週刊READING LIFE vol.158

ないものねだり《週刊READING LIFE Vol.158 一人称を「吾輩」にしてみた》


2022/02/21/公開
記事:田盛稚佳子(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
吾輩は白黒の家猫である。
5年前から今の家の住人となった。
 
吾輩には、実は生みの親が一人、育ての親が二人いる。
気づいた時には、すでに一匹狼ならぬ一匹猫だった。
おそらく兄弟が2~3匹はいたのであろうが、母親の記憶も兄弟の顔すら覚えていない。
フラフラと歩いているうちに、ある葬儀場に迷い込んだ。
音に敏感な吾輩は、車の往来が多い場所やそのエンジン音が苦手なので、こっそりと植え込みに隠れていたところを掃除中だった育ての親その1に見つけられた。
「あらあら、こんなところに子猫ちゃんが。葬儀場だから白黒猫が来ちゃったのかしら」
と笑いながら、吾輩のカラダをひょいと抱き上げて、事務所の中に連れていかれた。
「あらー、かわいいわね。でもガリガリね。ご飯をあげなくちゃ」
ニンゲンたちが身寄りのない吾輩のことを心配してくれた。
お腹もペコペコで喉もすごく渇いていた。
見知らぬニンゲンにモノをもらうのはちょっと気が引けたが、生きのびていくためには、つべこべ言っていられない。遠慮なく、餌と水をいただくことにした。
 
 
その後、諸事情により育ての親その2に引き取られることになった。
現在住んでいる家は、40代の中年女と70代の老夫婦が暮らしている。
吾輩が御年5年ほど生きていて思うのは、
「ニンゲンという生き物は、なんだか忙しそうで不思議な生き物だ」
ということだ。いったい彼らは何を生き急いでいるのだろう。
朝から、眉毛を書き、顔に粉のようなものを塗り、マスカラという毛虫のようなものをまつ毛にグイグイとつけて、バタバタと着替えては、大きな荷物を抱えて家を出ていく。
「ばぁばとお留守番、お願いね! 行ってきます!」
と言って手を振りながら。
女は家を出ると、8時間以上は帰ってこない。
その間、決して広いとは言えない2階の部屋で、吾輩はゆったりと一日を過ごす。
ふかふかの座布団がある部屋でガラス越しのお日様の光を浴びながら昼寝をするのが、吾輩のお気に入り時間である。
 
家の中でじっと寝ていると、絶えずいろんな音が耳に入ってくる。
階下では朝から洗濯機がグオングオンと鳴り、食器をカチャカチャと洗い、水でザァザァとすすぐ音。人間が動くところ、何かと物音が立つ。
吾輩を含む猫たちは足音が立たないように、肉球もやわらかくできているし、物音を立てると敵に見つかってしまうので、物静かに歩くことができる。
だから、ニンゲンがなぜそんなに音を立てたがるのかは不明である。
食器洗いが終わると、ばぁばと呼ばれるオバサンが、洗濯物をたくさんカゴに抱えて2階へ上がってくる。
「ななさん、今日もおりこうさんね」
そう言ってパンパンと洗濯物を叩きながら、驚くべき速さでベランダに大量の洗濯物を干していく。その姿をキャットタワーから眺めるのが吾輩は好きである。
寒い日も暑い日も、オバサンは洗濯物をしわがよらないようにきれいに干していく。
洗濯物の重さで洗濯物干しハンガーが偏らないように、ちゃんとバランスよく干している姿は、職人のようである。
 
夜になると、荷物を抱えた女は帰ってくる。そして、一目散に吾輩の部屋へやってくる。
おいおい、ちゃんと手洗いとうがいと消毒はしたのか? と思いつつ、寝たふりをする。
吾輩がすやすやと寝ている姿を見ると、女は安心するらしい。
「あー、やっぱ癒される。今日もお留守番ありがとうね」
と声をかけてくるのだが、別に吾輩は留守番をしているつもりも、家を守っているつもりもない。お腹が空いたら鳴き、寝たいときには専用のふかふかベッドで寝る。それだけだ。
ただ思うがままに生きているのに褒められるというのは、なんだかこそばゆい感じである。
「これ、フツーなんだけど」
と思うが、口には出さない。
たまに遊びたい時は、オバサンの足をチョイチョイと引っ搔いて、おもちゃをせがむ。
おもちゃの釣り竿の紐先についた鳥の羽を狩る。昔の野性の勘が魂の奥からむくむくと蘇ってくる高揚感をひとしきり味わうのだ。遊び疲れたらまた寝て、女が帰ってくるのを毎日待つ。
 
