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週刊READING LIFE vol.157

緊張が生み出していく成長《週刊READING LIFE Vol.157 泣いても笑っても》


2022/02/14/公開
記事:大村沙織(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
目の前に広がる水面。一見すると私達の侵入を拒んでいるようにも見える。
しかし私は知っている。
その滑らかさがこの後瞬く間に失われることを。
水が見せる冷たさとは真逆の熱い勝負が繰り広げられることを。
現に私の心臓は既に早鐘のように鳴っている。
水は冷たいのに、体は熱い。
目の前の景色が一瞬で深い青色に変わった。
飛び込み台に乗り、バックプレートに足をかけた。
「テイクユアマーク!」
試合開始のゴングが鳴る。
さあ、勝負の始まりだ。

 

 

 

出会いって何が気かけになるか分からない。今でこそ週3でプールに通っている私だが、元々はプールという場所に全く思い入れはなかった。水泳教室に通っていた理由は親がカナヅチだったからだし。
「子供が将来泳げない子だったら、海で私達が溺れたときに誰に助けてもらうんだ?」
そんな不安を抱いたことから、子供には将来水泳を習わせようと固く決めていたらしい。小学校高学年になったときに親から事情を聞かされ、子供心に愕然としたものだ。そもそも海で生き残るための泳ぎとプールで学べる泳ぎって、だいぶ違くないか!? 果たしてプールで水泳ができたからって100%海で助かる保証はあるの? そんなツッコミも両親の耳には届かず、中学生になるまでは水泳教室に通わされていた。しかし後ろ向きな理由のおかげか、見事に全く上達しなかった。4泳法を覚えるなんてとんでもなく、通って良かったことといえば「水に抵抗がなくなった」ことくらいしか思い当たらない。クロールくらいは泳げていたかもしれないが、「早く泳ごう」なんて意識は微塵もなかった。

 

 

 

生活にプールのプの字も出なくなって10年以上経ったある日のこと。会社の同僚で、ジムに通っている人と知り合った。上半身も下半身も、程よく筋肉がついた体をしているというのが彼の第一印象。「筋トレでもしてるの?」と問いかけたところ、「実は水泳をやっているんです」とのこと。この時点ではまだ全く興味を持っていなかった。むしろ「水泳」と聞いて、古傷がチリッと痛むような感覚を覚えた。水泳が上達しなかったこと以外にも、プールという場所にはちょっとしたトラウマがあったから。
 
泳ぎ終わった後、熱がこもったプールサイドに上がる。太腿に感じる水着がまとわりつく感触。小学生の私にはその感覚は気持ちの良いものではなかった。他の生徒達が並ぶ列に合流し、水着を直そうとして―ぞっとした。
かすかな熱を感じた。
プールサイドが熱いせいかと思ったけど、違う。
明らかにお尻の一ヶ所だけが熱を持っている。
しかも熱を持っている箇所が移動する。
まるで誰かが触っているかのように。
「またか」という諦めと共に後ろを振り返ると、またあの子がいた。
あまり大事にしたくなくて本人に直接注意するだけに留めていたのだが、行為が止むことはなかった。最終的には私達一家が引っ越す形で水泳教室をやめることになり、この問題は解決される。しかしその思い出はプールに対する恐怖心めいたものを私に残すのには十分なものだった。
 
そんな苦い思い出のあるプールだったから、プールに行く機会といっても精々その会社の同僚が試合に出るときに応援しに行く程度で、自分が泳ぐ気はさらさらなかった。他にも水着になるのが恥ずかしい、お風呂に入ったり着替えたりするのが面倒、荷物が多いなど、やりたくない理由を挙げたらきりがなかった。

 

 

 

それでも水泳を始めることになってしまったのは、その同僚からの熱心な誘いがあったからだった。しかしながら嫌々ながら通った2週間の会員体験で、私は水泳の楽しさを知ってしまうことになる。初めて受けたレッスンで得られた体験は今でも忘れられない。コーチの指導1つで自分の泳ぎ方が変わり、それによって水の中での進み方も変わっていく。
「自分の体ひとつで、大人になってからでもできるようになることがあるんだ!」
そんな新鮮な事実を文字通り身を持って体験できた。
嬉しい驚きと発見。
新しいことができるようになった達成感と興奮。
それらが癖になり、結局2週間の会員体験を終えた後、私は正式にジムの会員になることにした。体験期間中にレッスンに出まくった私は、すっかり水泳の虜になっていた。幼少期に受けたトラウマも、全く気にならなくなるくらいに。
水泳を始めて1年後には4泳法のクラスにも全て出席し終わっていた。得意不得意はあるものの、4泳法全て泳げるようにはなっていた。子どものときには全く泳げなかったのに! そのことも私に自信を与える要素の1つになっていたのだと思う。

