめればそれだけで満足だよ……」
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
笠原 康夫(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

岐阜県生まれ。東京都在住。
ふとした好奇心で21年4月開講のライティング・ゼミに参加。これがきっかけで、気づいたら当倶楽部に迷い込んでしまった50歳サラリーマンです。謙虚で素直な気持ちを忘れずに、実践を積んでまいります。

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2021-11-24 | Posted in 週刊READING LIFE vol.149

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