 
今の家に来てから、しばらくしたある真冬の日。
吾輩に思いもよらない事件が起きた。
無性にメス猫としての気持ちが高ぶり、オス猫に会いたくなるという気持ちになった。
何なのだ? この今まで味わったことのない気持ちは。
しかも、普段は出さない「アオーン、ウアォーーン」という声まで勝手に出てくる始末だ。
吾輩は「完全室内飼い」と呼ばれる家猫なので、オス猫と出会う機会が残念ながら、まったくない。
ただただ、このどうしようもない気持ちを抑える術がわからずにつらい日々が続いた。
 
すると、女がぽつりと漏らした。
「うーん……、これって発情期かもしれない」
ほほう、なるほど、これは「ハツジョウキ」というものなのか。女はすぐさま、あるところに電話をかけて相談をし、予約をしていた。
その翌々日の夜、突如、女だけでなく、老夫婦までが吾輩にご飯をくれなくなった。
口にできるのは水だけだ。水だけでお腹が満たされるわけがない。
こんなにお腹が空いているのに、なぜもらえないのか? と不満の気持ちを目いっぱい込めて、これまでにないほどしつこく鳴いてみた。
しかし、女も老夫婦も
「ごめんね。本当にごめんね。一日だけ! 一日だけ我慢してほしいの」
というだけで、それ以上何も教えてくれない。
吾輩が、急に変な声で鳴き続けてきたことへの罰か?
はたまた吾輩のことが嫌いになったのか?
もしや、このまま捨てられてしまうのか?
疑心暗鬼に陥った吾輩は急に悲しくなってきた。
ご飯ももらえないのに鳴き続けるのは体力を消耗するだけだ。もういい、寝てしまおう。
完全にふて寝、だった。
翌朝になるとご飯はおろか、今度は水すらもらえなくなった。
「このババア! 飢え死にさせる気か!!」
吾輩は悲しい気持ちを通り越して、怒りすら覚えたが、女も老夫婦も申し訳なさそうに、ただただ謝るだけだった。
そして、その日の朝、動物病院というところに無理やり連れていかれた。
「では、ななちゃんをお預かりしますね。手術が終わったら連絡します。念のため一日は入院していただきますので」
「わかりました。どうぞ、よろしくお願いします」
そう言って、女とおばさんは吾輩を置いて帰って行った。いったい何が起きているのだ?
 
二人が帰ってからは、不安な気持ちでいっぱいであった。
周りには白い服を着た知らないニンゲン、知らないイヌやネコばかりである。
「あなたも、避妊手術に来たの?」
ふと見ると、隣のケージにいた見知らぬネコが声をかけてきた。
「わからない。昨日から急にご飯がもらえなくなって、今日は水すら飲んでいない」
と不満を漏らすと、
「それは、あなたの手術中に吐いたりしないように、飼い主がやるべきことなのよ。本当はご飯をあげたいのを、ぐっと我慢していたんだと思うわ。あなたのためよ。がんばりなさい」
と教えてくれた。
そこでやっと、吾輩は避妊手術というものをすることを知った。
ネコという動物は発情期になるとオス猫を求めて鳴き、求愛をする。
交尾を終えた後の妊娠期間は約2か月間で一度に3~4匹は生まれる。だからあっという間に数が増えてしまうということを風のウワサで聞いたことがある。
完全室内飼いの猫は、基本的に避妊手術をすることで無駄に子孫が増えないように、育ての親二人の間で契約を交わしていたということを、吾輩は後から知った。
 