 

 

 

水泳を始めて1年ほどして泳ぐ体力がある程度ついてくると、欲が出始める。自分の実力を知るために試合にも出たくなってきたのだ。試合に出られるようになるためには、マスターズ水泳協会が認定するクラブのチームに入らなければならない。幸いなことに私が所属しているジムは協会認定を受け、チームとしてかなり活発に活動していたので、チーム所属のハードルはクリアできた。
問題は自分の実力の方だ。4泳法が泳げるだけでは当然だめで、練習を重ねなくてはいけない。この面でも私は恵まれていた。所属ジムにはマスターズ水泳のチームがあるだけでなく、チームメンバーが練習するクラスがあったのだ。大体そこでは1時間で1.5~3キロメートルほど泳ぐことになり、自分のレベルに合わせて距離を選ぶことができる。すなわち今の自分の実力に合った練習ができるのだ。しかも社会人のメンバーも多く、平日夜や休日にも練習枠がある。先述した会社の同僚もそこで練習しており、知り合いがいる気軽さもあった。こうして私はマスターズ水泳の世界にずかずかと入っていった。
しかしさすがに最初から早くは泳げず、最初は一番ゆっくり泳ぐ人達の後ろをついて、1時間に1キロメートル泳ぐのだけでいっぱいいっぱいだった。ときには足だけや手だけを使って泳がねばならず、後ろを詰まらせてしまうこともあった。そんなときには迷惑をかけた申し訳なさで悔しい思いをしたし、「もっと早く泳げるようになりたい」とひしひしと感じた。試合にさえ出ていないのに向上心を抱かせてくれる環境が、改めてありがたいし、恵まれていると思う。チームメンバーの泳ぎに対する向上心も半端なものではなく、練習後に浸かるジャグジーの中では泳法談義がなされているのが常だった。結局初めて試合に出たのは競泳を始めてから2年程が経ってからのことだった。

 

 

 

初めての試合では緊張しすぎて、あまり満足のいく結果を出せなかった。飛び込みのときにお腹を打って皮膚がひりひりしたし、傍から見ると溺れているように見えたかもしれない。だって最後の5メートルがめちゃくちゃしんどくて、腕を動かすのがやっとだったから。それでも、記録を残すことができた。それが良いか悪いかにかかわらず、残すことができた。
記録は数字だ。
目に見える結果だ。
ここでも私は「目に見える」という点が分かりやすくて、快適さを感じた。仕事の成果は有形ではないのに対して、水泳ではタイムという具体的で誰が見ても分かる成果がある。そんなシンプルな分かりやすさが好ましく、打ち込む要素の1つになった。もちろん、タイムは自分よりも上の人も下の人もいる。しかも、自分より年上だけどタイムは自分よりも早いという人も普通にいる世界だ。だから自ずと、注目するのは自分の記録になった。前回の自分の記録を上回るために次回までにどんな練習をするか、それだけを考えるようになった。本を読んで学んだトレーニングをやってみたり、同じチームの仲間に良い練習方法を聞いたり、その手段は時と場合によって様々だ。でも皆早くなりたい気持ちは同じなので協力は惜しまないし、遠慮なく教えてくれる。

 

 

 

試合は確かに緊張するし、この先何回出ても慣れることはないような気がする。でも試合という緊張があってこそ、そこに向かって頑張ることができるのは間違いない。マスターズ水泳は1年間に全国でたくさんの試合が開催される。だから数か月ごとに試合出場の機会を得て、そこに向かって練習することが可能だ。限られた期間で成果を出すために、できることを必死でやるというサイクルを回すことができる。試合という緊張の場が定期的に訪れることで、確実に成長のチャンスを得ることができるのがマスターズ水泳の良い点だと思う。実際に私も試合をペースメーカーとして、これまでタイムを上げられているところがある。去年からは自分の得意種目で1秒ほどタイム更新しており、今年もタイム更新を目標にしている。定期的な緊張は人の成長を促していくものなのだ。
しかも試合は種目にもよるが、時間にしたらせいぜい数分の機会しかない。私の場合は短距離種目なので、下手すると試合時間が1分にも満たない場合もある。その一瞬のために、普段の練習でも全力を尽くすのだ。今月開催される試合は感染症対策のために中止になってしまっているが、また春に行われる別の試合にもエントリーしている。今後はそこに向けて調整していくつもりだし、このサイクルは私が水泳を続ける限り止まらないだろう。そしてタイム更新という成長を止めるつもりもない。私の鍛錬の日々は続いていく。泣いても笑っても訪れるであろう、その緊張の瞬間のために―。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
大村沙織(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

水泳とライティングの二足の草鞋を履こうともがく、アラフォー一歩手前の会社員。

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2022-02-09 | Posted in 週刊READING LIFE vol.157

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