一日後、動物病院から帰って来て、びっくりした。
なんと吾輩のお腹の毛がごっそり剃られているのではないか!
ちょうどニンゲンが食べる「味付け海苔」くらいのサイズだ。
どおりでお腹の辺りが寒いと思った。真冬だからという理由だけではなかったのだ。
女は吾輩のお腹を痛々しそうに眺めながら言った。
「ななさん、子宮を勝手に取る手術をしてごめんね。でも、万が一あなたが脱走した時に、知らないオス猫との子供ができても大変だし、子宮にまつわる病気のリスクを下げるためでもあるの。子供を産ませてあげられなくて、ごめんね……」
「フニャアー(わかった)」と小さく返事をしておいた。
わかってるよ、手術のことは見知らぬ猫に教えてもらったから。
育ての親その2である女も、実は自分も子供が産めないことをいつだったか、吾輩にこっそり打ち明けてくれたことがあったからだ。
一人娘でもある女は、自分が結婚・出産しないために、両親に孫の姿を見せてあげられないことを申し訳ないと常々思っていたようだ。吾輩のカラダを撫でながら淋しそうにしていたことを覚えている。
まぁ、産めない同士、仲間じゃないか。そう思った。
 
女は吾輩のそばでよく発する言葉がある。
「私、生まれ変わったら猫になりたい。猫みたいに自由気ままに暮らしたいよ」
仕事でうまくいかないことがあった時、友人や恋人と喧嘩した時、家族でちょっとしたいざこざがあった時、女はすぐにこう言う。
毎朝起きて、満員電車で通勤して、会社でいろいろお小言や嫌味を言われたり、ニンゲン社会は何かと面倒くさいことが多いのだそうだ。
じゃあ、行かなければいいじゃないかと吾輩は思うのだが、
「でも、働かないと、ななさんのご飯やおやつ代が稼げないもんなぁ」
と言う。それは働いてもらわないと吾輩の死活問題だと思い、とりあえずスリスリと頭を女にこすりつけてめいっぱい甘えてやる。
そうすると、女は機嫌を取り戻し、
「わかった、明日もがんばるね」
と仕事に行ってくれるというわけだ。ニンゲンは単純な生き物でもある。
 
でも、そんな猫だって悩みはあるのだ。
「完全室内飼い」というシステム上、イヌのように散歩もなく家の外には出られないため、友達はほとんど作れない。
またご飯も基本的には365日同じようなカリカリフード(吾輩はネチャッとしたウエットフードが苦手である)と水、そしてたまにもらえるおやつで暮らしている。
ニンゲンのように、
「今日はどんなメニューにしようかな。ねぇ、何が食べたい?」
なんて選択肢はないのである。
家にあるものを食べればいいのに、わざわざ新しい食材を買いに行っては、冷蔵庫で賞味期限が切れたものを捨てている姿はなんだか矛盾しているな、と思う。
「あるもので暮らす」という生き方を吾輩たちから学べばいいのに。
やはり、ニンゲンは不思議な生き物である。
 
今日も、ニンゲンは忙しそうに生きている。
吾輩は、ゆっくり、のんびりと生きている。
実は、一度はニンゲンの生活をしてみたいと密かに思っている。
出かける支度をして、電車というものに揺られて、カイシャという大きな箱の中で他のニンゲンがどういう言葉をしゃべっているのかを聞いてみたい。
ないものねだり。
一言で片づけられてしまえば、それで終わりなのだが、吾輩に神様が一度だけ望みを叶えてくれるのであれば、
「ニンゲンになってみたい」
と言うであろう。
それを経験したら、女が吾輩のそばでよく発する言葉の重みが、少しは理解できそうな気がするのである。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
田盛稚佳子(READING LIFE編集部公認ライター)

長崎県生まれ。福岡県在住。
西南学院大学文学部卒。
ライティング・ゼミを受講後、READING LIFE編集部ライターズ俱楽部に参加。
主に人材サービス業に携わる中で自身の経験を通して、読者の方が一人でも共感できる文章を発信したいと思っている。

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325


■天狼院書店「シアターカフェ天狼院」

〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目8-1 WACCA池袋 4F
営業時間:
平日 11:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
電話:03−6812−1984


2022-02-16 | Posted in 週刊READING LIFE vol.158

関連記事